2話
「えー、ここの公式はこうであるからして」
電子パネルで授業を行う教師をぼーっと眺める。
その昔、 学生達は黒板なる物で授業を受けていたと聞くが、その学生達の心情もきっと今とそう変わらないだろう。
早く終わってくれ、この一言に尽きる。
「……む、そろそろ時間か」
なんて感じで数学の授業が終わる。
時刻は四時過ぎ、数学の授業は六時間目。
これでようやか帰宅出来る。
あとはホームルームを乗り越えるだけだ。
担任教師が来る間、頬杖をつきながら進路について考える。
が、数十分もしたらゲームの事を考えていた。
自分でも引くくらいのダメっぷりである。
「ねー美咲ー、進路決まった?」
「まだだよ、今は受験勉強中」
「やっぱ皆んなそうだよねー」
女子生徒の談笑が聞こえてくる。
話題に対して、会話は明るい辺り、進路については全く悩んでいないのだろう。
羨ましいな……
俺もしっかりと考えたい。
誰か相談出来る相手はーーいる訳無いか。
自虐的に笑う。
俺には友達がいない。
高校三年間、ずっとぼっちである。
何度か友人を作ろうとしたが、上手くいかなかった。
それにVRゲームをプレイしている高校生が意外に少なく、話題を共有出来る相手がいないので、出来たとしても結局は疎遠になったと考えられる。
高校生のVRゲーマーが少ない理由。
俺はその理由が、時間にあると考えている。
VRゲームは時間をかなり奪われる、青春の殆どを無駄にした俺が言うのだから間違いは無い。
VRゲームは完全体感型ゲームだ。
プレイ中は仮想世界に意識が向かい、現実の肉体は眠ってるのと同義になる。
つまり、VRゲームしかプレイ出来ない。
当たり前なのだが、友人関係の連絡など、高校生には高校生なりに忙しいのだ。
それら全てが絶たれるのは、中々にキツいだろう。
勿論ゲームプレイ中、電話やメールを知らせてくれる機能は必ずと言っていい程組み込まれている。
一旦プレイを中断してそれらに対応するのは中々に面倒だ。
よって主なプレイヤーは二十代前半から三十代後半となる。
まあ、俺のような学生ゲーマーも少なからずいるが。
「おーい、着席しろー。ホームルーム始めるぞー」
なんて事を考えていたら担任教師がやって来た。
彼の一声でクラスメイト達が席に着く。
友達……か。
一応ネットフレンドは何人かいる。
いるけど、そこまで親密ではない。
これがVRゲームの弱点の一つ。
いくらアバターでも、話すのは自分の意思。
根っからの人見知りやコミュ症は、普通に発動してしまう。
アバターという仮面を被っていても、人の本質はそう簡単に変わらない。
俺がVRゲームで学んだ事の一つである。
ホームルームが終わり、正真正銘の放課後へ。
クラスメイト達は教室を出て散り散りになる。
ある者は部活へ、またある者は帰宅する、勿論俺は後者の帰宅する生徒だ。
帰りに何処かへ寄る予定も無い。
今日は真っ直ぐ自宅へ帰ろう。
最も、俺の場合は仮想世界こそ家のようなものだが。
遅くもなく速くも無いペースで歩く。
帰宅部と思われる生徒達も、友人達と共に集団で帰ったりしている。
この時間帯はやはり人が多い。
俺が通ってる高校ではない生徒もちらほら見る。
その中で、一際目立つ高校の生徒がいた。
余り類を見ない、教会のシスター服のような制服。
足取りは綺麗で背筋もピンと伸びている。
彼女が歩いてる周りだけ、空気が違う。
あの特徴的な制服は……霧沢女学院か。
霧沢女学院。
市内唯一の女子校で、所謂お嬢様校というやつだ。
在籍する殆どの生徒が、名家出身の令嬢。
文字通り、住む世界が違う。
しかし……綺麗な子だな。
肩辺りまで伸ばされた黒髪に、闇より濃い黒目。
僅かに見える肌は白く美しい。
身長は百六十くらいだ。
俺は暫く見惚れてしまう。
そして、天地がひっくり返ってもあり得ない事を夢想する。
あんな子が、俺の恋人になったらな……
いやいや、あり得ないだろう。
妄想するのすら憚られる。
俺は冴えないただの高校生。
彼女は有名女子校のお嬢様。
そんな妄想、するだけ虚しくなるだけだ。
俺は早足にその場を去ろうとする。
帰ろう、俺の世界に。
人にはそれぞれ、住む世界が用意されているんだ。
冷たい風が頰を撫でる。
次いで、突風がビュオッと吹いた。
前髪が大きく風に舞う。
ああくそ、鬱陶しい!
まるで風が俺の行く手を邪魔してるみたいだ。
若干イラつきながら、止めた足を再び動かそうとする。
その時だ。
「あっ、ぼーるがっ!」
甲高い少年の声。
それだけなら特に何も思わずスルーするのだが……
チラリと少年の方を向く。
直後、見なければよかったと後悔した。
恐らくさっきの強烈な突風の所為で手元が狂ったのだろう。
少年が手にしていたサッカーボールは転がっていた。
車が飛び交う車道に。
しかも、少年は反射的にボールを追っていた。
それは、信号も何も無い車道に身を乗り出すという事。
どんな最先端技術の車でも、突然車線に入ってきた子供の前で急停車するのは難しい。
また、止まれたとしても少年の身体はとても小さく、少しぶつかっただけで吹っ飛んでしまうだろう。
その結果は火を見るよりも明らかだ。
俺は戸惑う。
この間、ゲームをプレイしている時よりも、脳内で多種多様な思考が入り混じっていた。
助ける?
なんでだ?
そんな事をする必要は無い。
いや、普通助けるだろ。
俺が行っても死ぬだけだって。
そんなキャラじゃねーだろお前。
乱れる思考、鼓動する心臓。
気づけば俺は鞄を投げ捨てーー少年の元へ走っていた。
「ちっくしょおおおおおおおおおっ!」
飛び込み台からプールへダイブするように、ガードレールを足場に車道へ飛び出す。
そのまま少年を腕の中に抱え込む。
車は目前まで迫ってた。
運転手が驚愕の表情をする。
分かるよ、俺も泣きたい。
車にぶつかるのが先か、歩道側に辿り着くのが先か……命を賭した救出賭博に、俺は勝った。
倒れこむように歩道へ。
ガンッと、車に轢かれるボール。
もしあと数秒、俺が飛び出すのを躊躇っていたら……跳ねられていたのは少年や俺だったかもしれない。
そう思った瞬間、ゾワリとした悪寒が背中を伝う。
「あっぶねえええええええええっ⁉︎」
「お、おい兄ちゃん! 無事か!」
「坊主も怪我してねーか⁉︎」
気の良いおっちゃん達が駆けつけてくれる。
俺はぐったりとした身体に鞭打ち、笑顔で「大丈夫です」と答えた。
「お、おにーちゃん……」
少年はブルブルと震えていた。
ようやく状況を飲み込めたらしい。
俺は少年の頭の上に、ぽんと手を置きながら言った。
「……次からは、周りをよく見るんだぞ?」
「う、うん!」
頷く少年。
すると、ぱちぱちと周りの人達が俺に拍手を送る。
どくんと胸が高鳴った。
……こんな扱い、いつ以来だろう?
いや……違う。
こんな賞賛、俺には受ける資格が無い。
満面の笑みで拍手を送ってくれる人達を見ながら、思う。
俺は、こういう扱いを受けたくて、この子を助けたんだ。
「そ、それじゃあ俺はこれで」
「ありがとう、おにーちゃん!」
駆け足気味にその場を去る。
背後から、少年のお礼の言葉が飛んできた。
俺は軽く振り向き、ニコリと笑って返す。
……出来すぎだな。
絵に描いたような町のヒーロー。
テンプレすぎて逆に引く。
でも、心地良いと思う自分がいる。
「……何してんだ、俺は」
ますます自分が嫌になる。
人助けをしても、気分が落ち込むなんて。
もう、どうすりゃいいんだよ。
「はあ……やっぱり、早く帰ろう」
「ねえ」
「うひゃあっ⁉︎」
突然声をかけられる。
驚いた影響で、変な奇声をあげてしまう。
い、いったい誰だ⁉︎
「……そこまで驚かなくてもいいじゃない」
「え…………ええっ⁉︎」
「また驚いた、忙しいはね」
心臓がさっき以上に鼓動する。
もう、爆発するんじゃないか?
瞳を閉じて、深呼吸する。
ゆっくりと息を吸い、吐いてから瞼を開けた。
黒髪に黒目、シスター服に似た特徴的な制服。
先程俺が見惚れていた、霧沢女学院の美少女が目前にいた。
……俺はいつ、仮想世界にアクセスしたんだ?