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真夜中の訪問者

作者: 都南優介

 ドアを叩く音がした。

 田中はどきりとした。ここは町はずれのアパートであり、こんな夜中に人が訪ねて来るとは思えなかったからだ。

 彼は少し前に荒らしてしまった室内を見渡した。取りあえず片付けなければと思い、田中は部屋の景観を損ねる邪魔ものたちをクローゼットへ押し込んだ。そうしている間も、ドアを叩く音は止まない。

「はいはい、今行きますよ」

 田中はドアの向こうに聞こえるかどうかもわからない返事をしながら玄関へ向かった。

 カギを外したとたんにドアノブが凄い勢いで引っ張られるのを感じ、顔を上げると若い男の顔と目が合った。

「追われているんだ。かくまってくれ!」

 田中が何か言おうとするより早く、男は部屋の中に入り込んでいた。戸惑っていると、男は自身の胸元から拳銃を取り出し田中に向けてきた。

「手を挙げろ。大きな声出すんじゃないぞ」

 何がどうなっているのかわからない田中はとにかく拳銃の引き金を注視していた。

『速報です。N刑務所より、囚人が脱走しました。近隣の住民は外出時には気を付け、夜間に誰か来ても警戒するようにして下さい』

 背後からラジオが最悪の知らせを告げる。

「もうわかったみたいだな。今更どうにかしようとしても遅いからな」

 男は手に持った拳銃を田中に見せつけた。

 どうやってこの男を追い出してこの場をやり過ごすかを考えるが、拳銃に対して丸腰の自分を思い出した。

「なぁ、俺はどうすればいいんだ。俺も警察を呼んでまで大事にしたくない。俺に出来ることなら何でも言ってくれ」

 とにかく今のこの場をどうにかしたかった田中は、男の言いなりになることを申し出た。

「いやに物分かりがいいじゃないか。そうだな、まずは着替えを用意してほしいな。この服じゃすぐにばれてしまうんでな」

 男は機嫌よく言うと田中とともに居間のほうへ向かった。

 男の手元を見るが拳銃はいまだにこちらを捉えている。

「衣服はそこにたくさん積んでいるだろ。クローゼットは散らかってるものを押し込んだから開けられないんだ。」

 田中は男が来る前に散らかっていた室内を思い出す。

 男を見ると拳銃をこちらにむけながら器用に着替えている。

「あんた、名前は? 私は田中というんだが」

「言うわけないだろう。でもまあ、小林ってことにしておけ」

「今日は結構寒かったよな。厚着したほうがいいと思うぞ」

「余計なお世話だ」

「腹減ってないか? カップ麺ぐらいならそこにおいてある」

 小林と名乗った男は着替え終わったようで、ソファーにどっかりと座っていた。

「優しくして見逃してもらおうなんて考えないほうがいい。どうせ準備が済んだその後に殺すんだからな。ご機嫌を取るよりやり残したことを考えたほうがお前のためだ」

 田中が下唇を噛んで悔しがるのを小林は楽しそうにみている。と、その時ノックの音がした。さっきとは違い落ち着いた様子だった。

「夜分遅くにすみません。警察です。お話伺いたいのですが」

 田中は助かったと思ったが一瞬迷った。このまま出ていいのか。しかし、この機会を逃すと小林から離れることもできない。後ろを見ると小林が焦っている様子はない。

「出てもいいぞ。俺のことを言いそうになったら警察ごと頭をぶち抜いてやるさ」

 要するに警察を追い払えということだ。田中は観念して玄関に歩いていく。

 ドアを開ける手が震えている。開けた先には中年の男と若い男が立っていた。少し引きつった田中の顔を見ると薄い笑いを浮かべながら、こんばんは、と言った。

「すいませんね、こんな時間に。実はN刑務所から収容者が出てってしまったんですよ。それで訪ねて回ってんですがね」

 中年の方の警官が慣れた風に言う。

「怪しい人物とか見てませんかね? こんな外れのアパートだと人はほとんど来ないんでしょうが」

「そうですね。家から出ていないのでよくわかりません」

 すぐ後ろに脱走してきたばかりの小林がいることを伝えたかったが、それを言う勇気はなかった。

「じゃあ何かあったら警察に連絡お願いします。それでは失礼します」

 田中は二人の警官の小さくなっていく背中を見て緊張が和らいでいた。しかし、これで助かる道はなくなった。居間に戻ると小林がニヤニヤとしながら田中に銃先を向けていた。

「これで邪魔な奴は消えたな。今から金をあるだけ持ってこい。そしたら全部終わりにしてやる」

「わかった。だが今、財布を無くしていてな。それを探すまでは待っていてくれないか」

 金がどこに置いてあるのかわからないのは本当のことだった。実際に田中も探している最中だったからだ。

「いいさ、時間はある。ゆっくり探しな」

 小林が返事をした時だった。

 ドアを強く叩く音が響いた。奴らが戻ってきたのだ。

「警察だ! おとなしく出てこい!」

 さっきよりも威圧的な声が届いた。

「どういうことだよ! 追い返したんじゃなかったのか。おい、どうにかしろ!」

 小林がここにきてようやく焦り始めている。田中に向けた銃先が震えているのは明らかだ。

 ふと窓の外を見ると数人の警官が確認できる。応援を連れてきたらしいというのが分かる。しかし、なぜ彼らが引き返してきたのかは分からなかった。

 理由はどうであれ、これで小林が連れていかれ全てが丸く収まるに違いない。

 小林は廊下の扉の裏から様子をうかがっている。

 後ろから銃で撃たれるという心配はなくなり、安心してカギを開けドアノブを前に押した。

「ありがとうございます。じつは」

 言い終わる前に田中の手に手錠が掛けられていた。

「これはいったい」

 驚く田中とは対照的に警官は冷静だった。

「田中ヨシト、確保しました」

 手錠をかけた警官以外にも何人かの警官が田中のことを取り押さえた。

「やはり間違いない。殺人容疑で指名手配されている田中ヨシト本人です」

 警官同士が確認し合っている。田中は驚きで言葉もでなかった。

 確かに田中は指名手配犯だった。




 五年前のことだ。当時の彼女と喧嘩をして、ついかっとなって近くにあった包丁で刺してしまった。些細な理由だったが激しく怒り狂ったことは覚えている。

 脇腹に深く刺さったその包丁は彼女の血液でてらてらと光っていた。殺そうとしたつもりは当然無かったし、威嚇のつもりで見せただけのはずだった。

 床に伏しうめき声をあげる彼女は田中の恐怖を煽るには十分だった。結局田中は彼女を置いて逃げた。

 彼女が死んだのを知ったのはその数日後だった。バイト先の近くの定食屋で昼食を食べている時にニュースになっているのを見た。死因は刺し傷による出血多量らしい。田中があの時見捨てなかったら助かっていたかもしれないのだ。

 恐怖が再燃した。気付いた時には町を出ていた。

 田中自身が指名手配されているのを知ったのはさらに数日後だった。最近になって持ち金が底をつき、入り込んだのがこのアパートの一室だった。室内にいた男を縛り上げる。そこまではよかった。だが、金のありかを聞こうとした時に小林が来てしまったのだ。そして、今に至る。

 元の住人はクローゼットの中に押しやったまま。



「おい、どうした。早く来ないか」

 田中を拘束した若い警官が背中を軽く押す。

「あ、はい。すいません」

 田中は自室を振り返ることなく、少し離れたパトカーまで連れられて行く。田中の逃亡生活は終わりを告げた。




 扉の裏に隠れていた小林は茫然としていた。あの男は殺人犯だったのだ。金の場所が分からないのもここに来たばかりだったからだろう。

 そんなことを考えていると居間の方から物音がした。ガタゴトと揺れる音。注意深く耳を澄ませるとクローゼットの方からその音は聞こえてくる。田中が散らかしたものを押し込んだと言っていたクローゼット。

 恐る恐る手を伸ばす。まだ揺れている。どうやら、なかなかに大きなものが入っているらしい。うめき声が聞こえた。小林は人間が入っていることを確信した。大きく息を吸い込み、一気にクローゼットの戸を引く。

 中にいたのは予想した通り人間だった。小林よりも一回りは年を取っている。ガムテープで口を塞がれ手足はシャツをロープ代わりにして縛られている。もがくたびにクローゼットの中の他のものが落ちていく。

 とりあえず小林は男の口のテープを外してやった。小林が何か言うよりも早く男は話し始めた。

「ありがとう。窓から入ってきた男に急に襲われてここに閉じ込められてたんだ。あの男はどこに? それに君は誰だい? 警察か何かか」

 小林は銃を向けゆっくりと喋りかけた。

「あいつはさっき来た警察に連れていかれたよ」

 男は安堵したように見えた。だが小林の手にある銃を見て再び顔がこわばる。

「俺はね、刑務所から逃げてきたんだ。あんたも運が悪い。次から次へと」

 それを聞いて男はあっさりと諦めた様子だった。

「そうか、そういうことか。全て納得したよ。あいつの言ったこと」

 男は一瞬にやけたような表情をしたが、すぐに悔しがった。

「僕も昔悪いことをしていてね。警察にも誰にもバレていないはずだったんだがきっとその時のツケが回ってきたんだ。僕のことを殺すんだろう、その銃で。ああ、なんでもっと早く引っ越さなかったんだろう。あいつを殺したとき……」

 小林は男が全て言い終わる前に頭を撃ち抜いていた。男の正体が分かった以上は生かす必要もない。これ以上喋られても邪魔でうるさいだけだ。男が何やら意味の分からないことを呟いていたが、小林にはどうでもいいことだった。

 それよりも小林には重要なことがある。この男の死体をどうするかだ。せっかく警察が立ち去ったというのに新たな問題ができてしまった。小林がしばらく考えていると、あることを思い出した。それはこのアパートにやってくる前のことだった。この付近には住宅が全くと言っていいほど無く、駅も遠く離れている。少し歩いた距離にコンビニがあるくらいだ。そんな中、アパートから少し離れたところに寂れた神社があったのだ。

 小林は最初にそこに隠れようとしたのだがアパートを見つけて衣類と金を求めここに来た。

 あそこならすでに住職もいないうえに訪れる人もいなそうだった。

「死体を埋めるならあそこだろうな」

 小林は家の中にある大き目のカバンを見つけると、その中に解体した男を詰め込んだ。

 実際に行ってみると神社は小林が想像していた以上に古く壊れかけていた。その裏に深い井戸を見つけた

「穴を掘って埋めるよりもここに落とした方が早いだろう」

 周りに人がいるはずもないが、小林は一応警戒しながらかばんごと井戸の底に放り捨てた。元いた部屋に戻ると言い知れぬ安心感が小林を包み込んだ。

「ここに住もう。もう警察は来ないはずだ」

 全ての面倒ごとが済み清々しい気持ちになっていた。




 小林がこのアパートに住んでもうすぐ四年になろうとしていた。あたりに他の住宅がなく、駅も遠かったことは好都合だった。たまに警察と思える人間が同じアパートの住人を訪ねることに不安を覚えることもあった。それでも小林のもとへ来ることはなかった。

 ここの住人は不愛想で顔を合わせても挨拶することがないのが少し気になったが、小林にとってはありがたかったし同じようにしていた。

「ここでの生活もそろそろ板についてきたな」

 小林がラジオに手をかける。音楽番組に合わせ、床に座ろうとした時だった。

 物音が聞こえる。寝室の方からだ。

「だれかいるのか?」

 何気なく言った。そして、寝室の窓が開けっぱなしだということに気付いた。

「空き巣かもしれない」

 自分にしか聞こえないくらいの声で呟いた。

 ゆっくりと立ち上がり息を殺して寝室へ向かう。しかし仮に空き巣だとして立ち向かう手段がないことを思い出す。台所から包丁を持ってこようと寝室に背を向けたとき、嫌な予感がした。錆びた蝶番の音。

「しまった!」

 小林は振り返る寸前に頭を思い切り殴られ気を失った。

 気が付くと目の前が真っ暗だった。小林はそれが目を瞑っているわけではなくクローゼットの中に入れられているのだと分かった。叫ぼうと思うものの口が塞がれていて声を出すことができない。

「手を挙げろ。大きな声を出すんじゃないぞ」

 再び薄れゆく意識の中で小林が最後に聞いた言葉だった。




 アパートに二人の男が近づいている。中年の警官とその部下だ。

「それにしてもこのアパートは素晴らしいですね。初めて聞いた時は本当かどうか疑いましたけど」

「若いときは私も疑っていたさ。今では深いことは考えずにやっているがな」

 中年の警官は少し口角をあげて言う。

「今も実験は続いているんですよね? このアパートの力について」

 若い方の警官は目の前のアパートを指さしてから言った。

「ああ、私がこの仕事を始める前からな。それでもまだ判明していない。なぜ罪を犯した者を呼びよせてしまうのかを」

 中年の警官はため息をつく。若い警官にはなぜ彼がため息をつくのか分からなかった。

「しかし便利ですよね。定期的に尋ねるだけで犯人を検挙できるし、収まりきらないやつらは勝手に殺し合ってくれますし」

「そうだな。街から離れているし、近くには古びた神社くらいしかない。おかげで一般人から隔離されている。これ以上ない収容施設だ」

 二人はアパートの外に付いている階段を気怠そうに上がる。

「しかし先輩も大変ですね。毎度毎度こんな時間に。せっかく捕まえるのが簡単になったのに」

「仕方ないさ。これが一番効率的だからな」

 ある一室の前で立ち止まる。中年の警官は慣れた手つきでドアをノックした。

「夜分遅くにすいません。警察です。お話伺いたいのですが」

 開かれたドアの先には引きつった顔の男が立っていた。


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