思わぬ練習法
ランクアップ戦まで残り三日となった。
あの日以来夕凪のメンバーとは遭遇していない。そのおかげか、奏も練習自体は真剣に打ち込むことが出来ている。
しかしそれではだめだと大和は悩んでいた。
現状、奏が再び麗華と出会えば、練習と同じ動きができないことは分かりきっている。何とかして奏に怒り耐性を付けさせるか、それとも今回の試合に限って奏を捨て駒として使うか。その判断が微妙なのだ。
真彩とも何度か相談しているが、現状どちらにするか決まっていない。
もし奏を捨て駒にする場合、志保が試合の要となるのは間違いない。その志保も、これまでの練習で何とかファイアボールとファイアボールのような同種魔法のマルチマジックは成功しているが、別種の魔法を使用したマルチマジックは成功の兆しがまだ無かった。それも、この作戦をためらっている理由である。
「今日も成功は無しか」
「感覚が上手くつかめない」
今日の仕事を終え、寮に戻ってきた大和は、志保の部屋で成果の確認をしていた。
現状、マルチマジックに関する情報を持っているのは大和だけだ。故に、志保も相談できる相手は大和しかいない。
そんな状況の中、二人で必死に試行錯誤をしてはいるが、志保は今の状態から抜け出せずにいた。
「やっぱ難しいか。同種魔法までは結構簡単に行けたんだけどな」
「使う魔力量の調整が難しい」
マルチマジックの構成は、杖に魔力を送りこむのと、自ら魔法を構築するのを同時に行うというのは以前説明した。
一見やっていることは左手でホースを扱いながら、右手で絵を描くだけと練習すれば割と簡単そうに見える。しかし、現実は志保の言った通り、左右の手で違う文字を書くような物なのだ。
魔力の操作は蛇口をひねれば出てくる水とは違う。自分の中にある魔力を必要な分だけバケツから汲み出し、ホースを通して出したい場所から出さなければならない。
二つの魔法を同時に使う場合、それぞれの魔法にあった量の魔力を消費しなければならないのだが、志保はそれが上手くできないのだ。杖に使う魔力に意識を向けていると、自分で魔法陣を描くための魔力量が違ってしまい、魔法陣を綺麗に描くことが出来ずに魔法自体が崩壊してしまう。
逆に、自分の魔法陣の魔力に注意を向けていると、杖に送る魔力量に微妙な違いが出てしまい杖がしっかりと魔法を完成させることが出来ないのだ。
これを成功させるには、両方の魔力量を適切な量で使用する必要がある。
「両方に意識を向けられれば簡単なんだけどな」
「それができれば苦労はしない」
『そうそう。それも問題の一つだったんじゃん』
「やっぱここは回数こなして体で覚えるしかないのかね?」
「それだと多分間に合わない。今日も魔力をギリギリまで使ったけど……」
志保の魔力量を持って、ギリギリまで使ったと言うことは、一般のバベルクライムに参加している魔法使いからしてみれば、三回ほど枯渇していてもおかしくない量である。それだけの練習量にもかかわらず、進展の兆しが見えないマルチマジックに、志保はだんだんと諦めにいた感情を抱き始めていた。
だが、自分から何か強くなる方法はないかと聞いた手前、提案をしてくれた大和に対し簡単にやめるとは言い難く、またチームのお荷物にはなりたくないという思いだけを糧に、練習に励んでいる。
「何か打開策を見つけないとな」
二人で考え込んでいると、インターホンが鳴らされた。そして応答に出たピッツから響が来たことを教えられる。
「なんだって?」
『夕飯の支度ができたそうです』
「もうそんな時間……」
『ただいま十九時半になったところです』
帰って来たのが六時過ぎだったため、すでに一時間近く経っている。それだけあれば、夕食の準備も出来るはずだ。
「とりあえず対策会議はいったん中断だな。飯食って燃料補充だ」
「そうする。魔力が足りない」
志保が立ち上がり、疲れた様子でのそのそと出口へ向かう。大和はその後を追った。
翌日。解決策は意外な所で見つかった。
その日は午前中の練習室が取れなかったため、午後からの練習となっていた。そのため、午前中は第二課に出社した大和たちだが、そこで真彩が恐ろしい形相で電卓を打っていたのだ。
「おはよう」
「お、おはよう。真彩、どうしたの?」
「それはこの書類の束のことかしら?」
「そうだけど」
真彩は一切顔を上げることなく、電卓でひたすら数字を打ち込みながら目の前に山積みにされた書類を捌いている。
「上から回って来たのよ。シズル重工と色々交渉するときに便宜を図ってもらったからね。その分のツケがこの書類よ」
「何の書類なんですか? 見たところ数字だらけですけど」
響が適当に一枚取り上げて確認する。そこには、びっしりと大量の数字が埋め尽くされていた。
「今年度の経費の見積書よ。あいつら、私たちが潰れる事前提で話を勧めてたから、経費も第二課に回してなかったのよ。けど現実は今の状態。ネットや専門誌の評価でも、昇格の期待度は高いなんて結果が出てるから、上は大慌て。特に会計課はヤバいみたいね。今年度の経費を全部見直してるみたいだし」
「じゃあこれは……」
「そうよ、その手伝い。数字に異常があれば、マーカーでチェックして突っ返すの」
話しながらも、真彩の手が止まることはない。次々と電卓には数字が撃ち込まれ、その桁を増やしていく。時折、マーカーで色を付けている所を見ると、間違っている部分も多々ある様子だ。
「あんたたちも手伝いなさいよ。これは|第二課『あたしたち』が残るために必要な事なんだからね」
一瞬だけ上がる真彩の視線。その視線を受けた瞬間、いつもはゆっくりとした動きしかしない志保までもがきびきびと席に着き、作業を開始した。
昼休憩の鐘が鳴るまで、第二課の室内には電卓の音が響き続けていた。
そして、鐘が鳴った瞬間、全員の口からフーッと大きなため息が漏れる。
「どこまで終わった?」
真彩が全員に進行状況を尋ねた。
来たときまで、真彩の前に山のように積まれていた書類は、分けられてそれぞれの前に小さな山を作っている。
「私は半分って所かしら? 午後の練習は中止になるかも……」
「私も半分ですね。真彩さんみたいに、電卓を見ずに打てればもっと早くなるんでしょうけど」
「俺は三分の二ぐらい残ってるな。志保はどうだ?」
大和の問いかけに、全員が志保の方を向く。そこではちょうど目の前の資料を電卓に打ち終え、計算を終えた志保の姿がある。
「終わった」
「え!?」
「もう終わったんですか!?」
「う、嘘」
真彩が慌てて確認すると、資料には所々マーカーされた跡があり、全ての資料が終わったことを示している。
「志保ちゃんってこんなに仕事早くできましたっけ?」
「なんだか簡単に指が動いた」
それは志保自身にしても不思議な事だった。
今までは電卓を見ずに数字を打ち込むことなどできなかったのだ。しかし、今日電卓を打っていると、最初こそ見ながらやっていたが、途中からはその頻度が減り、最終的には真彩と同じ速度で電卓を打っている自分がいた。
「でもこれなら!」
「ええ、三時ぐらいからは練習に時間が取れそうね」
「志保、その調子でどんどんやっちゃって!」
「奏も頑張りなさいよ!」
「わ、分かってるわよ……けど今はお昼にしましょ! 響!」
「はいはい~」
響が鞄の中から大きな風呂敷包みを取り出す。
それは、大和が増えて弁当箱にいちいち詰めるのが面倒になった響が考案した手段。皆で一つの重箱を囲む、お花見スタイルだった。
「できた……」
資料の確認を終えて、練習室に来た第二課のメンバー。その中でマルチマジックの練習をしていた志保が唐突に呟いた。
そして、発動言語を紡ぐ。
「ファイアランス。アイスバレット」
杖を持つ左手からはファイアランスが、そして右手の何も持っていない手の先からは、氷の銃弾アイスバレットが飛び出し、的に向かう。
両方とも、惜しくも的の横を通り過ぎてしまったが、その発動タイミングはほぼ同時。つまり、同時に魔法を発動させたことになる。
「やったのか!?」
奏の相手をしていた大和は、瞬時に足を引っ掛けて転倒させると、志保の元へ駆けよる。
志保は大和を振り返りながら、やや呆然とした様子でコクンと頷いた。
「もう一度見せてくれ!」
「分かった」
二人の様子に、響や真彩も、志保の様子を注目した。
そんな中、志保は再び魔法を発動させる。
自らの中で魔力を汲み出し、片方はそのまま杖へと送る。もう片方を変質させ魔法陣を組むための糸を作り、その糸を使って魔法陣を組み上げる。
杖の魔法が僅かばかり先に完成し、直後に自分の中で自分の描いた魔法陣が完成するのを感じた。
二度の連続成功に、志保の中でも確信が湧く。
「ファイアボール。アクアスプレット」
今度は自分が作った魔法陣の魔法。ファイアボールから発動させた。そしてアクアスプレットもほぼ同時に発動する。
ファイアボールは的の中心に直撃し、アクアスプレットは足元にぶつかり床を僅かばかり削った。
「スゲー! これがマルチマジックか!」
『夢の魔法完成だね!』
「おう! これは師匠に報告しないとな!」
「その前にどういうことか説明しなさいよ!」
大和が一人で興奮していると、起き上がって来た奏が詰め寄る。一応メンバーには志保と新しい魔法の研究をしているとは説明していたが、それがどういう物なのかは詳しく説明していなかったのだ。
「バベルクライムにおける、魔法の常識を覆す理論だ! これはリンブルがもっと注目されっぞ」
ただでさえ、大和の登場で注目が集まっているリンブルだが、そこに新しい理論を携えた魔法使いが現れたとなれば、注目の度合いは跳ね上がるだろう。
それはそのまま、年末の交流戦に参加できる可能性が飛躍的に高まってきていることを意味する。
「この調子ならいけるな」
『うん、健翔と戦う日も近いよ』
「ちょっと! 何言ってるのか意味わかんないわよ! 分かるように説明してって!」
奏の声をバックに、大和は健翔との試合を思って小さく舌なめずりをするのだった。
シズル重工の健翔チームは、いつもの部屋でゆったりと寛いでいた。
「本当にこいつが私のライバルになるの? 後ろからちまちまやってるだけじゃん」
「まあ、今はそうだろうね。早ければ次のランクアップ戦、遅いともう少しかかると思うけど、面白いものが見られるはず。今まで僕の審美眼は外れたこと無かったでしょ?」
「そうだけどさ~」
二人が話しているのは、今モニターに映っているリンブルの試合だ。先日行われていた物を録画した物だが、リリルは健翔の言った通り、志保と言う少女を注目して見ていた。しかし、どうもこれが、健翔の言う自分のライバルになる存在だとは到底思えない。
様子から見るに、魔力量は多いのだろうが、それを扱い切れていない。もしリリルならば、もっと高威力の魔法を使えるし、乱戦の中でも、仲間たちの隙間を通すように魔法を放てる。
簡単な話、実力が違いすぎるのだ。
「やっぱりそんな風には思えない。今回ばかりは健翔の勘違いだと思うな」
「なら賭けをしてみようか」
「賭け?」
「面白そうですね。何を掛けるんですか?」
「賭けなら俺も混ぜてくれ」
健翔の提案に、周りにいた郷戸と一真も加わってくる。
「リンブルチームが僕たちのライバルになれる存在か、次の試合で見極めるんだ。そこでライバルになる方かならない方どちらかに賭ける。負けたら――そうだね、勝った人に社員食堂のフルコースランチを奢るなんてどう?」
フルコースランチ。それは、シズル重工の社員食堂が行っている一種のネタ料理だ。いくら一流企業と言えど、昼食は皆同じ。社員食堂には、リーズナブル価格で早く食べられるものや、ちょっと拘ってOLに人気のあるもの、出張してきた海外の人の為に、多国籍に飛んだ料理が用意されている。
その中でフルコースランチは、値段は高く、オードブルから順番に出てくるため、時間にも優しくない。ただ、料理だけは一流のシェフが作るこだわりのランチコースである。
その値段なんと一万円。半年に一度注文が入ればいい程度のランチだ。
「面白そうね」
「良いですね」
「賛成だ。あれは一度食ってみたかった」
健翔の意見に、全員が賛成する。そしてどちらに賭けるかを話しはじめた。
「もちろん僕はライバルになる方に賭けるよ。話を持ち出したのは僕だしね」
「私はならない方ね。あの様子じゃワンマンチームになって途中で止まるわ」
今もモニターに流されている試合の様子を見ながら、リリルが得意げに答えた。
「郷戸はどうする?」
「俺もリリルと同じ方に賭けさせてもらおう。あそこに俺の力と対抗できる奴はいなさそうだ。どいつもこいつも非力な奴らばかりよ」
「まあ、郷戸ならそう言うと思ったよ」
郷戸の答えに、健翔は苦笑する。
「最後は一真だね。どう?」
「そうですね、なら私は健翔側に着きましょう」
「えー、一真もライバルになるとは思ってないでしょ? なんでそっちに着くのよ」
リリルの答えた通り、一真もモニター上の試合を見る限りでは、自分達のライバルになれる存在だとは思っていなかった。
しかし、これまでバベルクライムに関して健翔の予想はほとんど外れたことが無かった。そして、なにやら今回も色々と秘密を知っていそうである様子を見て、勝てそうな方を選んだのだ。
「まあ、私は健翔の目を信じてみようかと。誰もリーダーを信じないのでは、チームとしても問題がありますしね」
「分かったわよ。なら、どっちか負けた二人が、勝った二人にフルコースを奢ることになる訳ね」
「そうだね。試合が楽しみだ。有給もとったし、ここで見ようかな」
「ならその日は私も有給取るわ。どうせ余らせて後から使えって言われるんだし」
「俺もだな」
「私もですね」
「結局皆ここに集まるんだ。じゃあお菓子とジュースを用意しないとね」
バベルクライムはあくまでスポーツ。その観戦に、ポップコーンとコーラは欠かせないものだった。