思わぬ壁
牛丼を食べ、腹を膨らませた大和は、次の目的地に向かっていた。
『次の信号右ね』
「別にマップ出てるし、音声案内はいらないぞ?」
『だって暇じゃん。周りは全部同じような形のビルばっかりだし、服もそろってスーツ姿。何を見て退屈をしのげばいいのさ』
「それは仕方ないだろ、ここはオフィス街なんだから」
大和達が訪れていたのは、バベルとは駅を挟んで反対側。オフィス街だった。なぜここに来たのかと言うと、理由は簡単。ここに健翔が所属するシズル重工の本社があるからだ。そこに健翔がいることも事前に調べてある。
師匠には、手紙を渡すのにどれだけ時間が掛かっても構わないと言われていたが、中に何が書かれているのか分からない以上、渡すのは早いに越したことはないと思い、先に渡してしまうことにしたのだ。
『後は道なりに直進だね。そうすればビルが見えてくるはずだよ』
「やっとか。健翔に合うのも久しぶりだな」
『三年ぶりだもんね。ノヴァも元気かな~』
子供のころから一緒に暮らしていただけあって、AIであるイクリプスとノヴァも生まれた頃からの付き合いだ。それだけ仲もいい。
「当たり前だろ。健翔がノヴァを雑に扱う訳ないし」
『だよね。試合見てると腕輪も杖も常に最新型にしてるみたいだし』
「悪かったな。どうせ俺の腕輪も杖も旧式だよ」
サポートAIのチップが挿入されている腕輪や、戦闘時に使われる杖は科学の発展や魔法の研究によって日々進化している。
具体的に言えば、処理速度の向上や魔力の伝導率の向上だ。処理速度が速くなれば当然AIの思考能力が向上し、様々な場面でより適確なサポートを行える。伝導率が上がれば、魔法の発動が早くなり、より効率的に魔法を使えることで戦闘の幅を広げることが出来る。
シズル重工に勤め、バベルクライムの最高ランクにまで進んだ健翔たちの腕輪や杖は、シズル重工から常に最新型が支給されていた。
それに比べて、大和の使っている腕輪も杖も今は型落ちの機種だ。住んでいたところが田舎なだけあって、新型を売っている店すらなく、通販で購入しようにも最新型は競争率が高すぎて注文すらできないのだ。
『せっかくこんな都会に来たんだからさ、いっそ機種変更とか杖も買い換えようよ』
「フッ、無理だな」
『なんで!?』
「金が無い」
現在の大和の持ち金は、アパートの家賃と食費、生活に必要な道具を購入するとほぼなくなってしまう可能性が高い。
そんな状況で、どうしても高額にならざるを得ない最新機種など買える訳がないのだ。
『ば、バイトしよう! いいところ探すからさ!』
「それもそうだけど、今は手紙と住む場所が先だ」
『うわーん! 大和の意地悪!』
拗ねてしまったイクリプスを放置して、大和は道を進む。そして緩やかな曲り道をしばらく歩いたところで、目的のビルが目に飛び込んできた。
高層ビルだ。他のビルと違い、道路に面しておらずビルと道路の間には来客用の駐車スペースとロータリーがある。ビルの前面はガラス張りになっており、太陽を反射させ輝いていた。まだ完成して間もないのか、全体的にコンクリートが白く綺麗なままだ。
「ここがあいつの所属してる企業か」
『なんか大和が場違い見たい』
イクリプスの感想ももっともだろう。先ほどからビルに入ってくのは、スーツ姿の人が多く、車は黒塗りの高級感あふれる物ばかりだ。
大和のように私服でしかも大きなエナメルバックを肩に掛けた少年などどこにもいない。
「まあ、手紙渡すだけだし」
自分の場違い感にいい訳をしながらビルの中へと足を進ませる。そこには大和以外にも場違いな連中が集まっていた。
ほぼ女性だ。しかも、手にはうちわや小さな旗を持っている。
そしてそれらには、健翔やそのチームメイトの顔がプリントされていた。
中にはハートのプリントされた鉢巻を付けている男性の姿さえ見える。
「なんだあれ」
『どう見てもファンだよね。健翔たちの』
「ああ、なるほど。まあ健翔も最高ランクの選手だし、ファンがいて当然か」
身近にいたせいで実感がわかなかったが、健翔は今や最高ランクで戦う選手の一人。プロスポーツ選手なのだから、ファンがいないはずはない。しかも赤い髪に金の瞳と整った顔立ちだ。女性たちが騒がないはずがないのだ。
「まあ俺達には関係ないだろ」
『そうでもないんじゃないの? 大和だって最高ランクまで上がればあんな感じのファンが着くんだし』
「なんか面倒くさそうだな」
テレビやネットニュースなどでファンに囲まれている健翔の姿を思い出してウンザリする。その時写真に写っていた健翔の顔は、表面上は笑顔だったが、大和には呆れているのが良く分かった。
それを見て師匠と一緒に笑っていた物である。
それはともかく、さっさと手紙を渡してしまおうと、大和はビルのエレベーターがある場所へと向かう。
「てか健翔もひでぇよな。連絡用の番号まで変更しやがって。イクリプス、ノヴァの位置分かるか?」
『これだけ近ければ分かるよ。ビルの五十六階だね。でも健翔』
イクリプスが何かを言う前に、大和の行く手を横から伸びてきた手が遮った。
そちらを見れば、警備員がいかつい顔で大和を見ている。
「ここから先は関係者以外立ち入り禁止です」
「えっと健翔の知り合いなんだけど」
「またファンか」
警備員は大和の言葉にうんざりしたように眉をしかめる。
そして強引に大和の腕を掴むと引っ張り出した。当然大和は抵抗する。
「いきなり何すんだよ」
「お前みたいなマナーの無いファンを叩き出すんだ。まだあいつらみたいに入口で待ってるだけなら目をつむるが、ビルの中に入ろうとする奴は無条件で叩き出せと指示が来ている」
「待てよ。健翔の知り合いだっつってんだろ」
大和が強引に腕を振りほどき、警備員を睨みつける。すると警備員は鼻で笑った。
「知り合いね。フン、握手会で手でも握ってもらったか? それとも会場で一瞬目でもあったか? お前みたいなやつが今週だけでも十人以上来てるんだ。いい加減こっちはウンザリしてるんだよ」
「ふざけんな。俺は師匠の所であいつと一緒に育ったんだ!」
「なに君にわかファン? それもと妄想癖でもあるのかな? 健翔君はね、孤児院で育ったんだよ。師匠なんている訳ないし、君と一緒に育つなんて無理に決まっているの。それ分かったらさっさと帰った帰った」
再び腕を掴まれ、強引にビルの入口へと連れて行かれる。抵抗するも、騒ぎに集まって来た警備員に左右から取り押さえられ、どうしようもなくなってしまったのだ。
そして入口から半ば投げ出されるように外へと出された。
「健翔君に会いたいなら、せめてもう少し勉強するべきだったね。あとファンレターを渡すんなら、専用の窓口が受付にあるからそっちに出してね。中身を確認してから健翔君に渡すから」
「クソッ、覚えてやがれ!」
大和は捨て台詞を残し、シズル重工本社を後にした。
ずんずんと道を歩きながら、大和は先ほどの対応に文句を並べる。
「たくっ、連絡取って確認してくれるぐらいいいじゃねぇか」
『しょうがないよ。今や健翔は時の人。言わばアイドルと同じ存在なんだから。さっきの警備員さんたちの反応だと、大和みたいに詰め寄ったファンが何人もいたみたいだしね』
「う……そ、そうかもしれないけどさ、俺のことをにわかファン呼ばわりしやがったんだぜ? 一緒に暮らしてきた俺をだ!」
『なんか師匠とか大和とかの情報がごっそり抜けおちてる感じだったね』
「健翔の奴、なんて話してたんだろうな。そう言えば、試合とか見てても師匠の話とか全く出て来なかったし」
健翔が試合に出れば、その度に簡単な経歴の紹介が実況によってなされる。普通ならばそこに書いてあるはずの、師匠と暮らしていたことや、大和と一緒に練習をしていたことが丸っきりそぎ落とされているのだ。
実況の解説を聞く限り、健翔は学校の卒業と同時に家を出て、その後今の仲間たちを自分の力で集め、シズル重工のバベルクライム参加の際に募った募集に選ばれたことになっているのだ。
『ちょっと調べてみようか――――あった。健翔の公式プロフィール。コンタクトに表示するよ』
ピッと音がして、大和の視界の左上に、健翔の顔写真とシズル重工によって公開されているプロフィールが表示される。
それをざっと眺めて、やっぱりと頷く。
「完全に抜けてるな」
『まあ、考えてみれば当然だけどね』
「何でだよ」
大和としては、自分や師匠がないがしろにされているような気がして、あまりいい気分では無い。しかし、イクリプスはそれが当然だと言う。
『考えてもみなよ。健翔が飛び出したのは、まだ基礎教育課の卒業前でしょ? 普通なら、警察に連絡して連れ戻さないといけない時期。そんなことが発覚したら、師匠に迷惑が掛かるかもしれないじゃん。それに、基礎課程もまともに終了してない人を、実力があるからって企業が雇いたいと思う?』
イクリプスの説明に、思わず立ち止まった。
「無理か……」
考えてみれば、当然なのだ。会社への就職は、基本的に応用課程が終わってからだと言われている。そんな中で基礎課程もまともに終了していない、いわば不良と言われてもおかしくないような行動をしている人物を、企業は雇いたいとは思わない。それならば、基礎課程が修了するとともに独り立ちすることが普通な孤児院にいたことにすれば都合がつくのだ。幸い、健翔は孤児院から師匠のもとに引き取られてきたのだから、師匠に迷惑が掛かるからと前もって頼んでおけばそれぐらいは融通を効かせてくれるだろう。
『そう。だから孤児院で基礎課程修了まで育って、独り立ちに合わせてバベルクライムに参加したってことにした方が、都合がいいんだよ。幸い、このことを知っているのは、私たちだけだし』
「でももうバラしても問題ないだろ。実力は確かなんだし、三年も経ってる」
『けどそうしたら師匠の周りが騒がしくなるんじゃない? 健翔を育てた師匠なんて言ったら、弟子入りしたいって人はわんさか来ると思うよ? 師匠って人ごみ嫌いそうだし、やっぱり話さないで正解だと思う。その辺り、健翔は大和より考えが回るからね』
「うっせ。どうせ俺はバカだよ」
『はいはい、いじけないの。それよりこれからどうするの? 手紙渡せないとなると師匠のお願い叶えられないよ?』
健翔に会えないとなれば、いつまでたっても師匠のお使いを終わらせることが出来ない。しかし、意地になった大和には、一つの考えがあった。
「直接叩きつける」
『どういうこと? 会えないのに』
「会う方法ならあるだろ。あの塔に」
『もしかして直接ってフィールドでって事?』
「そういうことだ」
『うわ、気長だね。最低でも三年かかるよ?』
健翔は三年かけて最高ランクまで上がったのだ。ならば大和でも最低で三年はかかる計算になるし、場合によってはもっと伸びる可能性がある。むしろその方が高いと考えても良いだろう。
しかし、大和は首を横に振った。
「別にそこまでかかんねぇよ。知ってるだろ? バベルクライムには年に一回、ランクが関係なしで戦えるチャンスがある」
『もしかして交流戦?』
「そうだ」
交流戦と言うのは、年度末に行われる、ランク関係なしの試合のことである。この試合に出られる条件は、ファンが思うその年最も活躍したと思われるチームだ。そのファン投票で選ばれた上位十二チームがランダムのトーナメント形式で戦うことになるのだ。
『なるほどね。確かにそれなら一年、最低でも二年だね』
「今年もまだ半年以上残ってるからな。ファン投票はインパクトの強いチームほど票が多くなる傾向があるし、健翔たちのチームは必ず出て来るだろ」
アビリティーの覚醒に、最高ランクへの昇格だ。これほどのインパクトがあれば、誰だって投票したくなるものだ。
「後は、俺がどこかのチームに入って、票を稼げばいい」
『そんな上手く行くかな?』
イクリプスの疑問も当然だろう。ファン投票を得るには、活躍しなければならない。それも、常に華やかと言われるバベルクライムでの戦いでだ。それは並大抵のことではない。
ちょっと強い程度ならば、すぐに有象無象に飲み込まれてしまうような場所なのだ。
「そこも考えがあるんだ。とにかく今は所属チームを探さないとな」
『そっか。まあ、私は大和を支えるだけだしね。その考えとやらに期待してるよ。で、次はどこ行くの?』
大和達は喋りながら歩いているうちに、駅のある場所まで戻ってきていた。
「……宿探すか。カプセルホテル表示してくれ。できるだけ安い奴」
『はいはい』
何もやることが無くなった以上、今日寝る場所を探すしかない大和達であった。