9話
憂国さんとデートもどきをした次の日から、俺の高校生活は苛烈を極める事となった。
まず、教室へ入った瞬間、寺島烈矢に睨まれる。
俺が逆らったのが気にくわないのだろう。
彼はスポーツマンにも関わらず、粘着質だった。
しかも、俺の噂を吹聴している。
進路が決まってないロクデナシとか。
なんの取り柄もない陰キャラだとか。
いや、全て本当の事なのだが……
今まで空気のような高校生活を過ごしていたのに、何故かやたら絡まれるようになってしまった。
ハッキリ言って迷惑である。
けど、それを言う勇気が無いのもまた、俺なのだ。
「おい、これお前の筆箱か?」
「そ、そうだけど」
とある生徒が俺の筆箱を指差す。
この時代でも、まだ筆箱やペンは存在している。
人間として字は書けなければならない、とか何とか。
「だっせー色してんな、おい」
俺の筆箱の色は黒色だ。
一体何が気にくわないのだろう。
俺は本気で理解出来なかった。
「筆箱からも陰キャ臭が漂うな」
「ちょ、それ言い過ぎ!」
「「ぎゃはははははっ!」」
他のクラスメイトも加わり、俺を嘲笑する。
何だ、これ。
この嫌な雰囲気……異常だ。
まるで別世界に迷い込んだ気分である。
鬱々とした気持ちが湧く。
俺は震えながら耐える事しか出来ない。
そんな自分が悔しくて、でも何も出来なくて……
「……」
「つまんねー、こいつ何も言わねえぜ?」
「ほんっと陰キャラだな、気持ち悪い」
最後まで悪口を吐き続けながら、俺を嘲笑した二人の男子生徒は去っていった。
ホッとする。
とりあえず、嵐は去ったのだから。
「はあ……」
昼休み。
教室での居場所を完全に失った俺は、一人寂しく開放されている屋上へ来ていた。
屋上は他の高校と違い、最初から生徒同士の交流の為と開放されているのだ。
しかし、今日は俺以外誰もいない。
今の季節は秋。
肌寒いこの季節に、わざわざ屋上まで足を運んで食事する物好きなんてそうそういない。
だからこそ、安住の地としてここを選んだ。
ビニール袋からパンと缶コーヒーを取り出す。
パンは三つ、チョココロネとウインナードーナツ、それからメロンパン。
缶コーヒーはブラックの無糖だ。
最初にウインナードーナツを齧る。
咀嚼しながら、俺は考えた。
これからの高校生活は、どうなってしまうのだろうと。
「……はー」
高校三年生のこの時期に虐めのようなものを受けるとは、入学前は思いもよらなかった。
俺は空気でいい。
虐められない代わりに、誰からも相手にされないーーそんな高校生活で充分だと思ってた。
けどやはり、現実は残酷でーー常に予測不能だ。
◇
時はあっという間に過ぎ、放課後へ。
今日は掃除当番を押し付けられるイベントも無く、そそくさと帰宅する事が出来た。
だけど、クラスメイトの視線が突き刺さるのが痛い。
格下のゴミを見るようなあの目つき。
いや、実際に俺はゴミなのだろう。
だからって虐めをしていい理由にはならない。
俺はクラスメイト達に一度も害を与えてないのに……
この世は理不尽だと、常々思う。
「……はーあ」
絶望しきった表情を浮かべながら帰路につく。
今日は憂国さんと会いたい気分ではない。
仮に偶然遭遇したとしても、帰らせてもらおう。
それ程俺は弱ってた。
誰かと話したい気分になれないのだ。
……そう思ってたのだが。
「あの、すみません」
「……はい?」
誰かから声をかけられる。
面倒だなあ。
でも、無視する訳にはいかないし。
仕方なく俺は振り向いた。
「何でしょうか?」
声の主を見て、驚く。
なんと霧沢女学院の制服を着ている。
つまり、女学院の生徒だ。
腰まで届く茶髪に、青い瞳。
霧沢特有のシスター服に似た制服。
とても可愛い女の子である。
だけど……どこかで見かけたような気がするのは何故だ?
勿論、彼女とは初対面である。
「雨柱高校の人ですよね?」
「そうですけど……」
雨柱高校、俺の通ってる高校の名前だ。
制服を見て判断したのだろう。
彼女は俺の返答をしっかり聞いてから言った。
「その、夕張幻冬って生徒を知ってるでしょうか?
三年生らしいのですけど」
「……へ?」
彼女の口からとんでもない名前が出てくる。
言うまでもなく、夕張幻冬とは俺の名前だ。
憂国さん以外の霧沢女学院の生徒に名乗った覚えは無いが。
黙ってても仕方ない。
話しを進める為、俺が夕張幻冬だと彼女に明かす。
「俺が夕張幻冬ですよ」
「……ほ、本当ですか!」
「ほら、生徒手帳」
生徒手帳を彼女に見せる。
それを見て、彼女は満足げに頷いた。
一体何の目的で、俺を訪ねてきたんだ?
「申し遅れました。私、高堂循環と申します。霧沢女学院の二年生です」
「はあ……ん、高堂……?」
高堂という苗字、聞いた事がある。
いやでも、まさかな。
俺の脳裏に茶髪イケメンが思い浮かぶ。
でも確かあいつ、妹が霧沢に通ってるって言ってたよな。
まあ、そんな事はどうでもいい。
問題は何故この少女が、俺を訪ねて来たかだ。
「あの、どんな要件で俺のところに?」
「はい。実は凛音先輩から伝言を受け取りまして」
「凛音……憂国さんが?」
凛音とは憂国さんの名前だ。
察するに、後輩先輩の間柄なのだろう。
「伝言って、電話やメールがあるじゃないか」
「んー、それだとバレちゃうって言ってました」
高堂循環さんは額に指を当てながら言う。
バレるって……どんな要件だ?
「明日の夕方五時頃、初めて出会った場所でーー凛音先輩の伝言です」
「え、あ、どうも」
伝えた事は伝えた、とばかりにホッとする高堂さん。
俺は伝えられた内容に首を傾げていた。
何故、わざわざこんな回りくどい事を。
……と思っていると、高堂さんがじーっと見つめてくる。
「あの、夕張さんって、凛音先輩とどういう関係なんです?」
「え……うーん、友達……なのかな?」
「どうして本人が疑問形なんですか……」
「は、はは、俺もまだ、よく分からなくて」
実際、俺と彼女はどんな関係なんだろう。
俺が抱いてる好意は、一方的なものだ。
分かりやすく言えば片想い。
憂国さんは、俺をどう思っているのか。
ただの友達?
それとも、知り合い?
「まあでも、一発で見つかって良かったです。いくら少子化で生徒が少ない今の時代でも、一人の生徒を狙って探すって大変ですから」
高堂さんは笑いながら言う。
今の時代は極端な少子化である。
昔は学年のクラスが六つも七つもあったらしいが、今は多くて二つである。
小学校なんかは一つの学年に一つのクラス、なんてのは当たり前なくらいだ。
それでもやはり、高校の方が生徒数は多い。
その中から一人だけを探すのは、少々骨が折れる。
「俺をどうやって探すつもりだったの?」
「んー、地道に聞いていくか、最悪兄に頼むか、です。兄が通ってるんですよ、知ってますか?」
「……多分、知ってると思う」
予想が当たってしまった。
この子は俺のクラスメイト、高堂三ツ矢の妹だ。
成る程、それなら俺も容易に見つけられただろう。
俺に限らず、殆どの生徒が高堂三ツ矢を知っている。
それ程彼は優秀で目立つ学生だ。
「私の兄、自分で俺は有名だー、とか言ってまして。でも本当だったんですね……それでも、凛音先輩の伝言って兄が聞いたら、面倒な事になりそうですし、やっぱり兄を頼るのは最後の手段です」
苦笑いを浮かべる高堂さん。
というか高堂、自分でそんな事言っているのか。
ただのナルシスト野郎じゃないか。
俺の中のイメージが崩壊する。
やはり、完璧超人なんて存在しないのか?
「それじゃあ、私はこれで」
「あ、うん。伝言ありがとう、高堂さん」
「呼び捨てでいいですよ、先輩なんですから。次会う時は循環って呼んでください、それじゃまたいつか!」
右手でバイバイと手を振りながら帰っていく高堂さん。
元気な子だった。
でも、次会う時は名前呼びか、ハードル高いな。
だけど今日、俺とまともに会話してくれた一人だ。
なし崩し的だったけど、少しは気分が晴れやかになった。