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第2部 * 3-(2) *


 陽が、大きく西に傾いた。

 そろそろお開きにするか、との、日向正太郎の息子・静夫の言葉に、帰り支度を始める物界親族。

 大人たちが協力し合ってコンロやシートを持ち運べる状態に片付け、高校生以上と思われる少年2人と少女1人がゴミをまとめる。

 ゴミをまとめている大きなお兄ちゃんたちを真似て、イチくん? とかいう名前らしい2歳くらいの男の子も、自分の足下に転がっていた丸まったアルミホイルを拾い、「あいっ」と、たまたま一番近くにいた大人・万寿美に手渡した。

 受け取った万寿美は、目の前のイチくんに言っているにしては、かなり大きな声で、

「わぁ! ありがとう、イチくん! ちゃんとお片ぢゅけ出来て、お利口しゃんねえ! 」

 これは間違いなく、片付けなど自分たちには関係無いという顔で少し離れた場所で遊び続けている今日華と里桜への当て擦りだろう。

 しかし、今日華は万寿美を一瞥しただけで遊び続け、気にした様子の里桜のことも、

「気にしなくていいよ」

と引き止める。

 万寿美は、大きな大きな溜息。


 すっかり片付け終え、まだ暗くはないものの完全に陽の射さなくなった道を、男性たちが大きく重い荷物を持ち、その他の荷物とゴミを女性たちと大きな子供たちが手分けして持ち、今日華と里桜も、万寿美から強引に、ちょっとしたゴミを持たされて、ゾロゾロと歩き出す。

 その後ろを、小陽と日向正太郎・三郎、日向正太郎の心界親族たちも帰路についた。




 日向正太郎の実家の石柱だけの門の見えるところまで戻ってくると、物界親族の最後尾をプラプラと歩いていた今日華が、

「あっ! 」

突然大きな声を上げ、駆け出しざま、一緒に歩いていた里桜に、

「今日、15日だよねっ? 始まっちゃう! 」

 おそらく、見たいテレビ番組でもあるのだろう。

 今日華の後について、里桜も駆け出し、2人で、前を行っていた物界親族たちを追い抜いていく。

 万寿美の横を通過しつつ、

「もうっ! あんな長い時間、川になんかいないで、もっと早く帰ってくればよかったのにっ!」

文句を言う今日華。

 万寿美は即座に反応。

「あんたたちが片付けを手伝えば、もっと早く帰ってこれたよ! それに、タラッタラ歩いてないで、初めから、どんどん歩けばよかったでしょっ!? 」

 しかし、言い始めた瞬間には、2人は既に後ろ姿。

 その背中を、更に声だけで追いかける万寿美。

「あんたたち! 家に上がる前に、ちゃんと足を拭きなさいよっ! お勝手にタオルを置いてあるから! 」

 返事の無い2人に万寿美が溜息を吐く中、2人の姿は、あっと言う間に門の向こうへ消えた。

 

 その、ほんの数秒後、

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! 」

 耳を劈く悲鳴。

(っ! )

小陽は、ビクッ。

 悲鳴は門の向こう、おそらくは家の中から。声の主は、今日華か里桜のどちらかと思われる。

 走って行った2人がふざけ合って発した奇声といった感じではない。本当に、ただ事ではない悲鳴。

 物界親族の男性たちが、一瞬、互いに顔を見合い、頷き合って、荷物を放り出し、ほぼ同時に門へと走る。

 残された女性たちも、足早に男性たちを追って中へ。

 小陽と日向正太郎・三郎、心界親族たちも続いた。

 すると、玄関とは別の入口……お盆初日に日向正太郎から説明のあった、家族の出入口である勝手口だろう、入ってすぐの土間に、人垣が出来ていた。

 人と人との隙間から覗く小陽。

 人垣の向こう、台所に見えたのは、右側を下にした横向きで床に倒れている久子。

「バアちゃんっ! ヒサバアちゃんっ! 」

今日華が泣き叫びながら久子の背中に縋りつき、その斜め後ろで、里桜が口を両手で押さえ、カタカタと震えて立ち尽くしている。

(店長……! )

 小陽が、すぐ隣にいた日向正太郎を振り仰ぐと、彼からも倒れている久子の姿が見えたのだろう、頷いて見せ、人垣をゆっくりと突っ切り、久子の許へ。顔の覗ける位置に、しゃがんで陣取り、静かに見下ろす。

(ヒサコさん……)

 静夫が今日華の肩を後ろからそっと抱き、そのまま暫く、冷静に久子を見つめて、顔を上げ、周りの物界親族の一人一人に、指示を出した。

 指示に従って人垣がバラけ、物界の親族は、静夫と、泣きじゃくる今日華、震えて立ち尽くす里桜だけが、その場に残る。

 それまで人垣に紛れてしまっていたのだろう、人垣がバラけたことで、小陽は、見知らぬ心体の存在に気づいた。

 白いワイシャツにカチッとしたグレーのズボンという、仕事中の誰か……そう、日向三郎と被る服装の、外見年齢30歳前後の男性。

 男性は、人垣がバラけた後に取り残された心界親族に向けて会釈し、姿勢を戻したところで、

「日向さん! 」

驚きの声を上げた。

 その視線の先は、日向三郎。

 日向三郎はニッコリ笑って頷き、お疲れ様、と返した。

 男性は日向三郎に歩み寄り、

「日向久子さんって、日向さんの身内の方だったんですね」

「うん。甥っ子の……ほら、今そこで、彼女の顔を覗いてる彼の、奥さんだよ」

「ああ、そうなんですね……」

 男性が何か言いたげであると、小陽には感じられた。

 日向三郎も同じように感じたようで、

「……どうかしたの? 」

 男性は、ちょっと言い辛そうに、

「…実は、日向久子さんの様子が、ちょっとおかしくて……」

「おかしい? 」

「はい」

「どう? 」

言いながら、久子のほうへと歩く日向三郎。男性は、その後に従いながら説明。

「予定の時刻が過ぎているのに、心体が肉体から出てこないんです」

 日向三郎は、一度、えっ? となり、しかしすぐに表情を戻し、

山田やまだ君は、今回が何回目の案内なの? 」

 男性は、山田、という名で、久子の担当案内員のようだ。

(案内員が来たってことは、ヒサコさんは……)

 自分自身も、現在の自分と関わりのある全ての人も、皆、既に肉体を失って、心体となっているのに、小陽には、まだ、肉体の死というものが特別なものだった。

 何となく、しんみりしてしまう。泣いている今日華や震えている里桜が、自分が肉体の死を迎えた時の、自分の家族の姿と重なる。

 日向三郎の質問に返して、山田、

「5回目です」

「そう。これまでの4回は、いつも、予定時刻になったら、心体が肉体から出てきたんだね。

 でも、こんなふうに時刻を過ぎても出てこないのも、特に珍しいケースではないよ。高齢の方とか、病気や怪我で病院に入院されている方とか、あとは時間帯で、夜間に多いケースなんだけど、対象者ご本人が眠っているか、眠っているつもりでいるんだ。

 だから普通に、声を掛けるなり体を揺するなりして起こせばいい」

 説明しつつ、日向三郎は、久子の傍ら、日向正太郎が陣取る真向かいに片膝をつき、注意深く観察して、

「……うん、やっぱり問題は無さそうだよ。こんな時、通常なら、僕ら案内員以外の心体が傍にいないことが多いから、僕らが起こすんだけど……」

そこまでで一旦、言葉を切り、

「正太郎」

日向正太郎を見た。

「せっかく君がいるんだから、君がヒサちゃんを起こしてあげて」

 いきなり自分に話を振られ、

「俺っ!? 」

驚く日向正太郎。

「いや、でも……」

 途惑う日向正太郎に、日向三郎は頷き、

「僕が教えるから、その通りにやればいいよ」

「う、うん」

「じゃあ、まず、名前を呼んで」

「サブロー君? 」

「いや、僕じゃなくて、ヒサちゃんの名前」

「あ、そ、そうか……」

 日向正太郎は、頷き、身を屈めて久子の耳元へ唇を寄せ、恐る恐るともとれるくらい、そっと、

「…久子……」

「もっと大きな声で」

「久子! 」

 久子の反応は無し。

「じゃあ、今度は肩を軽く叩いてみて」

 言われたとおり、久子の左肩をポンポン、と軽く叩く日向正太郎。

 久子の反応は無い。

「次は、肩を掴んで揺すってみて」

 日向正太郎は、また言われたとおり、久子の左肩を掴んで揺り動かす。

 すると、

「ん……」

久子から声が漏れた。

 直後、肉体は右側を下にした横向きのまま、心体が、左半身から先に、ゆっくりと肉体から抜け、床へと仰向けに転がった。寝返りをうつような感じで肉体から抜けたのだ。

 肉体からは抜けたものの、まだ眠っている、その姿は、外見年齢20代前半。腰くらいまでの長さのある艶やかなストレートの黒髪に、透けるように白い肌をもつ、顔のつくりの上品な、華奢で美しい女性。

「…久子……」

 日向三郎からの指示ではなく、ごく自然に吸い寄せられるように、日向正太郎は、久子へと両手を伸ばす。

 首の後ろを左手で支え、静かに静かに、上半身を起き上がらせると、久子は、ゆっくりと瞼を開いた。そして、

「…正太郎、さん……? 」

淡い色の薔薇の花びらのような唇で、日向正太郎の名を呼ぶ。

「そうだよ。久子」

日向正太郎は、誠実な態度で答えた。

「長い間、お疲れさん。静夫を立派に育て上げてくれて、俺の両親を看取ってまでくれて、ありがとう」

 久子は涙ぐむ。

「正太郎さん……。ずっと、ずっと会いたかった……。これは、夢ではないのですか……? 」

「ああ、夢じゃないよ。これからは、ずっと一緒だ」

 日向正太郎の言葉に感激したように、何度も何度も頷き、ややしてから、久子は、すぐ傍に横たわる自分の肉体に、ふと目を留めた。

「私は、死んだのですね? 」

「ああ」

「……そうですか」

 納得した様子で穏やかに頷く久子。それから、日向正太郎に支えられるのでなく自力で座る姿勢をとり、自分の肉体に縋って泣く今日華へと、そっと手を伸ばし、髪を撫でる。

「今日華ちゃん。驚かせてゴメンね。こんな所で死んでたら、ビックリしてしまうわね。

 ヒサバアちゃんのために、こんなに泣いてくれてありがとう。優しい今日華ちゃん。ヒサバアちゃんは、今日華ちゃんが大好きですよ」

 急に、今日華は泣き止み、身を起こした。そして、髪を撫でる久子の手の上に、自分の手を載せる。

「どうした? 」

 静夫の問いに、今日華、

「なんか、今、ヒサバアちゃんが、イイコイイコしてくれた気がした」

「……そうか」

 静夫は、ただ頷いた。

 久子は、今日華の手の下から自分の手を静かに引き抜き、

「静夫ちゃん」

今度は静夫に向けて語りかける。

「静夫ちゃんの子供の頃、静夫ちゃんがいてくれたから、お母さん、頑張れたのよ。ありがとう。

 静夫ちゃんが立派に大きくなって、その姿を傍で見ていることができて、いつものことなのに、いつもいつも、嬉しかった」

「…お母さん……? 」

驚いたように呟き、姿勢を低くして至近距離から、横たわる久子の顔の覗き込む静夫。

 その位置から、お母さん、お母さん、と、何度か呼びかけ、小さく息を吐きつつ姿勢を戻した。

 今日華が上目遣いに静夫を見、無言の問い。

 答えて静夫、

「ああ、今、バアちゃんが何か言った気がしてな」

 それを受け、明らかに期待を込めて、今日華は久子を覗こうとする。

 しかしその前に、

「でも、気のせいだったよ」

 分かり易くガッカリする今日華。

 静夫は、悪い、と、小さく小さく言った。

 そんな2人のやりとりを、愛しげに見つめる久子。

 ややして、久子は日向正太郎を振り仰ぎ、

「正太郎さん。私ね、とても良い人生だったんです。

 いつも正太郎さんに会いたかったけれど、寂しくはなかった。大勢の家族に囲まれて、幸せでした。

 正太郎さんと結婚できたおかげですね。これから、よろしくお願いします」

 日向正太郎は、何の言葉も無く、久子を自分の胸へと引き寄せた。

 久子は安らかな表情で目を閉じ、日向正太郎に体を預ける。

(…店長……。ヒサコさん……)

 大柄で逞しい日向正太郎と華奢で美しい久子が寄り添う姿は、何だかとても絵になって、小陽は見惚れた。


 その時、外で、車の止まった音がした。続いて、車のドアを閉める音と、慌ただしい複数の足音。

 ちょっとの後、おそらく医師であろう白衣姿の年配の男性と、日向正太郎の物界親族の男性の1人が、勝手口から駆け込んで来た。

 白衣姿の男性は、一瞬、足を止め、久子の肉体を認めた様子を見せると、すぐさま駆け寄る。

 白衣姿の男性に、ぶつかるワケが無いが、ぶつかられそうになり、反射的に避けた日向正太郎。久子に、

「騒がしくなってきたし、移動するか」

 頷く久子。

 頷き返し、久子を支えつつ、日向正太郎は立ち上がる。

 と、

「えっ!? 」

久子が、その上品な美しさを持つ外見には、およそ似つかわしくない、頓狂な声を上げた。

「叔母様方……っ? 」

 立ち上がり、目線が変わって初めて、久子は、周囲にいた心界親族に気づいたようだった。

「サブローさんも、良子姉さんも、幸子ちゃんも……!? 」

 日向三郎に関しては、案内員の山田と共に、久子のすぐ近くにいたのだが、たまたま視界に入っていなかったらしい。

「お盆だからな。久子には見えてなかっただろうけど、毎年、お盆には、こうして、ここで皆で集まってるんだ」

 日向正太郎の説明に、

「そう…なのですね……? 」

その部分は理解したらしいが、

「でも……。サブローさんはともかく、皆様、お姿が随分とお若い……」

 日向正太郎は苦笑し、

「久子も、そうだよ」

「え……? 」

 日向正太郎が何を言っているのか分からない様子の久子。

 末子が、手にしていた渋めの和柄のポーチの中をガサゴソやりながら日向正太郎と久子に歩み寄り、

「使うかい? 」

手鏡を取り出して差し出す。

「心界の鏡。物界のじゃ、映らないからね」

 ありがとうございます、と、日向正太郎は手鏡を受け取り、久子の顔が映るように向きを調節。

「ほら、見てみ? 」

 言われるまま、鏡を覗く久子。

「……え? 」

 映っているのは、当然、今現在の、外見年齢20代前半の久子の顔。

「これ……」

 久子は鏡を見れる範囲で右を向いたり左を向いたり上を向いたり下を向いたりして、映っているのが自分であることを確かめ、

「私、ですね……」

「高齢で死ぬと、肉体から出た時に、若い頃の姿になるらしいんだ」

 説明する日向正太郎。

「そうなのですか」

 納得した久子。

 その声に嬉しそうな響きを感じ、小陽は意外だった。

(…若返りたいとか思うようなタイプには見えなかったけど……。まあ、でも、もしかしたら、ある程度の年齢以上の女性なら、無条件に嬉しいものなのかな……? )


 末子に礼を言って、日向正太郎は鏡を返す。

 一緒になって礼を言ってから、久子、

「ところで」

頭をクリン、と動かし、土間に立つ小陽を目線で指して、

「あちらの方と」

もう一度クリン、と動かし、案内員の山田を指して、

「こちらの方は、どなたですか? 」

 答えて日向正太郎、先ずは小陽を指し、

「あれは、サブロー君のイイ人」

(はあっ!? )

 日向正太郎の中で、小陽と日向三郎の関係がそうなってしまっているのか、それとも、面白がっているだけなのか……。

 小陽は、勝手におかしな紹介の仕方をされてムッとしたが、すぐに、

(でも、まあ……)

そうしておいたほうが、夫婦関係の平和のためには良いのだろうな、と、許した。

(だって、『自分の店のバイトの子が行くとこ無いから連れて来た』とか、微妙な感じがするし……)

「そして、こっちが」

 続いて、日向正太郎は、案内員の山田を指す。

 と、山田は自ら、

「心界役場住民課案内員の、山田大輔やまだ だいすけです」

自己紹介し、

「すみません。先程、ご主人が、『これからは、ずっと一緒』と仰っていましたが、初期研修がございますので、それは本日から起算して50日目からということになりますので、ご了承ください」

「あ、そうか。ゴメン。忘れてた」

 日向正太郎が頭を掻く。

 小陽には、日向正太郎の隣で、久子が、頭上に「? ? ? ? ? 」のマークを出したように見えた。

(そうだよね。やっぱ、あの案内員の山田さんって人が言ってること、丸ごと分からないよね……)

自分が肉体の死を迎えた時のことを思い、うんうん、と、同調する小陽。


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