ピンポンダッシュ
「まったく、何だってんだ……。」
晴明は舌打ちをして呟いた。
彼は今、アパートのドアを力任せに閉めたところである。
三十路に差し掛かった晴明は、同年代の男に笑われるほど髭をぼうぼうに伸ばし、毛玉だらけのスウェットに袖を通し、やせぎすだった。
それには訳がある。彼はここ何日か、飲まず食わず―とはいかない。水道水は、意外と旨いのである―で、髭も剃らず、風呂にも入らず、着替えはおろか洗濯もしていないのである。別にこれは、アパートの共同洗濯機が壊れている等ということは関係ない。
問題は彼にあるのだ。
晴明は、背骨が不健康に曲がった小説家である。
特に賞をもらったでもないが、2,3か月に一度は、神経質な字のファンレターがくる。その程度の人気である。
そして、彼はスランプに苦しむ小説家でもある。彼はもとより遅筆であったが、現在はそれに拍車がかかって―というよりも、止まっていると言った方がいいのかもしれない―いるのだ。担当の柊にもたしなめられ、家賃滞納の日々である。
「頼みますよ、鳴海さぁん。ミステリー作家じゃああるまいし……。」
彼は、いらついている。理由はそれに合わさって毎日のようにある、このピンポンダッシュである。
「ピンポーン」
高らかに鳴り響いたならば、晴明はすわっ、と立ち上がり、積もり積もった埃を吹き飛ばしながら、ドアへと猛然と進む。おまけに体重を右腕に乗せながらドアノブを捻る。
するとそこには……誰もいないのである。
何者か。
晴明はここで、幽霊だなんだと騒いでびくつくような男ではなかった。
全く、暇なやつもいるもんだ……と、同情してやる、優しい―晴明は昔、雛鳥を助けたこともある―男なのである。
夏の盛りの火曜日、晴明はうちわをパタパタやりながら思い付いた。
そうだ、ドアの前で待っといて、チャイムが鳴った瞬間に開けてやろう。そうすりゃ、暇も潰せるというもの……。
晴明は、暇な男である。
「ピンポーン」
一週間後、待ちに待った瞬間。
晴明は、ドアノブを60度捻った。晴明の視界に、少しずつおんぼろアパートの廊下が見えてくる。
「あれ?」
そこにいた―正確にはあった―のは、一冊の本であった。 タイトルは「木枯らし」。晴明のデビュー作である。
ファンレターならまだしも、本を突っ返してくるとは変なやつだな?
晴明は、首を10度捻った。