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第2部 * 1 *


「お疲れ様です」

 仕事からあがり、小陽は、ルールとして決められている挨拶をしながら休憩室のドアを開ける。

「あ、小陽サンっ! お疲れ様ですぅーっ! 」

 休憩室内、入口に最も近い、位置的に入口に背を向ける形になる席に座っていた私服姿の少女・楠本美咲くすもとみさきが、明るい声と笑顔と共に、小陽を振り返った。

 その手には、雛菊のマニュアル。雛菊には、3ヵ月毎に昇給テストを受けられるシステムがあり、美咲が入ったのは2カ月半ほど前なため、おそらく、それに向けた勉強だろう。

 勉強に戻った美咲を横目に見ながらロッカーの私物を取り、小陽は、更衣スペースへ入って、仕切りの厚手のカーテンを閉め、着替える。 

 小陽が雛菊に入ってから、もうすぐ丸1年。

 入店後間もなく起こしてしまった許可証偽造の件は、小陽が心界に転入してから、初期研修の期間や間にあったお盆休みの期間を合わせてみても、まだ2カ月にも満たず、心界の法律などに疎かったであろうことや、物界に遺してきた家族が非常に心配な状態にあったとの特殊な事情から情状酌量され、本来ならば消滅刑・物界で生きている間に犯罪を犯した者の肉体の死後に行く地である地獄への流刑に次いで重い終身刑のところを、禁固3カ月と転入者初期研修のやり直しに減刑されていた。

 刑期を終えた小陽は、心を入れ替え……たわけでは特になく、自分の無力さへの絶望から、許可証を偽造して物界へ行ったあの日以降は物界へ行かず、また、自分のしたことで保護管理責任者としての責任を問われ職場雛菊での1ヵ月間の謹慎を命ぜられてしまった日向正太郎への、せめてもの償いの気持ち、そんな目に遭わされながら小陽を解雇しようとはしなかったことへの感謝の念を胸に、決められた仕事を確実にこなしながら、ただ、その日その日を過ごしている。




「おう、お疲れー」

 日向正太郎が休憩室に入って来たらしく、カーテンの向こうで声がする。

「お疲れ様ですぅー! 」

「お、勉強? 昇給テストの? 」

「はいっ」

「そっか。感心感心。……そういや美咲、お前、今回が初盆だよな? 明日からのお盆休み、帰省するんだろ? 行き方とか大丈夫か? 」

「はいっ。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、家族全員一緒なのでっ」

「そりゃ心強いな。……って、あれ? その場合、どこに帰省するんだ? 」

「基本はお父さんのほうのおじいちゃん・おばあちゃんのとこでー、途中でちょっと、お母さんのほうのおじいちゃん・おばあちゃんのとこにも顔を見せに行く予定ですっ」

「大忙しだな」

「はいっ。でも楽しみですぅっ」

「そうだな。美咲は普段からしっかりやってるから大丈夫だから、お盆の間くらいはテストのことは忘れて楽しんでこい」

「はいっ。ありがとうございますぅ! ところで店長のほうは? 店長も、もちろん出掛けるんですよね? 」

「ああ。俺は、もうお盆だけでも70回以上行ってるけどな。ま、楽しみは楽しみだけど」

(…着替え終わったけど……。今、出てったら、この話、わたしにも振ってくるんだろうな……)

 楽しげな2人の会話に、小陽は、更衣スペースの中で溜息を吐いた。

 特に急いで帰る用事などは無いが、美咲は、これから仕事のはずで、着替えなければならず、更衣スペースは、今、小陽のいる、ここしか無いため、早めに出なけれがならない。

 小陽はもうひとつ溜息を吐いてから、仕方なく更衣スペースを出る。

 すると案の定、

「小陽も、お盆休みは帰省するんだろ? 」

 日向正太郎が話を振ってきた。

「いえ、しないです」

 最少限だけ短く答え、

「お先に失礼します」

休憩室を出る小陽。

 閉めたドアの向こうから、

「何かー、前から思ってたんですけどぉ、小陽さんって、暗いですよねー」

美咲の声。

(…暗い……? …まあ、いいけど……)



                  *



『どーもー! 皆さん、こんにちはー! リョーピンこと、一ノ瀬良介いちのせりょうすけでーす! 』

 雛菊から自宅アパートへと帰る途中の繁華街では、小陽の通るこの時間、いつも、このパーソナリティーによる陽気なラジオ番組の音声が流れている。

『さて、皆さん! 明日から、待ちに待った お盆休みですねー! 準備はお済みでしょーかっ? ……え? 今やってるところだ。黙ってろ? はーい、申し訳ございません! 実は、私・リョーピンもまだですっ! 番組が終わったら、閉店間際のお店にダッシュします! と、いうわけで! 今日も夕方の3時間、お盆休みの準備のBGMとしてお付き合い下さいっ……【リョーピン・ターイム】ッ! 』

 そう、明日から、ここ心界は、お盆休みに入る。

 お盆休みとは、物界で行われる行事に合わせた4日間の連休で、その行事に参加するべく、心界で暮らす ほとんどの人が、物界へと出掛けて行く。

 その行事とは、祖先の霊を自宅へ招く、お盆と呼ばれる、仏教行事の盂蘭盆が元となった民族行事で、言うまでもなく、連休の名は行事名から取っている。

 小陽は今回のお盆休みを、どこへも出掛けず自宅でひとり、のんびりダラダラと過ごす予定だ。

 それに備え……と言うか、全ての店がお盆休み中は休業してしまうため必要なこととして、普段は遅めの昼食と夕食を兼ねたガッツリめの食事1食分と翌朝用のパンとヨーグルトと野菜ジュースをコンビニで買うだけで通り過ぎる繁華街で、4連休に耐えうるだけの食料品を買い込み、テレビやラジオも放送しないためDVDやCDを大量にレンタルし、雑誌も、ティーンズ向けのファッション誌や少女向けの漫画雑誌など自分の楽しめそうなものを何冊か買い求め、と、いつもに比べ、かなり長時間を過ごしている。

 淡々と必要な物を買い揃えていくだけの小陽とは対照的に、周囲の人々は、皆、一様に、どこか浮き浮きした落ち着かない様子だ。

 人出も多く、普段から賑やかな場所ではあるが、今日は特に賑やかだ。

 雛菊も、今日は、買物を終えた人や途中の休憩と思われる人の来店で忙しかった。

 今朝のテレビのワイドショーの情報に拠れば、お盆休みに心界へ残るのは、まだ転入者初期研修の期間中なため出掛ける資格を満たしていない人々や、その案内員。出掛ける先の無い、ごく少数派の人々。そして、残る人々の最低限の生活や医療、通信、交通手段を確保するために当番制で残るライフライン・医療・通信・交通関連の仕事をしている人々だけで、人口の実に97パーセントの人々が物界へ出掛けるらしい。

 番組内でのコメンテーターの見解としては、それだけ多くの人が出掛けるのは、お盆が物界で古くから行われ根付いている行事であるため、かつて物界で暮らしていた心界の人々は、自分が肉体を失って物界から心界へ引っ越したら毎年お盆に実家へ帰省しなければ、という考えを自然に持っていることと、通常は煩雑な手続きの必要な物界への出界が、お盆休みの4日間は簡略化され身分証明書の提示のみでOKなためではないかとのことだった。

 全ての店が休業してしまう心界へ残る人々が、それに備えて準備する必要があるのは当然のことだが、本当のところ、物界へ出掛ける人々がきちんと仕度を整えることこそ重要で、物界のお盆という行事は祖先の霊を招くと言う性格上、少しは心界の人々を受け入れる用意らしいものがあるのだが、所詮は心界の人のことをほぼ知らない物界の人々の用意。物界で何泊もするためには、充分な準備が必要不可欠なのだ。

 小陽自身も、昨年、何も分からないまま日向三郎から言われるままに用意し持ち込んだ物資に、物界滞在中は、とても助けられた。

 心界に残るにしろ物界へ出掛けるにしろ必要となる準備。

 お盆休みを明日からに控えた、この繁華街の賑わいは、そのためだ。




(よし、じゃあ、あとは、昼・夕ごはんを買って、と)

 お盆休みの間の分の買物を終え、あとは、先程食料品を買ったスーパーでは あえて買わずにいた、帰宅後すぐに食べる分を買うのみとなったところで、

『では、お盆休みに行きたい場所ランキング! 堂々の第1位はーっ! 』

これまでも、ずっと流れ続けていたはずのラジオの音声が耳に入ってきた。

『ドゥルルルルルルルルルルルルルルル ドゥンッ! 』

このパーソナリティの特技であるヒューマンビートボックスのドラムロールに続いて発表された第1位は、

『実家』

 やっぱりね、といった結果だ。2位以下は全く聞いていなかったが、これも今朝のワイドショーで似たような話をしていたため、大体の想像はつく。

 近年では、お盆休みに物界へ向かう人々の行き先は実家とは限らず、出界手続きの楽なこの時期を利用して友人同士で有名な観光地への旅行を楽しむ人も増えているとのこと。「しかし物界は心界で暮らす我々みんなの故郷であり、行き先が実家ではなくとも物界であるならば、それは帰省であることに変わりはないでしょう」と締め括って。

 小陽は前述の「お盆休み中に心界に残る人々」のうち、「出掛ける先の無い、ごく少数派の人々」に当てはまる。

 帰省出来る実家が無いわけではない。物界には両親と3歳下の妹が暮らしている。実家ではないが、父方・母方共に祖父母もいる。ただ単に、「行きたくないから行かない」それだけだ。

 行きたくない理由は、昨年の初盆で帰省した際に、あまりにもつまらなかったため。

 行きの電車の中で たまたま近くに座った女性ばかりのグループの、帰省をとても楽しみにしている会話を盗み聞いていて、自分もと、期待しすぎてしまっていたのも良くなかったのかも知れないが……。

 その会話の中に出てきた、海・山・祭りに遊園地、花火、バーベキュー、肝だめし、お盆の御馳走を囲む懐かしい人たちの笑顔……そんなもの無かった。そのうちの、ひとつも無かった。そう、懐かしい人たちの笑顔さえも……。

 お盆休み前にテレビで特集していた「物界の親族の遊びに同行した際に、より楽しむ裏技」なども、そこそこ真面目に見て覚えておいたのだが、完全に無駄に終わった。

(…まあ、星空やお母さんに何もしてあげられないわたしに、そんなもの期待する資格なんて無いんだけど……)

 小陽は溜息をひとつ。

 帰宅後すぐに食べる分を買うべく、コンビニに入り、唐揚げ弁当と味噌汁代わりに味噌味のカップ麺を選んでレジを済ませ、弁当をレジの20代後半の外見の男性店員にチンしてもらい、カップ麺にお湯を注ぐところまでしてから、帰路についた。

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