試合
開始の合図から数秒、先に動いたのは奏だ。
両者の距離は、歩幅だと五歩ほど必要な距離。それを奏は一気に詰める。魔法なしの試合で、その速度は驚くほどではないが、それでも奏の瞬発力は目を見張るものがあった。
動き出しから最高速度へと速さが尋常ではないのだ。女性のしなやかな関節と、鍛え抜かれた筋力のなせる業だ。
「ハッ!」
「甘ぇ!」
奏は最初の構えから剣を突き出す。大和はそれを、槍の柄で自分の上へと弾き上げる。剣を持ち上げられ無防備になる奏の腹に、間髪入れず石突きを打ち込んだ。その突きを奏は体を横に回転させることで躱し、上げられた剣を振り下ろす。その剣は、大和の眼前で槍によって受け止められる。
最初の攻防で、間合いは完全に奏の物となった。
槍術の間合いは、間に人が二人か三人ほど入れる隙間があるぐらいがちょうどいい。逆に剣術ではそんな間合いはいらない。
今は手を伸ばせば簡単に届いてしまうほどの近距離。槍を自由に捌こうにも、相手に当たってしまい動かせない距離だ。
「態度の割には、弱いわね!」
間合いを手に入れたことで、奏は一方的に大和を攻撃する。溜めを作った強力な一撃こそ無いものの、連続で繰り出される斬撃を、大和は槍でひたすら受け流していく。
「大和君、やっぱり無謀だったんじゃ」
「けど凌げてる」
二人の攻防を、響は不安そうに、志保は無表情で観察する。
現状、大和の不利は目に見えている。最初の攻防だけで主導権を奪われ、防戦一方になった試合をひっくり返すことは相当難しい。
しかし、志保の言う通り、大和は奏の攻撃を捌ききっているのだ。それが僅かな可能性を残していた。
響と志保の気持ちは複雑だった。
現状、大和を入れなければチームを解散させられてしまう可能性が高い。その事を考えれば、この試合は何としても大和に勝ってほしかった。しかし、今まで一緒に戦ってきた奏が、大和を拒絶した気持ちも理解できない訳ではない。響は姉の背中にあこがれてバベルクライムに参加するようになったし、志保も奏にスカウトされている。
第二課発足の日にも、このメンバーで頑張って行こうと決意している。それを捻じ曲げてまでバベルクライムに参加し続ける意味はあるのだろうか。そんな疑問が浮かんだ。
そんな時、審判役の真彩が試合中の二人から目を離さずに訪ねてきた。
「ねぇ、二人は奏が何のためにバベルクライムに参加しているか覚えてる?」
「お姉ちゃんの? たしか、最高ランクに行きたいからだって」
「ならなんで最高ランクに行きたいか知ってる?」
その質問に、響も志保も答えることが出来なかった。
奏は、バベルクライムをする理由に、皆で上りたい、強くなりたい、自分の実力を試してみたいなどと言っているが、具体的な目標を答えたことは一度も無かった。
ただ、真彩はその明確な目標を偶然聞いてしまった。
それは最近の連敗に落ち込んでいる奏を励まそうと、居酒屋に誘った時だった。
奏もすでに成人しているため酒を飲むこともできる。あまり自分から飲もうとはしなかったが、バベルクライムのことを一時的にでも忘れさせるために少し強引に飲ませたのだ。
そこで偶然聞いてしまった奏の本音。
「なんでもね、最高ランクにどうしても戦いたい人がいるって言ってたわ」
「戦いたい人?」
「奏が?」
二人はその答えに首をかしげる。確かに好戦的な部類に入る奏ではあったが、今までにこの人と戦いたいなどと、誰か一人に固執したことは無かった。しかし、それが最初からただ一人を目標にしていたのだとしたら、見え方が全然違う物になってくる。
そして、響は乙女だった。
「まさか……お姉ちゃんは長い片思いを!?」
「なんでそんな発想になっちゃったかな……」
「響だから仕方ない」
真彩が苦笑し、志保はため息を吐く。
「普通はライバルとか、師事した人とかじゃないの?」
「だってお姉ちゃんにそんな人いませんでしたもん。私ずっとお姉ちゃんの後ろに付いて歩いてましたから、そんな人がいれば覚えてるはずですし。それに私たちのライバル的な存在って言うと、あの人たちになっちゃいますし」
「ああ、確かにライバルと言えばライバルね」
真彩と響は、共通の顔を思い浮かべ苦い顔をする。同じころにバベルクライムに進出した企業チームで、リンブルのチームとほぼ同じスピードで上ってきているチームだ。チームメンバーに女性が多いということで、参加当初からよく比較されていた。
しかし、そんなライバルチームは、着実にメンバーを増やし、すでに第五つまり自分達の一つ上のランクに上がって行ってしまっていた。
「お姉ちゃん、あの時は本当にキレてましたからね」
「志保がいなかったら警察沙汰だったわね」
そんなライバルチームのチームリーダーと奏は、異常なほど仲が悪かった。
廊下で出会えば貶し合い、試合をすれば真っ先に潰そうとする。
そんな二人が、ライバルチームの昇格決定直後に出会ってしまえばどうなるか。想像は簡単にできる。
廊下で出会い、自慢され、チームを馬鹿にされ、バベルの廊下で杖を振り回しかねない状況になり、最終的に志保が係員を呼んできて厳重注意を受けた。
あれ以来、二つのチームの仲は決定的な亀裂が入ったままだ
「それより、奏の戦いたい人よ。その人がいるから、奏はバベルクライムに参加しているの。けどね、それが奏の焦りにもなってる」
「お姉ちゃんの」
「焦り?」
「勝たなきゃいけないのに、チームは負け続ける。自分が弱いからだと責めて、次の試合は余計に奮起する。普通にやれば勝てるチームにも、奏が突出し過ぎちゃって連携がうまく取れてない。分かるでしょ?」
「はい」
それは最近の試合でよく見る現象だった。敵を倒すために奏が前に出る。中盤のいないリンブルチームでそれは、後衛が無防備になることを意味する。
すぐに敵はヒーラーや大規模魔法を使う響と志保に集中砲火を浴びせ、数的有利を作った後に、技術的格上の奏を叩く。
いくら奏が強くとも、四対一、五体一では勝てないのだ。それが最近の負けパターンとなっていた。
「あの子は今一人よがりになってる。だから、それを治すには少し荒療治が必要だと思ったのよ」
「それが大和君ですか?」
「そう、彼なら今の奏を止められるわ」
「どうしてそう思う? 真彩は大和と古い付き合いなの?」
志保の問いに、真彩は首を振る。
「大和君と会ったのはついさっき。お昼のことよ」
「なら何を信じてるの?」
「彼の強さかしら」
「真彩は何を見たの?」
「それは――大和君が動くわよ」
真彩が大和の強さを信じた理由、それを答えようとしたところで、言葉を遮り視線を鋭くした。
試合から注意を逸らしていた響と志保も、その言葉で試合に向き直る。
直後、これまで防戦一方だった大和からとんでもない言葉が出てきた。
「五分だ。そろそろ行くぜ」
「なにを! っ!?」
瞬間、奏の視界には、大和の体がぶれたように見えた。そして気付いたときには、今まで連撃を仕掛けていた自分の腕が跳ねあげられている。
「五分間、凌いでみな」
その呟きと共に、大和の動きが別物になる。槍を振るう速度も、その捌き方も、体の反応速度も、先ほどまでとは全くの別物だった。
あまりにも大きな変化に、奏は驚き思わず攻勢を緩めてしまった。
そして気付けば、奏の防戦一方になっていた。
「ほら次は足元、その次は右肩だぞ」
大和の言葉通り、槍の柄が足首を狙って迫ってくる。剣を突き立てそれを防げば、槍頭が奏の右肩に向かって迫って来ていた。剣で弾かれた反動を利用して、勢いを増しているのだ。
「この!」
奏はもう一度自分の間合いを取り戻すために、大和へと飛び込む。普通ならば、ここで大和は後ろに下がり間合いの維持に強めるはずだ。しかし、大和はさらに攻勢を仕掛けてくる。
十分に槍を動かすスペースが取れない状況で、しかし先ほどとまったく変わらない様子で悠々と槍を振り回す大和に、奏の思考は混乱の極みに達していた。
「なんで!」
「甘い甘い。ほら、また足もとがお留守だぜ!」
焦りから、強引に攻撃しようとした就けが回った。
大和が奏の顔に視線を定めたまま、石突きを奏の足の甲に合わせるように突き出す。そこに奏は一歩を踏み出し、石突きに抑え込まれバランスを崩された。
つんのめり大和に飛び込みそうになる奏は、とっさに横に自らの体を転ばせることで、飛び込むのを防ぐ。
そして、起き上がり顔を上げた目の前に、槍頭が突きつけられる。
「五分は持たなかったみたいだな」
奏の目の前には、槍を突きだしにやりと笑みを浮かべながら見下ろす姿の大和。その背後に見える時計は06:24と表示されていた。
大和は残り十分の所で攻勢に出たため、奏がその攻勢をしのげていたのは、僅か三分半ということになる。
「私の――」
誰が見ても、大和の完勝だ。奏もそれを認め、降参を口にしようとする。その時、槍頭が奏の顔から逸らされた。
「さて、時間もまだあることだし、掛かって来な。鍛えてやるよ」
「なっ!?」
槍を構えなおして、奏が掛かってくるのを待つ大和。その姿に、奏は自分の心の底から熱い感情が込み上げてくるのを感じた。
それが怒りなのか、それとも他の何かなのかは分からない。だが、今目の前にいる奴だけには、一撃だけでも入れないと気が済まない。そんな感情が奏を奮い立たせる。
『奏、大丈夫?』
「ええ」
不安そうなティアラの問いかけに、奏は簡単に答えて再び杖を握る。
「勝てる場所で勝利を拾わなかった。その選択を後悔させてあげるわ」
「口だけなら誰にだって言える。証明してみな、お前の剣技でな」
大和が指で掛かってこいと挑発する。それに合わせて、奏は大和へと斬りかかった。
「あれが大和君の実力……」
「レベルが違う」
響と志保は、攻勢に出た大和を見て呆然としていた。自分達は大和のことを、真彩が拾ってきた見込みのある新人程度にしか見ていなかった。
しかしその認識は間違っていたと理解させられる。
大和は先ほどから攻撃する場所を宣言し、確かにそこに攻撃を行っている。それなのにもかかわらず、奏は防御するのが精一杯なのだ。そこに、先ほどまでの余裕は見られない。
よく考えれば、大和が防御に専念していたときも、大和は息一つ乱さず、汗一つ掻かずに平然と防御していた。バベルの実力者ならばそれだけで大和の実力に気付いても良い物だが、さすがにそのレベルを後衛の響や志保に期待するのは無理だろう。
結果、突然露わになった大和の実力に呆然とする。
「どう、彼なら私たちのチームに申し分ないでしょ?」
「申し分ないと言うか」
「私たちが完全に置いていかれる。お荷物確定」
今の奏ですら個人の実力ならば第三ランクまでは行けると言われている。それに加えて、奏を圧倒できる大和が入れば、確かに今のランクなどどうということは無いだろう。
しかし、それだけに自分の実力が彼らの枷になってしまう可能性すら十分にあり得る。
「まあそこは、練習あるのみよ。奏だって今はちょっと暴走しちゃってるけど、チーム全員でバベルを登りたいって思ってるのには変わらないしね」
そして試合終了のブザーが鳴る。それと同時に、奏は練習場の地面に倒れ込んだ。