バベル運営事務局
大和達が住んでいる場所は、田舎過ぎて電車などという高度な文明は存在しない。師匠は車を持っているため、特に気にした様子は無かったが。車なしで都会まで出ようとすると、改めてその不便さに気付く。
まずバスが少ない。むしろ、バスが通っているだけ幸いだと言うべきだろうか。
近くの停留所まで徒歩三十分。さらに、バスが一日三本、時刻表にはなぜか時間ではなく朝、昼、夕方の三文字が並んでいた。
これまでの生活のおかげで、朝はだいたい八時前後、昼は二時前後、夕方は十九時前後だとは分かっているが、もし初見の人がいれば、確実にバス会社に苦情が来ていただろう。だが、そんな苦情が来ないほど、ここは田舎なのだ。
バスに乗って二時間、そこで初めて電車に乗り換えることが出来るようになる。
しかし、そこは電車の終点駅。周囲を見れば、大和達の家ほどではないが畑や空き地が目立つ場所である。目指すビル群の街並みはまだまだ先だ。
電車に揺られ一時間、乗換を経て快速でさらに一時間。家からでは合計四時間を掛けて、ようやく都会と呼べるだけのビル群が立ち並ぶ街並みへとたどり着いた。
別に、ビル群が立ち並ぶだけの町ならば、もっと早く着いたのだが、大和が目指しているのはバベルクライムが開催されているバベルがある都市だ。
バベルクライムは一般的にスポーツの名前であり、バベルのみで呼ばれる場合は、バベルクライムが開催されている塔そのものを示す場合が多い。
現在日本で、バベルのある県は全部で七つ。東京、愛知、大阪、福岡に北海道、新潟、兵庫である。大和たちが目指したのは、その中で最も近く、健翔も参加しているバベルである愛知のバベルだ。
「やっと着いた……」
『長かったね~、もうお昼だよ』
バベルの町に着いたとき、時刻はすでに十二時を回っていた。太陽は頂点へと達しており、ビルに反射して容赦なく光を浴びせてくる。その光に目を細めながら、大和は周囲を見回して呟いた。
「さて、まずは昼飯かな?」
『時間的にはそうだよね。けどこの時間だとどこも開いてないんじゃない?』
ARコンタクトを通して入ってくる情報には、飯屋の看板がいくつもある。しかし、その看板の下には背広を着た人だかりができていた。
ビル群なだけあって、そこで働く人の数も多く、それが一斉に昼食を取りに外に出てきたのだ。
どの店も人であふれかえっており、少し出遅れた感のある大和が入れそうなスペースは無い。
「じゃあ先にバベルの運営事務局行くか。書類出して情報登録するだけだし、すぐに終わるだろ」
『じゃあそこまでの地図出すね。路上に表示するから、人とぶつからないように注意してよ』
「田舎者みたいに言うなよ。それぐらいできる」
ARを使うと、その情報に集中してしまい、つい現実の方を疎かにしてしまうことがある。それは、情報量の少ない田舎に住む人ほど顕著な現象だった。
『実際田舎じゃん。しかも、そこから出たことのなかった大和はまさしく田舎者だよ』
「うっせ。さっさと表示してくれ」
『はいはい~』
ピッと音がして、路上に黄色い線が現れ、視界の左上には上空からの地図が表示される。それがバベルの運営事務局に続く順路だ。
「結構距離があるんだな」
地図を見ながら大和がつぶやく。駅からは十分ちょっとといった所だろうか。人気スポーツなだけあって、野球ドームのように駅から近いと思っていたため、その距離に少し驚いた。
『まあ、安全面の問題もあるからね。あ、事務局はバベルタワーのすぐ横にあるみたいだよ』
「へー」
イクリプスの言葉と同時に、コンタクトの片隅に表示されていた上空地図が事務局周辺にズームされる。そこには、一本の高い塔を中心に開けた空間があった。
地図から見ただけでも、かなり広い敷地が開いているのが分かる。
空いたスペースには芝が敷かれているのか緑色になっており、その一角に事務局はあった。
『バベル建設の際に色々問題があったみたいだからね。周辺はかなり広く取ってあるみたい』
「だから駅から近くは無理だったのか」
バベルと言われるだけあって、その塔の高さは半端なものではない。
優に五キロを超える高さの建造物が平然と立っていられるのは、魔法科学の結晶とも呼べる存在だった。
そしてそんな場所で行われているのが、魔法と武術の粋を集めた、総合戦闘技術で戦うバベルクライムなのである。
「まあ、立ち止まってても塔は近づいてこないし、さっさと行きますか」
『レッツゴー』
大和は肩から落ちそうになっていた荷物を一度持ち直し、表示に従って目的地へと向かう。圧倒的なまでに立ち並ぶ高層ビルと、そこに表示される情報量に翻弄されながら、大和は十分ほど歩く。
するとビル群が急に途切れ視界が開けた。
「スゲー」
大和の口からはその言葉しか出て来なかった。
見上げる先は霞がかかってその頂を見せず、ただ天へと続くその巨塔は悠然とその姿をさらしている。
『大和、口空きっぱなしだよ』
「お、おっと」
思わずポカンと開いていた口を閉じ、目的の場所を探す。
それは、すぐに見つかった。
三階建ての、この辺では小さい方と部類されるであろう建物。見た目は赤煉瓦で出来た洋館であり、どこか趣を感じさせる。
「あそこか」
『そうみたいだね。早く行こうよ』
「そう急かすなって」
イクリプスにせっつかれ、大和は事務局の中へと足を踏み入れる。
入った正面は広い空間だった。
三階までの吹き抜けに、大きなシャンデリアが吊らされ室内を明るく照らしている。受付も外からの見た目を意識したのか、木製のテーブルで作られており、受付の中と外はガラスで区切られていた。
その受付の奥には沢山の机が並んでいる。その割にスタッフの数が少ないのは、昼休みだからだろう。
大和は壁に掛けられていた指示に従って、番号札の機械から取り出す。するとすぐにその番号が呼ばれ、受付へ来るように言われた。
指示に従って指定を番号が頭上に描かれている受付に向かう。
「こんにちは、どのようなご用件でしょう?」
「えっと、バベルクライムに参加するための企業斡旋をしてもらいたくて来たんだけど」
「分かりました。履歴書等の必要書類はお持ちですか?」
「はい」
受付に言われるまま、持ってきた書類を僅かに空いたガラスの隙間から渡す。
「少々お待ちください」
受付はそう言って大和が渡した書類を確認していく。書類は全部で三枚。一枚は大和の履歴書。学校は昨日のうちに中退となっている。手続き的にはまだだが、師匠がすでに必要書類は提出したこともあって、履歴書には中退と書いてある。
二枚目は健康診断書。バベルクライムは魔法武道混合の非常に激しいスポーツのため、健康状態に関してかなり厳しい基準がある。それを満たしていない場合は、どれだけ力があっても参加することはできない。
この書類は、それをクリアしているという医者からのお墨付きだ。
そして三枚目。これはバベルクライムに参加するために必要な資格を持っていると言う証明書だ。
バベルクライムのルールでは、武術も魔法も自由に使うことが出来る。しかし、強力な威力を発動させることが出来る魔法は、国によって制限が掛けられていた。
その制限された魔法を使える資格を持っていなければ、バベルクライムには参加できないのだ。
それが《攻種魔法使用資格》である。
一級のビルを簡単に破壊できるレベルの物から、杉の木を折ることが出来るレベルの五級までがあり、参加資格は二級以上の取得が義務付けられている。逆に言えば、それぐらいの魔法も使えないと、バベルクライムでは参加しても瞬殺されるのだ。
一通りの確認を終えた受付は、引き出しからカードリーダーのような機材を取り出す。
「書類に問題は無いようですね。では、個人情報の登録を行いますので、AIからこちらに情報の転送をお願いします」
「イクリプス頼む」
『はいは~い。接続フリーの情報端末を確認、識別コード11562、間違いありませんか?』
「はい」
イクリプスの問いに、受付が頷く。機械の上部にも、確かにその識別コードが書かれたシールが張ってあった。
サポートAIは基本的に無線での接続を行う。そのため、周囲に同じような機械が沢山あるこのような場所では、機械ごとの識別コードを確認する必要があるのだ。
『主人、保月大和の個人情報を転送します――――転送完了』
「こちらも確認しました。保月大和様、魔法暦(魔法の発見と同時に施行された新たな暦)五百七十六年生まれの十八歳。サポートAIの個体名称はイクリプス……あれ?」
受付は、イクリプスによって送信された大和の情報を液晶で確認していく。そして、サポートAIの名前の部分で言葉が詰まる。
それの理由を分かっている大和は、すぐに言葉を挟んだ。
「それ俺のアビリティー関連だから気にしないで。国にも認められているし。何だったら証明書あるけど見る?」
アビリティーに関しては、科学者が懸命に研究しているが、詳しく分かっていない部分が多い。今分かっていることは、アビリティーには常時発動している者と、術者によって発動させることが出来る物の二種類があると言うこと。
そして、魔法と同様に千差万別の能力があり、魔法よりも発動にコストのかからない能力だと言うこと程度だった。
その為、国はこのアビリティーに関し危機感を示した。今の世界は魔法と科学の二本柱で動いている。科学の問題点だった無限に必要なエネルギーを魔法がカバーし、魔法の欠点であった不安定さを科学がカバーする。お互いの長所によって短所をかばい合うことで、多くの問題を解決に導いた。
そして生まれた魔法科学だ。今の科学と言えば、これを示す言葉になっている。
もしそれにアビリティーによる新たなエネルギーや技術の革命が起これば、経済に大きな混乱がもたらされるのは確実だった。
それに危惧した各国は、アビリティーの保有者を把握するため、アビリティーの所有者には国への登録を義務付けたのだ。
「あ、では一応確認させていただきます」
「イクリプス頼むわ」
『同端末に表示しますね』
受付嬢は表示された能力を見て、感心したようにつぶやく。
「こんな能力もあるんですね。仕事上色々な能力の人を見てきましたけど、この能力は初めて見ました」
「名前はあんまり好きじゃないんだけどな」
「確かにこれはちょっと嫌ですね……」
受付嬢は若干苦笑しながらモニターを閉じた。
「では必要な情報はいただきましたので、この後資料を製作し、大和様に合った条件の企業を探したいと思います。おそらく三日ほどで企業を紹介できると思いますので、それまでお待ちください。紹介企業が見つかり次第、サポートAIに連絡させていただきます」
「了解」
「ではお疲れ様でした」
受付嬢に見送られながら、大和は事務局を後にする。外に出たところで、大きく息を吸い込み、肺に溜まった古い空気を吐き出した。
「ふぅ。終わった」
『事務局の中って、なんか硬い空気だよね』
「お前息なんてしてないのに、なんで分かるんだよ……」
『ネットにはね、なんでもそろってるんだよ。それよりご飯行こうよ。そろそろ空いてきてるはずだし』
色々確認している間に、時刻は一時を回っている。すでに会社の休憩は終わり、サラリーマンの影は大分減っている。飲食店もラッシュを終えて一息ついている時間だ。
「そうだな」
『何食べたい? 案内するよ?』
「牛丼だな。簡単に安くガッツリ」
『おもしろみなーい! もっとクラムチャウダーとかチョットポティとか無いの?』
「ねぇよ。一週間は節約生活しないといけないんだ。チェーン店案内してくれ」
『はーい。一番近い場所に案内するね。案内表示!』
ピッと音がして、バベルまで来たときと同じように、歩道の上に黄色い線が表示された。
大和は、それを辿ってビル群の中へと消えて行った。
『健翔、国から認定書が届いたわ』
「早かったね」
株式会社シズル重工の宣伝部があるフロアの一室に健翔はいた。
革張りの大きなソファーに、人の身長もあろうかという大きさのテレビ。グランドピアノやショーケースなど、考え得る最高の調度品が並べられている。
そこには、健翔のほかにもチームの仲間たちが思い思いの形で寛いでいた。
健翔の横に座って、テーブルの上からお菓子をつまんでいた、魔女の格好をした少女リリルが尋ねる。
「認定書って健翔のアビリティーの?」
「そうだよ。名称も特に希望も出してなかったから、向こうで決めちゃったみたいだね」
健翔はポケットから携帯型ディスプレイを取り出し、サポートAIノヴァに認定書を表示させる。他人と情報を共有したい場合、ARコンタクトよりもこの携帯型ディスプレイを使う場合が多い。
そこには、健翔の名前とアビリティーの名前、そして効果が書かれていた。
「見せて見せて」
リリルは身を乗り出し、半ば健翔に抱きかかるようにしてディスプレイを覗き込む。
「リリル近いよ。それに当たってる」
「当ててるんだもん。どう、気持ちいいでしょ?」
「あはは……」
「その辺にしておけ、リリル」
リリルに注意を促したのは、タンクトップ姿の山城郷戸。高層ビルから眼下の光景を見下ろし、スクワットをしている。それだけならただの筋トレだが、その肩には総重量二百キロのバーベルが担がれていた。
「そうですね。あまり人前で見せて良い物ではないですよ」
郷戸に続いて、部屋の隅、一部だけ作られた畳の上から斉藤一真が言葉を発する。正座を崩さず、真っ直ぐに背筋を伸ばした状態で杖の整備をしていた。その姿は、さながら刀を磨く侍のようだ。
「ちぇっ、けち。それで、どんな名前に決まったの?」
リリルが気を取り直して健翔に尋ねる。
健翔はディスプレイを確認しながら、三人に聞こえるように答えた。
「名前は刹那の魔眼だって」
「刹那の――」
「――魔眼」
「カッコいいよ! さすが健翔のアビリティーだね!」
「アビリティーが発動した瞬間、僕の目が光ってたから魔眼なんだってさ。僕自身には分からなかったんだけど」
「確かに光ってたよ。健翔の金色の瞳。いかにも覚醒しました!って感じにピカーッと」
その時、郷戸と一真は気を失っていたが、リリルだけは何とか意識を保ってその姿を見ていた。
その時の光は、健翔の瞳の金色を黄金と思わせる色に変化させていた。
「そっか、なら仕方ないかな。何かそれで有名にもなっちゃったみたいだし」
健翔がディスプレイをスライドさせると、ニュース記事のスポーツ面が現れる。そこには一昨日の健翔たちのチームの昇格試合で、アビリティーが発現したことが大々的に書かれていた。
それも、劇的な場面での発現と、直後の逆転劇によりバベルクライムのファンからかなり高評価だったという記事だ。
そのおかげもあってシズル重工としての宣伝効果十分と判断され、上層部から特別ボーナスまで支給してくれた。
「これで僕も含めた全員がアビリティーを獲得したことになるだよね」
「そうね。私たちは隠してたけど、前から持ってたし」
「トップクラスだとチーム全員アビリティー持ちは珍しくありませんからね。有利になるということは分かりませんが、不利にはならないでしょう」
「何があっても、俺はこの体で薙ぎ払うだけだ」
「相変わらず筋肉バカね。少しは頭使ったら?」
リリルが郷戸をからかうようにため息を吐く。しかし郷戸は平気な顔で言葉を返す。
「ふん、後ろから蚊も殺せない攻撃を飛ばすやつよりかはマシだろうがな」
「なによそれ、私が役立たずだとでも言いたいの?」
「おっと、そう聞こえてしまったか?」
お互いに挑発しあって、次第にヒートアップする二人。視線がぶつかり合い、火花を散らしているようだった。
そこに待ったをかける三人目が現る。
「二人ともヒートアップするのも良いですけど、こんなところで喧嘩はやめてくださいよ。杖に埃が入りますから」
「なによ、すかしちゃって。杖集めが過ぎて彼女に振られたやつに何言われたって何とも思わないわね」
「仕方あるまい、今のあいつの彼女はあの杖なのだからな」
「まったく、あなたたちは日頃自分がお世話になっている物に対する感謝の念が無いんですかね。まあ、筋肉バカと色ボケ魔女では仕方のない事かもしれませんが」
三人が黙ったまま立ち上がる。それぞれに自分の腕輪からAIチップを取り出し、腰のホルスターから杖を取り出すとAIチップを挿入し復元させる。
一触即発、そんな空気の中、パンパンと二回手を叩く音がした。
三人がそちらを向けば、苦笑気味に健翔が言う。
「三人とも元気が有り余ってるみたいだから、そろそろ次の試合の作戦会議を始めようか。ちょうど動画も届いたからね。ノヴァ頼むよ」
『ふぅ、少しは落ち着いてほしいものね。回線をテレビに接続、動画を再生するわ。三人も座ったら?』
ノヴァの落ち着き払った声に、三人は杖を待機状態に戻して、再生の始まった動画を見る。
その視線は真剣そのものだ。
そこにはプロそのものの真剣な視線だけが残っていた。