宣伝部 第三次宣伝第二課
タクシーに乗り込み数分。車内で簡単な自己紹介を済ませ、到着したのは高層ビルが減り、七階から十階程度の高さのビルが並ぶオフィス街へとやってきた。
大和がタクシーから降りると、真彩がこっちよと言って大和をビルの中へ案内する。
「ここのビルがリンブルの会社なのか?」
「正確にはここの三階から七階がリンブルね。まだできて数年の新しい方の会社だから、オフィスは借りてるの」
「へー」
エレベーターに乗り、五階へと登る。降りたところにあった案内図を見ると、フロア面積はかなり広そうだが、その分小部屋が多く、一部屋一部屋は小会議室といった程度の大きさだ。
清潔な廊下を進み、真彩が一つの扉の前で止まる。
大和が後ろから覗き込めば、扉の横には宣伝部第三次宣伝第二課と書かれていた。
「さあ入って。皆はいるかしら?」
真彩が扉を開くと、大和の鼻をくすぐる甘い香りが漂ってくる。芳香剤かと思いつつ大和も中に入ると、そこには部室があった。
そう、学生の使うあの部室である。
右側の壁にはホワイトボードがあり、反対には棚があり本が丁寧に並べられている。適当に背表紙を見てみると、何冊かはバベルクライムに関する本だというのが分かる。
真ん中には会議用にでも使うのだろう大きなテーブルがデンと鎮座している。その上には、色々なお菓子が並べられていた。
あまり仕事をしているような部屋には見えない。だからこそ、大和はこの部屋を見た時、通っていた学校の部室を思い出したのだ。
「やっぱりまだ昼休みに行ってるみたいね。まあ、もう少ししたら戻ってくると思うから、座って待ってて。私は大和君の契約に必要な書類を持ってくるから」
「はい」
真彩が部屋を出ていくのを見て、大和は適当に近くにあった椅子に腰かける。すると、イクリプスが話しかけてきた。
『ねぇ、ここに来るまでにこの会社のことざっと調べたよ』
「コンタクトに出してくれるか?」
『了解~』
すぐにコンタクト越しに透明なディスプレイが浮かび上がり、リンブルの情報が出てきた。イクリプスが情報をバベルクライムに関することだけに絞っているため、かなりサッパリとまとめられている。
その情報によれば、現在のリンブルの所属ランクは下から四番目の第六ランク。全部で十ランクあるバベルクライムの中で、まだ半分にも満たないランクである。
そして登録されているチームメンバーは現在三人。その写真を見て驚いた。全員が女性なのである。しかも、最高でも大和より二つ上の二十歳、下は基礎課程を卒業したばかりの十五歳である。バベルクライムの平均年齢が二十五なのを考えると、若すぎるチームだ。
戦力の補強が必要だと言っていた真彩の理由も良く分かる。
バベルクライムの試合は最低で三人から参加可能だが、最高五人まで同じフィールドに立つことが出来る。そして片方が三人だったからといって、もう片方が三人に合わせる必要はない。
大手企業のチームなどでは、数十人の選手を抱え、相手チームの特徴や作戦によって出場選手を選ぶなどということもしている。
そんな中で三人しかいないというのは、不利以外の何物でもない。
「戦績も酷いな」
『どうする? これはちょっと危なくない?』
「いや、どの道新人から選手を募集するチームなんて、新規参入のチームか低ランクのチームだ。こことあんまり違いは無いだろ。やっぱり直接選手をみないとな」
『まあ、大和が良いならそれでいいけど』
そんなことを話しているうちに、廊下から話声が聞こえてきた。どれも若い女性の声だ。
「真彩さん、そろそろ戻って来てるかな?」
「そうね、重要な話があるってメールが来てたし、会社には来てるんじゃないかしら? けど重要な話って何かしらね?」
「……バベルクライム撤退」
「ちょっと! 不吉な事言わないでよ!」
「会議の流れ次第ではありえる現実」
「そうだけど……普通最初は勧告とかその辺りからでしょ、いきなり撤退なんて」
「四戦連敗……記録更新中」
「う……」
やや幼さの残る声に、強気の声が負けていた。
そしてこの部屋のドアノブが回され、扉が開かれる。
「ただいま戻りました~ってあれ? お客さんですか?」
先頭で入って来たのは、銀色の髪の、優しそうな笑みを浮かべた大和と同い年ぐらいの女性だ。髪の毛の一部が三つ編み状態で輪っかのように頭に巻き付いていた。スーツでは無く、フリルの飾られたボウタイブラウスにボレロを羽織っている。下もティアードスカートとファッション性の高い服装だ。
さっき調べた情報から、大和はその女性がバベルクライムの参加メンバーの一人でヒーラーの一之瀬響だと分かる。
「え、こんなところに?」
「だれ?」
そしてその後ろから顔を覗かせる二人。
一人は響とほぼ同じ身長で、鋭い視線を大和に向けている。響の銀に対し、その女性は綺麗な金色。ポニーテールが背中まで流れている。
体の線がはっきりと表れるクールネックにカリプソパンツと鋭い視線に負けない、挑発的な恰好だ。
その女性こそ、リンブルチームのメインアタッカーを担当している一之瀬奏。響の姉でもある。
二人目は響よりもやや身長が低いのか肩ぐらいから顔を覗かせていた。
濡羽色の髪に瞼が半分閉じたような目つきの少女だ
フリルをふんだんにあしらった黒のワンピースを難なく着こなすその姿からも、少女の幼さがよく分かる。
後方からの高威力魔法を得意としている坂上志保である。
この三人がリンブルからバベルクライムに参加している全メンバーだ。
三人の視線が集中し、なんと説明すればいいか迷っているところに、真彩が戻ってきた。
「ちょうどいいところに戻って来たわね。そんな所で突っ立ってないで、早く部屋に入ってよ。通れないじゃない」
「ああ、ごめんなさい」
響が謝り、足を進ませる。
それに続いて三人が部屋の中へ入ると、その後から真彩もファイルを持って入ってきた。
「皆集まったところで、紹介するわ。今日私がスカウトしてきた保月大和君。今後、バベルクライムのチームメイトとして参加してもらう予定よ」
「まあ、お客さんじゃなかったんですね。一之瀬響と申します。よろしくお願いしますね」
「あ、保月大和です。よろしく」
響は独特なテンポで勝手に自己紹介を始める。大和はとりあえず答えて差し出された手に握手を返しておく。
「メールの重要な話ってこれ?」
「まあ当たらずとも遠からずって所ね」
「そう」
志保は興味をなくしたように、テーブルの上からチョコレートを取って口に放り込む。大和としては、昼食を食べたばかりじゃないのかと尋ねたいところだったが、それを尋ねると「別腹」と単語だけで返ってきそうだったので、やめておいた。
すると、大和の視線に気づいた志保が自分の手元を見やる。何かしら志保の中で葛藤があったのだろう。僅かに指が震わせた後、チョコレートの箱を大和の前に差し出す。
「……食べる?」
「ありがとう」
葛藤をしっかりと見てしまっていた大和は、遠慮がちに一欠けらだけ取り口の中に放り込む。チョコレートの甘さにカカオ以外の苦さが混じっている気がした。
「坂上志保。よろしく」
「ああ、よろしく」
小さい欠片をとったことで、志保の中での評価が上がったのか、志保は少し嬉しそうにチョコレートの箱を引き戻しながら自己紹介をした。
自然と全員の視線は、最後に残った奏のもとに集中する。
「私は反対よ!」
奏の口から出てきたのは、全員が想像していた物とは、全く別物だった。
「奏? どうしたのよ、いきなり」
突然拒否の言葉を放った奏に、真彩が驚いて尋ねる。しかし、それは奏の怒りに油を注ぐものだった。
「どうしたのよじゃないわよ! なんでいきなりスカウトなの!? 私たちで頑張ろうって、皆でバベルを登って行こうって約束したじゃない!」
「それはそうだけど……けど」
「認めない!」
奏は鋭い視線をより鋭くとがらせて大和を睨みつける。その気迫に、大和は思わず肩をすくめる。
「私は認めないわよ!」
「我が儘言わないで。現状、うちのチームがどんな状況かってことは、あなたも知ってるはずよ」
「だから何よ! 私たちが強くなればいいだけじゃない。こんな奴に頼る必要なんかないわ!」
「そうね、それだけの時間があればの話だけど」
「何が言いたいの?」
奏は鋭い視線のまま真彩を見る。
真彩はその視線をまっすぐに受け止めた。
「最初に送ったメール。重要な話がそれよ。響と志保もよく聞いて。今日の午前中にあった定例会議で私たちの成績が良くないことが話に上がったわ。現在の連敗記録に、上は私たちに諦め始めているわ。バベルクライムからの撤退も示唆されてる」
「そんな……」
真彩の言葉で、三人の顔に動揺が走る。可能性としては予想していても、現実に付きつけられる意味は大きい。
「会社なんだから、成績が悪い場所をいつまでも放っておくわけないでしょ。私も頑張ったけど、今後もバベルクライムに参加し続けるためには、条件を出されたわ」
「条件はなんですか?」
「今後の試合の全試合勝利よ。ランクアップまでだけどね」
「そんな……」
それは、奏達にしてみれば、絶望的な条件だ。そもそも今連敗しているのは、奏達の実力が足りていないからだ。それなのにもかかわらず、今後のランクアップ戦まで全て勝利を収めるなど、第二課を潰す前提の条件としか思えなかった。
「自分達が今どんな状況なのかは理解してもらえた? ちなみに、第二課が無くなった場合、私を含める第二課は全員リストラだから」
「お、おかしくない? 普通は移動になるはずじゃ」
明らかに動揺し、お菓子を持つ手が震えている志保が真彩に尋ねる。普通、部署が一つ減るとなれば、少なからずリストラは出る物だ。しかし、第二課はたった四人。いくらなんでも、全員がリストラされるのは異常とも言える。
だが真彩は当然のように返す。
「私は失敗の責任を取らないといけないし、あなたたちは私がバベルクライムの為に集めた人材だもの。もともと正社員としての雇用じゃなくて、バベルクライム専門の言わば契約雇用。バベルクライム自体に参加しなくなれば、自動的に契約も解消されるわ。ちゃんと最初に説明したわよ?」
「聞いてなかった……」
どうやら志保は雇用契約書をしっかりと読んでいなかったようだ。
「理由は分かったかしら、奏。これが彼を雇用した理由よ」
「けど……」
「もちろん魔法の実力は折り紙つき。攻種一級も持ってるから、響よりは上ね。魔法の練度も実際私が見てるから保証できる」
「…………」
「これでも反対するの?」
「お姉ちゃん」
響と志保が奏を見つめる。奏は腕が震えるほど拳を強く握り、唇をかみしめていた。強く噛みすぎたのか、その唇からはうっすらと血が見える。
「奏」
「まだ認めない。確かに魔法の腕はあるのかもしれない。けど、バベルクライムは総合戦技。武道の技術も必要なはずよ。魔法特化でも出れるけど、うちには志保がいるわ。三人も後衛はいらない。今うちに欲しい人材は前衛のはずよ」
「そうね」
真彩が頷く。
「大和とか言ったわね」
「ああ」
「私と試合して。魔法は一切なしの武道勝負よ」
「お姉ちゃん!?」
「奏さん、それは鬼畜だとおもう」
奏の提案に、真っ先に反対したのは、響と志保だった。大和としては即賛成してもよかったのだが、二人が何を言おうとしているのか興味が出たので黙っている。
「うちがスカウトできたってことは、大和君は新人ですよね? それなのにお姉ちゃんと試合だなんて」
「新人相手に奏さんはさすがに無理があると思う」
二人の様子に、大和はそんなに強いのかとイクリプスに奏の情報を検索させARに表示させる。そこには響たちが大和を心配する程度には優秀な成績が並んでいる。
リンブルのチームにおいて、奏は跳びぬけた実力の保持者だった。
そもそも響は補助と回復がメインのため、直接の戦闘にはあまり向かない。志保も高火力の魔法を使えるが、制御が甘いのか乱戦の中ではあまり役に立てていない。
そんな中で奏は剣技と魔法の併用により、ほとんどの敵を倒している。
もし奏が別の企業で契約を結んでいれば、すぐにでももっと高ランクの試合に出ることが出来るだろうと言えるレベルだ。
『この人がいなかったら、いまだに第八ランクって所だっただろうね』
「なるほど、二人が止めるはずだな」
『けど大和なら問題ないよね?』
「もち」
今の真彩たちの話を聞いて、このチームに参加したいと思うような人間はほぼいないだろう。次負ければ解散確定で、その上チームメイトにはいらないと言われる。そんな状況で自分も参加したいと思うなど、よほどのバカか自信家ぐらいのものだ。
しかし、大和はこのチームに入ってもいいかもと思っていた。
これから注目を集めるならば、今後の試合の全戦全勝は無くてはならない。その上、奏の言葉を聞いている限り、バベルを登りたいという気持ちは本物だ。
ここには大和の求めている要素が全て揃っている。
大和が情報を見ている間も、なんとか奏の説得を試みようとする響と志保。しかし、真彩は大和がイクリプスと話している最中に、口元に笑みを浮かべていたのを見逃さなかった。
「大和君はどう? 君の希望次第だけど」
「もちろん受けてもらうわよ。前線で戦ってもらうんだから、せめて私に付いてこられるレベルじゃないと足手まといなの」
「お姉ちゃん!」
「いいぜ、そっちがそれで納得するんなら、いくらでも相手してやる。こっちもチームメンバーの実力は確かめたかったしな」
「大和君!?」
「本気?」
大和の答えに、響と志保が目を丸くする。真彩は分かったわと呟いて、AIフォルナに電話を起動させてどこかに連絡を取っている。
奏は口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「叩き潰してあげる」
「こっちも目的があるんでね。簡単に負けてやるわけにはいかんのよ」
お互いに挑発しあっていると、連絡を終えた真彩が全員に告げる。
「練習室の予約が取れたわ」
練習室とは、バベルクライムに設置された練習専用のフィールドのことである。そもそもバベルクライムの試合は魔法と武道を混合させているため非常に殺傷能力の高い技が飛び交うことになる。
そこで、バベルクライムのステージには変換フィールドと呼ばれる特別な魔法が張られているのだ。
その魔法が張られている場所では、人体に影響を及ぼす魔法は全て無害な物へと強制的に変換される。その代り、その魔法で喰らうのと同じダメージを、神経に直接受けることになるのだ。
例えば何かの魔法で腕を折られるとする。その場合、この結界は魔法による人体ダメージをゼロに変換し、神経に骨が折れるのと同じ痛みを打ち込む。すると脳は、骨が折れたと錯覚し、痛みと共に折れるはずだった部分が動かなくなるのだ。
これは刃物の付いた武器も同じで、刃で斬られても、そこに傷は出来ず痛みだけが発生する。たとえ槍のような物で腹を付かれたとしても、変換フィールドはその威力をゼロにし、実際に貫かれることは無い。ただとてつもない痛みに襲われるだけだ。
このようにして、疑似的にダメージを与え、相手を気絶ないし戦闘不能の状態に持っていくか、降参させるのがバベルクライムの一般的な試合だ。
話しを戻し、練習室はそれと同じ魔法が張られている施設であり、料金を支払うことでその間自由に使うことが出来る、いわば市民体育館と同じ施設である。
「私の車でバベルまで移動するわよ。車を会社の前に回すから皆そっちで待ってて」
真彩はそう言って部屋を出ていく。その後には奏が続いた。
奏が部屋を出て行ったのを確認した響は、すぐに大和へと詰め寄る。
「大和君、無茶なことはやめてください。お姉ちゃんに魔法なしで勝なんて無謀です!」
「そうかね?」
「お姉ちゃんは、応用課程の時に、剣術の大会で地区優勝してるんですよ!?」
「なるほどね。けど、それは剣術どうしの戦いだ。俺は生憎槍術使いだからな。あいつの舞台で戦うつもりはねーよ。だから大丈夫だって」
「そう言う問題じゃ……」
「ほら、真彩さんが車回してくれるんだろ。待たせちゃ悪いし、行こうぜ」
「え、あ、大和君!」
大和は響を軽く押しのけて立ち上がると、響の手を引いて部屋を出ていく。
最後に残った志保は、小さくため息をついて立ち上がると、しっかりと戸締りを確認して表に向かった。