斜眼子
「木枯らし」を読み返した日から、何となく晴明は茜と目を合わせられないでいた。
茜は、痛いほどに人の目をみて話すのだ。それが彼女が人に好かれる要因であることも分かっている。晴明は、そんな視線を拒むことが申し訳なく思えて、茜と話す時は、なるたけ目を合わせてやるようにしていた―リサと話す時は、晴明はあまり目を合わせない。真剣に聴いていないとも言う―。
そんな晴明だったが、彼は今、無意識に目を逸らしている。何故か。単純明快。
彼は、怖かった。目を合わせると、必然的に、相手の顔を見ることになる。すると、当然、記憶の中に残ってしまうのだ、相手の顔が。
高校時代、晴明はその恐ろしさを知り、人からの好意をかなぐり捨てて、目を合わせることなく生きてきた。それを今更、変えた自分が悪かったのだ……。
晴明は、溜息を吐いた。
「晴明さん。」
2度のノック―といっても居間と晴明の仕事部屋との間に襖は無いので、床を叩くのだが―の後、茜が仕事部屋へと足を踏み入れた。晴明は、振り返ることなく、―特に何を書いているでもないのに―適当にペンを走らせている。茜は、邪魔をしては悪いと思ったのか、足音を忍ばせ、そっと机に近づくと、お茶を置く。
晴明は、
「ありがとうございます。」
と言うと、湯のみに手を伸ばした。茜は、はい。と返すと、部屋を後にした。湯のみに入ったお茶を口に含むと、晴明は溜息を吐く。お茶がやけに苦いからではない。俺はあといくつ、嘘を吐けばいいのかな。なんて独り言は、心の中にしまったままにしなければならないからだ。
やはり、茜の視線を感じながらそっぽを向くのは、なかなか辛いものがある。何となく、悪いことをしている気分だ。
いつかは、元のように目を見てやらねばなるまい……。
怖くてくじけるようでは、男が廃る。と、晴明は考えていた。しかし、そう思った直後、明日からでいいや……。とも、思う。
そう、茜はずっとそばにいてくれる、死んだりなんかしない……。
晴明はそう、今度は口に出して言い、湯のみに今一度手を伸ばした。湯のみのお茶は、室温のせいか冷え切っていた。