1章【第五部】
んーっ、と背伸びをしたユウはトイレ、と言ってその場を去った。
「シュンさん。」
さん付けはなんだかよそよそしくてイヤだな、と言う彼は相も変わらず穏やかな雰囲気を漂わせている。
「じゃあ、シュン君、」
彼は2、3度まばたきをしたあと、笑顔でゆっくり頷く。
「あの、ユウって、やっぱり誰か大事な人を亡くしたり…したんですか?
こんなタイミングでトイレ行くし…」
あぁ、と声を漏らす彼は、ないよ、と小さく言った。
「ユウはまだ、誰の死も直接みてはいない。
ただ、陰の爪痕が残る場所にはよく足を運んでいるようだね。」
目線を外し、考えるように、思い出すように、指を顎に引き寄せる。
「俺にはよくわからない。最近の人間は死に疎いものだし、ユウだって誰かを亡くしたことはない。
ただどうしてか、あいつは死に敏感だね。
何かあるのかもしれないけど、あえてそれを聞く気にはなれない。
俺が触れてはいけない話題、そんな気がするんだ。」
まぁ人にふれて欲しくない事なんて、誰もが持っていることだからね、と言い残して彼はキッチンへ戻っていった。
───陰。
それはなんなのか。様々な姿形をして、人を殺す力を持つ。
陰の爪痕といった。
陰はどんなものだろう。
戦争よりも酷いのだろうか。
襲われた場所ではどれだけの人間が死んでしまうのだろう。
どんな思いで死んでゆくのだろう。
どんな思いで殺すのだろう。
感情はあるのか、知能は高いのか。
ケイは見たこともない、存在を信じることも難しい。
これから出会うのだろうか。
そんな殺人兵器のような化け物に。
そうして殺されてしまうのか。
そうして死んでゆくのか。
ケイだって、死をしらない。
誰かの死を目の当たりにしたことはない。
それが自分の死に至っては考えすら及ばない。
声にならない息をゆっくり吐くと、ユウが戻ってくるのが見えた。
そしてまた椅子に座った。
「やぁ、悪かったな。なんかしんみりした空気にしちまって。」
「ほんとにね。」
声のした方を向くと、両手にトレーを抱えたシュンが立っていた。そのトレーの上には、焼きたてのパンが入った大きめのかごがのっていた。
「おい…さっき下拵えとかいってなかったか?
てっきりシチューとかそんなんだと思ってた。」
「お楽しみ感が出ると思って。」
どうぞ、とテーブルの上に籠を置くと、いい匂いが鼻まで伝わってきた。
焼きたての、香ばしい匂いのするバターロール。急に空腹感がわいてきた。
「いつものことだけど、上手そうだなぁ。てーか、今日はやくねぇ?パン焼けるの。」
ふふっと笑ったシュンは、新入りの為にサービスしたんだよ、と言っていた。
「力使ったのか…いつもは力に頼るのはね、とか言ってるくせに。」
大袈裟に頭をふったあと、彼はパンに手を伸ばし、美味しそうにパンをほおばった。
「ケイちゃんも、どうぞ。」
いただきます、といって一つ手に取る。噛むその瞬間に、カリカリとした食感、そのすぐ後に弾力のある中身。
甘い味付けになっているそれは、空腹感と一緒に空いた内側まで満たしていくように思えた。
「おいしい、です。」
ぽつり、と呟くと二人は満面の笑みを浮かべた。
パンはあっと云う間になくなった。大半はユウが食べてしまったが。
「家の中にいるのも飽きたなぁー。」
ユウは両手を椅子の背もたれに引っ掛け、椅子の前足を軽く浮かせながらいった。
危ない、と言うシュンの言葉は無視された。
「天気もいいし、出掛けよう。街とかまでは連れてってやれないけど、そこら辺なら連れてってやるからさ。」
言いながら、彼は既に立ち上がっていた。
シュンにも、ほら、と言っている。
「じゃあ。行くか。」