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1話 「悩み」

 太一はシャープペンシルを投げ出すと、大きなため息と共に勉強机へ倒れ込んだ。

 最近、集中力がほんの少しだけ落ちた気がする。その「ほんの少し」が、これから膨らんでいくであろう事も分かっていた。太一には、受験への不安だけでない、どうにもし難い悩みがあった。

 太一には兄が一人と双子の姉妹がいる。2つ上の兄はあっさり東京の大学へ合格し一人暮らし、3つ下の姉妹は地元の中学で高校受験を頑張っている。太一も子沢山の両親を安心させたいと、地元の国立大学へ向けて猛勉強していた。

 不意に部屋のドアがノックされた。我に返った太一はギクリと背筋を伸ばし、ドアへ目を向ける。回転式の勉強椅子がギイ、と音を立てた。

「ねえ、兄ちゃん、いる?」

 桜の声だ。双子の内の妹であり、彼女こそがまさに、悩みの元凶そのものであった。

「……桜か。今度はどうした」

 太一が机の隅に転がったシャープペンシルを拾いながら言うと、あのねあのね、と嬉しそうな声を上げて、桜がドアを開けて部屋に入ってくる。兄が東京へ行き、兄弟の部屋が太一の物になって以来、ここは度々桜の襲撃を受けていた。今日の昼間も息抜きをしようと言って部屋に入り込み、しぶしぶトランプでスピードをして遊びに付き合ってあげたばかりだった。

「数学の問題集でね、答え見ても解んない所があったから」

 桜は両手に持った冊子を太一へ突き出し、物陰から様子を窺うように、小動物めいた動きで本の上から目を覗かせた。

 太一はうんざりした表情をしながらも、強く拒むような態度を取らない。それが太一の長所であり、短所でもあった。

「全くもう、俺も受験生なんだぞ? 大体、もう受験生なんだから自分で勉強しないでどうするんだ。俺が大学行って引っ越したらどうなるんだか」

「兄ちゃん、引っ越すの」

 太一がはたと視線を桜へ移すと、たった今彼女の目から涙が溢れたところだった。

 慌てて太一が、冗談だから、大丈夫地元の所受かるから、と宥めると、うんうんと頷きながら、寝間着の裾で目じりをごしごしと擦った。太一は心の中でほっと安堵する。

 太一の悩みはまさにここにあった。桜は太一に対して尋常でない好意を抱いている。それも、兄妹愛では間違いなく無い。

 理由は太一の眼には明白である。桜は、少なくとも十年来の間、頼るべき人物が太一しかいなかった。

 同い年で、同じ学校に通い、同じ部屋を与えられている姉妹だが、姉妹仲は頗る良くない。そしてそれが、桜が太一に依存する原因となったと言っても過言ではなかった。

 双子は全く対照的だった。

 姉の楓は頭が良くて器量も良い。幼い頃から、その凛とした顔立ちをニコニコと綻ばせながら人に取り行って仲良くなるのが得意だった。学業の成績も優秀で、そんな彼女を家族共々溺愛した。

 それと対照的に、妹の桜は引っ込み思案で人づきあいが苦手だった。昔から賑やかに楽しむよりも、少人数でゆったりとしているのが好き。そんな性格が外見にも表れ、目尻の下がった大きな目と丸みの強い顔の輪郭が特徴だった。学業は決して優秀とは言えず、学校で、家庭で、絶えず姉と比べられて育ってきた。

 彼女たちと年の近い肉親だった太一は、その様子を誰よりもよく見ていた。元来優しい性格で、兄弟と比べられるという屈辱を経験した太一は、桜の気持ちが痛いほどよく分かった。桜を救うために、太一は姉妹に別け隔て無く接してきた。やがて桜は太一を誰よりも慕うようになり、自分を特別扱いしないのが面白くないと、楓は太一を嫌うようになっていった。姉妹は全く正反対だった。

 太一は桜に、自分を悲観しないようにと、それだけを思って気遣ったつもりだった。そのつもりだったのだが……。

 理由はともかく妹を泣かせてしまった後ろめたさと、ほんの少しの回顧からか、太一は渋々、

「はあ……。分かったよ。何処が解らないんだ?」

「やったあ!!兄ちゃんありがとう!!!!」

 瞬間、桜が太一に抱き付く。すっかり成長した胸の膨らみが脇腹に押し付けられ、太一は赤面した。太一が桜の顔を見下ろした時、頬を薄く染めて熱に浮かされたようにじっと熱い視線を返してきたのは、恐らく気のせいでは無いだろう。

「はいはい、いいから早く問題集開いて」

 平静を装って桜を椅子に座らせ、問題集を机に広げさせる。付箋があった所を開くと、応用問題のページだった。

 基本は出来てるってことか。

 太一は心の中で呟く。それなりに頑張っているようだ。

「ねえ」

「ん?どうした?」

「この辺、凄い兄ちゃんの匂いがするね」

 ────太一は大きくため息をついた。

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