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第2部 * 3-(1) *


「コハ! お肉焼けたってー」

 幸子から声が掛かった瞬間、世界は本来の輝きを取り戻した。

 真夏の太陽の光を、流れの緩やかな水面がキラキラと反射する。しかし、その陽射しほどの熱は感じられない。対岸の近すぎる山のおかげだろうか。

 小陽は声のほうを振り返る。

 心ここにあらずといった感じで他の心界・物界親族の皆に背を向け川辺にひとり佇む日向正太郎を気にしていた結果、小陽まで、同じく、心ここにあらずになっていた。

 小陽の視線の数メートル先で、良子が、バーベキューの網の上の串刺しになった肉を、団子等と同じ要領で分裂させ、幸子に2本、手渡した。

 受け取った幸子は、1本を頬張りつつ、もう一方の手に持った、もう1本を、小陽に向けて突き出す。

「あ、はい! 」

 返事をし、小陽は駆け足で幸子のもとへ。

 今日は、お盆休み3日目。日向正太郎に半ば強引に連れてこられた、彼の実家で、お盆休みを過ごしている小陽は、日向正太郎・三郎と、その心界在住の親族と共に、物界の親族の川遊びに、朝から同行しており、今は昼食のバーベキューの時間だ。

 食材が焼き上がった瞬間を見計らっては、物界の親族たちが手を付ける前に、良子が分裂させ、心界の親族の分を確保している。

 幸子から肉の串を受け取った小陽、

「ありがとうございます! いただきますっ! 」

 しかし、どこから口をつけてよいのか分からない。

 どこからにしても、かなり大きな口を開けることになる その形状に、一瞬、途惑ってから、幸子を真似て、串を横にしてかぶりつく。

 よく晴れた空の下で、大自然の爽やかな空気の中、食欲をそそる香ばしい香りと、途惑いながらもかぶりついた時の、しっかりとした噛みごたえ、直後に口の中いっぱいに拡がる甘味のある肉汁。

(…おいしいっ……! )

 屋外でバーベキューなど、物界で生きていた期間を含めてみても、初めての体験だ。

「おいしいねっ」

 幸子が小陽の顔を覗き込み、ニカッと笑う。

「もうすぐ、エビとホタテの串も焼けるみたいだよ。あと、トウモロコシもっ」

 すると横から、良子、

「その前にピーマンとタマネギの串が焼けるわよ」

 えー……と、嫌そうな顔をする幸子。

「ダメよ。野菜も食べなさい」

 良子はピシャリと言ってから、コンロに目をやり、

「ああ、ほら。丁度焼けたわ」

言って、ピーマンタマネギ串を小陽と幸子に押しつけるように渡す。

 良子に怒られたくなくて、小陽は、あまり得意ではないが、大人しく食べる。

「ほら、見なさい。小陽ちゃんはエライわねー」

 良子の言葉に、幸子は渋々、ピーマンタマネギ串に口をつけた。

 そうしながら、幸子は良子をチラチラと見つつ、小陽にヒソヒソ耳打ち(内容は無い)して、良子が、

「何ですっ? 」

と怒るのを見て笑う。

 初めての体験……こんなふうに、他人と打ち解けて時間を過ごすのも……。

 お盆初日の花火の時に仲良くなって、それ以降、幸子とは、夜、布団を並べて寝て、2日目の朝に物界の親族たちが墓参りに出掛けるのに心界親族全員で同行した際も、ずっと隣を歩き、墓参りから戻って僧侶の読経に何故か心を癒されている間も、その後の、物界の親族が僧侶を囲んで会食するのを隣の部屋の盆棚に供えられた同じメニューで楽しんでいる間も、自然と一緒にいた。小陽をこの家に連れて来た日向正太郎とは離れて……。

 特に積極的に離れているワケではない。小陽が幸子と楽しそうにしているため、日向正太郎が遠慮して遠巻きに見守っているワケでもない。

 むしろ逆。

 幸子と過ごしながらも、小陽は何となく、ほぼ常に、日向正太郎を目で追っていた。

 日向正太郎の視線は、いつも久子。

 その日向正太郎の姿に、小陽は、自分でも理由の分からない苛立ちを覚え、そんな自分を持て余していた。

 常に久子を見ていた日向正太郎が、今は心界・物界親族の皆に背を向けているのは、ここには久子がいないためだ。久子は、昨日の墓参りで疲れてしまったとかで、家で休んでいる。

 日向正太郎が背を向けているのを、小陽は初め、

「どうしたんだろ? 具合でも悪いのかな? 」

と心配していたが、久子がいないから皆のほうを向く必要が無いのだということと、おそらく久子が心配なのだろうということに考えが至った途端、何故か更にイライラしてきた。

「皆さん、トウモロコシが焼き上がりましたよ」

 良子の声かけで、コンロの周りに集まる心界親族。

 日向正太郎は、やはり集まらない。

 良子が、

「正太郎、何も食べてないわね」

日向正太郎をチラリと見ながら心配げに眉を寄せ、

「これ、正太郎に渡してきてちょうだい。あの子、トウモロコシ好きだから」

例によって分裂させたトウモロコシを、1本、幸子に差し出す。

「えー……」

 幸子はあからさまに面倒くさそうに拒否。

 小陽は良子が怒り出すのを恐れ、

「あの、わたしが渡してきます」

 それに対し、良子、小陽がそう言いだすのを分かっていたかのように、にこやかに、間髪入れずに、

「じゃあ、お願い」




「店長」

 小陽がトウモロコシを手に背後から声を掛けると、日向正太郎は無言で気だるげに振り返った。

 小陽は軽くイラッとし、日向正太郎の胸元へと、強引に押し付けるように、トウモロコシを渡しながら、ほぼ気遣いではなく、

「そんなに奥さんが気になるなら、奥さんと一緒に留守番してればよかったじゃないですか」

 条件反射でトウモロコシを受け取りつつ、日向正太郎、

「いや、そういうワケにもいかないだろ。俺が小陽を連れてきたんだから、ちゃんと見てなきゃいけねえし」

(は? 見てなかったじゃん。完全に背中向けてたし)

 この人は一体、何を言ってんだろ? ……と思った以上に、小陽は、日向正太郎が自分について「仕方なく」といった感じであることに傷ついた。

 日向正太郎の顔を見れず、目を逸らす。暗いものが胸の中を重く渦巻いていた。

「どうして、わたしを連れて来たんですか? 面倒くさいなら、わたしなんて連れてこなきゃよかったじゃないですか。そんなふうに思われてまで、来たくなかったです」

言ってしまってから、小陽は、言い過ぎた、と思い、口を押える。

 店長は元気の無いわたしを元気づけようとして連れてきてくれたのに、と。

(来れてよかったとは、思ってる。ユキコさんと友達になれたし、初めての色々な体験ができた。店長のおかげだって、ちゃんと感謝もしてるのに……)

言い過ぎたことへの謝罪の言葉が出てこない。

(何でだろ……。わたし、そういうとこ、あるよね……。つい言い過ぎて、すぐ、言い過ぎたって気づくのに、何でだろう、「本当のことだし」とか「相手だって悪いんだし」とか思っちゃうからかな? 謝れない……)

 恐る恐る、日向正太郎を窺うと、日向正太郎はキョトンとしていた。それから、ちょっと困ったように、

「あ、えっと……。ゴメン、俺、何か気に障るようなこと言った? 」

(…なんか、わたし、馬鹿みたい……。ひとりで勝手に傷ついて、怒って、反省して……)

 小陽は思わず溜息。俯いて、顔だけでなく完全に視界から日向正太郎を追い出し、

(馬鹿みたいで……。恥ずかしい……! )

ついには、その前から逃亡を図った。

「小陽」

咄嗟に小陽の二の腕を掴んで止める日向正太郎。

 とにかく恥ずかしくて、手を振り払い、また逃げる小陽。

「小陽! 」

日向正太郎は再度、腕を掴んだ。

 再び振り払い、小陽は今度こそ日向正太郎から離れた。




 川べりを上流方向へと向かって、ズンズン歩く小陽。

 突然、目の前に、瞬間移動で日向三郎が現れ、行く道を塞いだ。

「小陽さん、この川の上流には、中間域がたくさんいて、危ないらしいですよ。戻りましょう」

 小陽は足を止め、力なく俯く。

(…戻りたく、ないな……。わたし、何だかすごく恥ずかしい奴じゃん……。こんな、みっともない自分を、他の人に見られていたくない……)

「小陽さん? 」

日向三郎が、心配そうに小陽の顔を覗き込む。

「……サブローさん。わたし、なんか変なんです。こんな自分、嫌だ……。みっともなくて、恥ずかしい……」

「何か、あったんですか? 」

「……店長がヒサコさんを見てるのを見てて、イライラして……」

 日向三郎は、小陽の小さな小さな声を誠実な態度でキチンと皆まで聞き取ってから、フッと優しく笑み、

「小陽さんは、正太郎のことが好きなんですね」

(へっ!? )

驚く小陽。

 逆に驚き、えっ? となる日向三郎。

「違うんですか? だって今、小陽さんの言ったことって、完全にヤキモチですよね? 」

(ヤキモチ……? わたしが、店長のこと、好き……? )

 首を傾げる小陽に、日向三郎は驚きを消し、優しい笑みを呼び戻して、うんうんと何度もうなずいて見せながら、

「正太郎を好きというのは僕の勘違いだとしても、小陽さんに、小陽さん自身を大切に思う気持ちを確認出来たので、安心しました」

(安心? )

 小陽の無言の問いに、日向三郎は、もうひとつ頷き、

「正太郎から小陽さんのことを聞くにつけ、心配していたんです。許可証偽造の件での刑期を終えて雛菊に戻って以降、元気が無いって。やるべきことはキチンとこなすんだけど、笑わないし、何事にも……特に、自身の昇給や仕事に無関係のスキルアップには興味や意欲が感じられないって。

 でも、小陽さんが今まさに抱いている感情は、みっともなくて恥ずかしいのは興味だし、それを嫌だと思うのは、何とかしたいという意欲でしょう? それって、自分自身を大切に思えているということですからね」

 と、その時、左足首に、スル……と何かが這うような感触があり、

(? )

確認するべく視線を下に向けようとした小陽。

 直後、ガッ!

 その何かが、そのまま強く絡みつく。

 同時、

(! )

 川のほうへ勢いよく引っ張られ、転倒した。

 変わらず感触のある足首を見れば、

(…手……!? )

 男性のものと思われるゴツゴツした大きな右手に掴まれている。

「小陽さんっ! 」

 日向三郎が慌てた様子で身を屈め、

「中間域です! 逃げましょうっ! 」

小陽の手を取ろうとするが、一瞬早く、小陽は更に引っ張られ、地面を引きずられる格好で川の中へ。

 小陽は水を飲んでしまうことを避けるべく、咄嗟に息を止め、水の冷たさも覚悟する。

 しかし、冷たくない。それ以前に、水に濡れていない。

 その理由に すぐに気づき、小陽は、呼吸も再開した。

 ここにある水は物界の物質。

 当然、浮力も作用せず、引っ張られる方向が下向きになったのに合わせて、いっきに下降する。

(嫌だ! 怖いっ! )

 小陽は下降を止めようと、川の中の側面から突き出ている岩に手を伸ばすも、掴めるはずもなく、空振り。

 そう言えば、川に入る前に引っ張られた時も、たまたま引っ張られる方向が横だったため、格好としては地面を引きずられていたが、そのための怪我などは無い。

 小陽がもがいている間に、掴まれている感触は増える。初めの1つから、2つ、3つ、4つ……。掴まれている箇所も、左足首だけでなく、右足首、両脛、両膝、両太腿……と、次第に上方向へも。

 5つ、6つ、7つ、8つ……いや、もっとたくさん。増え続ける、小陽を掴んでいるものの正体は、最初に左足首を掴んだものと同じく、手。何故か、手だけ。

 手からつながって何かが存在しているようにも見えるが、黒く淀んで、よく分からない。

 分かるのは、自分が、その黒く淀んだ中に引きずり込まれようとしていること。

 引きずり込まれてしまったら、自分も、淀んだ中から手だけが出ている存在になってしまうかもしれない、と、それまでの、自分の意に反する動きに対しての漠然とした恐怖から、そうなってしまうのは嫌だと、はっきり形のある恐怖へ変わる。

 だが抗えない。強い力で掴まれ、引っ張られる。

 ここは物界。周囲に存在している全ての物が、物界の物質。小陽には触れられない。

 抗うべく力を込めるための取っ掛かりが無いのだ。

 ほんの数秒前までの自分が、触れることの出来ないはずの地面の上に、どうして立って留まっていられたのか、どのようにして歩いたり走ったりしていたのか、分からない。

(助けて! 誰か! サブローさん! ユキコさん! …店長……! )

「小陽さんっ! 」

 頭上で、日向三郎の声。

 見上げれば、すぐ真上に日向三郎の顔。

 日向三郎は腕を伸ばし、小陽の腕を掴むと、引っ張るように力を入れ、反動を使って180度、体の向きを変え、小陽と並んだ。

 日向三郎の脚の、水を蹴るような動きのためか、意に反しての下降が止まる。

「サブローさん……! 」

 小陽は思わず、日向三郎の首に縋りついた。

 日向三郎は、小陽の背中に遠慮がちに両腕を回し、宥めるようにポンポンッとやってから、首に絡められた小陽の腕はそのままに、自分の手だけを離して、少しだけ小陽との間に隙間をつくり、小陽の目を覗いて、

「小陽さん。ここは水中です。泳いで下さい」

(はあっ? )

 日向三郎の言葉に驚き、軽くイラッとする小陽。こんな時に、何を変な冗談言ってるの? と。

 日向三郎は小陽の言わんとすることを察したようで、頷いて見せ、

「僕たち心体は、物界で生きていた頃、肉体という殻を被っていたようなものでしょう? つまり、今、物界で生きている人たちの中にも、心体が存在してる。

 人工物か自然の物かを問わず、物も同じなんです。

 これは、物界の物質に触れられる技能を習得しようとした時の基本なのですが、その物質の中にある、人間で言うところの心体のようなものを意識して、それを動かすイメージを持つんです。ようは、思い込みですね。

 小陽さんだって、さっきまで、普通に地面を歩いていたでしょう? 皆、あまりにも普通に出来ていますが、それも、地面なんだから歩けるはず、という無意識の思い込みから出来ているんです。

 ですから、水中のここでは、泳いでいるつもりになれば、自分の動きをコントロールできます」

 と、その時、背後から、

「サブロー君! 小陽! 」

日向正太郎の声。

(店長……!? )

 振り返れば、遠くに、触れないはずの水を両掌で掻き分けるようにしながら、グングンと早いスピードで、小陽と日向三郎に近づいてくる、日向正太郎の姿。

 それを、

「ほら、あんなふうに」

日向三郎は説明に役立てる。

「そうして自分をコントロール出来るようになったら、次は……」

 そこまでで、日向三郎は話を止め、自分の足のほうへ視線を移した。

 つられる小陽。

 すると視線の先では、今まさに、中間域の手が、日向三郎の足を掴もうとしているところだった。

「サブローさんっ! 」

 慌てる小陽。

 日向三郎は、

「大丈夫ですよ」

 落ち着き払った態度で笑みさえ浮かべて言ったかと思うと、中間域に向け、目をカッと見開き口をクワッと開けて、威嚇。

 ビクッと怯んだ様子の中間域。

「次は、中間域も僕たちと同じ心体ですからね。心体同士の、ただの喧嘩です」

 日向三郎は、人指し指で軽く眼鏡を押し上げ、ニヤリと不敵に笑う。

(…なんか、サブローさん、いつもと違う……)

 そう感じた小陽が、そのまま口に出して言うと、

「違いますか? それは、きっと、僕が中間域に対して怒っているからでしょうね。小陽さんに危害を加えられて」

(…サブローさん……)

 小陽は、日向三郎が自分を大切に思ってくれているのを感じ、感動する。

 感動と照れくささが混じった、不思議な気持ち。

「コントロールのコツはお伝えしましたが、いきなりは難しいと思うので、このまま、僕に掴まっていて下さい」

 小陽は何度も頷き、しっかり掴まる。

(だって、わたし、水泳したこと無いし! )

 そこへ、

「うぉーらぁぁぁぁーっ!!! 」

雄叫びと共に、背後から、足元を強風が吹き抜けた。

(! )

 脚を持っていかれ、小陽は、日向三郎に掴まる手に、更に力を入れる。

 同時、中間域の手が離れ、自由になった。

 いつの間にか、視界前方斜め下の川底に、日向正太郎の後ろ姿。

 たった今まで小陽を掴んでいた中間域の手からつながる黒い淀みは、日向正太郎の正面へ移動している。

 吹き抜けた強風は、日向正太郎だったのだ。

 日向正太郎は、いかにも「そこら辺で拾いました」といった感じの棒っきれを右手に持ち、淀みへ向けて突き出して、牽制している。

 淀みは、まるで日向正太郎を窺っているかのように、ただ縦に伸びたり横に伸びたり。手は出してこない。

(…店長……。わたしがどうすることも出来ないでいた中間域を……。……スゴイ! )

 感心する小陽。

 そのすぐ耳元で、日向三郎は、

「…まったく、正太郎は……。子供の頃から、いつもこうだ。後から来て、美味しいとこを攫ってく」

溜息まじりの独り言。

(店長とサブローさん、仲良さそうに見えるけど、何か確執が……? )

 チラリと、小陽は日向三郎を盗み見る。だが、機嫌が悪いのかと思いきや、日向正太郎を見つめる表情は、どこか誇らしげ。

「せっかく僕が、小陽さんに、カッコイイところを見せようとしてたのに」

「へっ!? 」

小陽は、誇らしげなまま続けられた日向三郎の思わぬ言葉に、ドキッ。至近距離から、その顔を振り仰ぐ。

 小陽の驚きの声に、

「えっ!? 」

日向三郎も逆に驚き、それから、

「あ、じょ、冗談です。すみません」

取り繕うように笑って見せた。

(なんだ、冗談か。ビックリしちゃった……)

 何故かちょっとガッカリしながら、小陽は、黒い淀みと対峙している日向正太郎のほうへと視線を戻す。

 日向正太郎は淀みへ棒を向けて牽制を続けていたが、突然、緊張を解き、見た目に明らかなほど力を抜いて、

「さて、と……」

小さく息を吐きつつ、手にしていた棒をポイッと捨てた。

(っ!? )

 驚く小陽。

(店長! 何してるのっ……!? )

 驚いたのは小陽だけではない。淀みも、縦横に伸びるのをやめ、警戒しているかのように、ジリッと、僅かだが日向正太郎と距離をとった。

 そんな中、日向正太郎は、右手の親指を立てて自分の背後、下流方向を指しつつ、徐に口を開く。

「あっちの岸の上で、バーベキューやってんだけど、あんたらも、どお? 」

(はあっ!? )

 驚いたのは、やはり小陽だけではない。ザワワ……と、淀みが酷く動揺する。

 同時、淀みの黒色が少し薄くなったように見えた。

 色は見る間に薄くなっていき、動揺を見せた数秒後には、完全にクリアーに。

 黒く淀んで見えなかった、そこにいたのは、外見年齢様々な男女17人の心体。

(…どう、して……? どういうこと……? )

 小陽はワケが分からなかった。

 淀みが、黒く淀んだものに手だけが何本もくっついている1人の異形の者ではなく、中に17人の心体が存在し、何らかの理由で淀んだものに包まれていたものだということは理解できた。疑問は、そうではなく、何故、淀んだものが消えたのか。

(店長……? 店長が誘ったから……? )

「人数は多ければ多いほど楽しいし、行こうぜ? 」

 繰り返し誘う、日向正太郎。

 小陽は、

(…同じだ……)

気づく。日向正太郎の対応が、目の前の、中間域と呼ばれる心体の人たちに対してのものと、自分を、ここ、彼自身の実家へ一緒に行こうと誘った時のものが、同じであると。

(…店長って、皆に同じなんだ……。自分が特別なような気になってたけど……)

 何だか急に、日向正太郎の背中が小さく見えた。小さく見えて、落ち着いた。ほんの少しの寂しさのような感情を伴って……。

 日向正太郎が久子を見ているのを見ていてイライラしたのも、きっと、自分が特別なような気になっていたせい。日向正太郎の存在が、小陽の中で、「自分を特別に思ってくれる特別な人」になっていた。

(すごい勘違い……。わたしって、やっぱ、恥ずかしい奴……)

 そう心の中で呟きながら、しかし、皆に分け隔てないヒーローの後ろ姿に、

(…仕方ないか……)

不思議と温かい気持ちで許せていた。勘違いさせた日向正太郎のことも、勘違いした自分自身のことも……。

 日向正太郎の誘いに、淀みの中にいた心体のうち、彼の正面にいる、それぞれ30代半ばくらいと50歳前後と思われる外見年齢の男性2人が顔を見合わせ、

「…いや、俺たちは……。なあ? 」

「…うん……」

 日向正太郎は、

「…そうか……」

残念そうに頷いてから、

「じゃあ、まだあと1時間くらいはバーベキューしてるだろうし、その後も、夕方まで、そのまま遊んでるからさ、気が向いたら来てくれよ」

そうして、「…ああ……」「うん……」との男性2人の曖昧な返事を受け取り、満足げに頷いて踵を返すと、小陽と日向三郎のいる地点の真下より少し手前で上昇してきた。

 小陽の目の前で止まり、

「小陽……」

気まずそうに遠慮がちに口を開く日向正太郎。

「ゴメン。俺……」

(…店長、わたしが怒ってると思って気にしてるんだ……。確かに、店長のことでイラついてたし、傷ついたのも事実だけど、それって、もとはと言えば、わたしの恥ずかしい勘違いからきてて……。あ、でも、勘違いさせたのは店長だし……って、ダメダメ! この考え方は、わたしの悪い癖だ! …ああ、なんか、頭がゴチャゴチャする……)

 小陽は小さく小さく息を吸って吐き、気持ちを落ち着けてから、

「…あの……。助けてくれて、ありがとうございました。あと、さっきは言い過ぎました。ごめんなさい。ここへ連れてきてくれたこと、感謝してます」

今、どうしても伝えなければならないと思うことだけを選んで口にした。

 日向正太郎は、ちょっと驚いた表情を見せてから、

「おうっ」

ニヤッと笑った。

 けっして、ついでではない……と言うか、実際に小陽を救ったのは、むしろ日向三郎のほうであると、小陽は認識しているが、タイミング的に、ついでと思われてしまいそうと、気にし、かといって、言わないのは余計におかしいと、仕方なく、小陽は、日向三郎にも、

「サブローさんも、ありがとうございました」

 日向三郎は、

「どういたしまして」

ニッコリ優しく笑って返す。

(…この、笑顔……)

 小陽は何だか、胸がキュッとなった。ついでではないと、どうしても知ってほしくて、

「サブローさん……っ! あの……っ! 」

 しかし、どう伝えてよいか分からず、口ごもっていると、

「お? 」

日向正太郎がニヤニヤしながら、

「何か2人、イイ感じっ? イイ感じなのっ!? 」

 それに対し、イラッとする小陽。

(もうっ! 店長! どうしてそんなこと言うのっ!? たった今まで、わたしを怒らせたと思って気にしてたんじゃないのっ!? )

 そして恐る恐る、日向三郎の反応をチラッと窺う。と、

(……。サブロー、さん……? )

日向三郎は、照れているだけで、特に気分を害した様子は無く、嬉しそうにさえ見えた。

(…サブローさん、わたしとのことを、こういう言い方されて、嬉しいの……? )

 小陽は、ちょっと、くすぐったくなる。




 まだコントロールが不安な小陽が、日向三郎に支えられ、日向正太郎と連れ立って、そのまま川の中を進み、引きずり込まれた地点まで戻ると、その岸に、日向正太郎の心界親族が全員、集まっていた。

 岸へ上がり、日向三郎から離れた小陽に、

「コハ! 」

幸子が、ドーンッとぶつかるような勢いで抱きつく。

(…ユキコさん……)

 続いて、

「小陽ちゃんっ! 」

良子が駆け寄ってきた。

(怒られるっ! )

 小陽はビクッとするが、良子は両腕を伸ばして、幸子ごと小陽を包み込み、

「心配したのよ? 良かった、無事で……」

涙声で言う。

(ヨシコさん……。あったかい……。なんか、とても、あったかい……)


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