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平和を謳う英雄

作者: 霧澄藍
掲載日:2026/06/03

「見ろよこれ!格好いいだろう?」

 いつも通り適当に無視しようとしたけど、なかなか止まらない元気な声に根負けして読んでいた本から顔を上げる。

 視界いっぱいに開かれた自由帳に、所謂ヒーローもののスーツを身に着けたキャラクターが描かれていた。

「何それ?」

「ジャスティカイト!」

「じゃすてぃ……?最近のアニメ?」

「違う!俺が作ったヒーロー!弱い人を守るために戦うんだ!」

「へえー」

 再び、呼んでいた本に目を戻す。

「それでね、ジャスティカイトは、何か困ったことがあると、街を越えて空を越えて国を越えて、すぐに駆けつけてくれて、このマントで一緒に飛んでくれるんだ。あと、って。聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」

「読んでばっかじゃん。楽しいの?その本」

 僕の前から本が消える。取り返そうと思っても、身長的にも体力的にも届かない。

「返せよ」

「えっと……詩集?詩ってあの『。』とか『、』とかがないやつ?」

「そう」

「授業でしか読んだことないや」

「勿体ないねっ、と。よかった、破けてない」

 興味を失った瞬間を見計らって取り返す。

「あ」

「僕は楽しいからいいの。詩ってすごいよほんとに。作詩家の心が見えるみたいで」

「サクシカ?」

「詩を書く人のこと」

 初めて聞く言葉を噛み砕くようにうんうんと考えて、『作詞家』という言葉に至ったみたいだった。

「……もしかして、作詞家になりたいの?」

「別に、そういう訳じゃないけど」

 こういうところで鋭いから困る。そんな現実味のない夢は何度も描いて諦めた。

「なりたいんだ!」

「いや」

「だったら、ジャスティカイトの歌作ってよ!作詞って、歌詞とかも作るんでしょ?俺そういうの書けないからさ。約束な?」

 座っていた僕に手を伸ばしてニカッと笑う。




 いつどこで言われたのか覚えてないその言葉と笑顔が、おそらく十年以上経った今も鮮明に蘇る。




◆ 




 昼のニュースのアナウンサーの声に、漂っていた記憶の海から一気に現実へと引き戻された。政府が公共放送以外の放送を禁止してから、ラジオはずっとこの調子で、うわべだけの平和を語り、味のないドラマを垂れ流すだけの機械と化している。座っていた固い椅子から立ち上がりラジオの電源を切る。訪れた静寂に、何故だかため息が出てきた。

 結局夢を諦めきれず、学生時代は勉強もそこそこに作詩に明け暮れ、親に見限られかけたときに、たまたま投稿した詩が雑誌に載り、そこから少しずつ少しずつ仕事も増え、一人静かに暮らせるくらいには作詩は仕事になった。

 詩を書いているときは過去の記憶ばかり思い出して手が止まる。自分を振り返ることができる大切な機会だが、締め切りがある以上ずっと思い出に浸ってしまうのも困りものだ。最も、軍歌の作詞を断ってからは仕事が激減し、締め切りなんてあってないようなものではあるのだが。生活は間違いなく苦しくなっていても、久しぶりに学生時代のように思うままに詩が書ける喜びも確かにあった。

 そんな僕の惨状を知った旧友のアルドがくれたお情けが、今の仕事の全てである。机の上に広げられたほぼ白の原稿用紙に書かれた一つの単語。

「ジャスティカイト」

 かつての少年たちが思い描いていた英雄は形になった。主題歌の作詞を頼まれたのだ。

 最も、少年が語った英雄とは、かけ離れたものに成ってしまってはいるが。

 原稿用紙をめくると、下から彼に渡された設定資料集が顔を出す。既に何度も読んだそれを、なんということも無く眺める。「正義の味方」「我が国の英雄」「そのマントは、大人から子供まで国全体を包みこむ」。ここで言う国は、いま僕が居る東国(オステン)のことで同じ国でも西側である西国(ウェステン)は含まれていない。

 ジャスティカイトは、西側から攻めてくる悪の怪人を相手から国を守るために戦う話だ。必ず怪人が先に攻撃を仕掛けて来て、ジャスティカイトが応戦する。東国の人々を守り、怪人を蹴散らし、最後は必ず「東国の勝利(ジーク・オステン)」の決め台詞で終わる。

 西国こそ出てこないが、怪人のモチーフは明らかだった。

 最近のラジオではほぼ毎日このドラマが流れてくる。他にもこの国には誇るべき物語はたくさんあったろうに、何を恐れてか政府はそれを許さない。

 ただ、内容はどうあれ勧善懲悪のヒーローは子供達には人気である。そしてこのドラマに歌詞のある主題歌はついていない。そんなテーマソングを担当できたなら、確かに僕の暮らし向きも少しは向上するだろう。

 気合を入れて、万年筆を持ち直す。原稿用紙に思いつく限りのフレーズを書いていく。




「こんなところかな」

 二、三度読み直して、息を吐く。この手の創作は、書き始めるまでに時間がかかる割には書き始めると早いのだ。真上にあったはずの太陽はすっかり夕陽になってしまったが、それでも手元には完成した歌詞があった。一口飲もうとしてカップが空であることに気付き、水を入れようと立ち上がる。

 今日はもう寝て、明日にでもアルドの所に持っていこう。そんなことを考えながら、カップの中の水を飲む。

 ふと、笑みが零れる。アルドは、僕が隠したメッセージに気付くだろうか。





 青い目をした少年が

 涙を流すその場所へ

 赤いマントを翻し

 誰よりも早く空を飛ぶ


 ジャスティカイト 彼はヒーロー

 ジャスティカイト 彼は正義


 国の平和を守るため

 夕陽に向かい飛んでいく

 後ろ姿を追いかけて

 皆揃って立ち上がる


 ジャスティカイト 彼は輝く

 ジャスティカイト 彼は英雄





 アルドに言われた締め切りは二日後に迫っていたので特に連絡は入れず、アルドの事務所まで向かう。もし居なかったら時間を置いて出直せばいい。幸い僕には余るほど時間があるのだから。

 外からみたところ、事務所は絶賛仕事中という感じで人の気配もあったので入口のドアを叩くと、中でばたばたと音がしてドアが開いた。

「はい、何でしょうか……」

 顔を出したのは事務員らしき女性で、アルドに頼まれていた歌詞を持ってきたと伝えると困ったように眉を下げた。

「もしかしてアルドは不在ですか?」

「いえ、そういうわけではないのですか……」

 どうやらアルドは今別のことから手が離せないらしい。出直そうと思い、いつ頃なら良いか聞こうとすると、奥からアルドがやってきた。

「あ、アルドさん。あの、作詞家の方が」

「奥に案内してほしい」

「え、ですが奥は今」

「大丈夫だ。……あちらも会いたいらしい」

 何やら神妙に答えたアルドに対して女性は小さく頷くと僕のことを案内していく。アルドは僕に少し視線を向けると、小走りで戻っていった。何故か左手にだけ黒い手袋をしていて、外出の準備中かと思ったけれど、そうではなかったらしい。

 ふと、前回来た時と雰囲気が違うことに気づく。書類の山が綺麗に積みなおされ、床も掃除し直されてるような気がする。何より、部屋に漂う緊張感が気になった。

 アルドが奥と言った部屋は応接室になっていて、僕が入るとアルドの他にもう三人、先客が居た。アルドの向かいに座る一人と、その後ろに立つ二人。服装を見れば一目でわかる。彼らは軍人だった。

 机の上には資料が置かれていて、所々に朱く修正が入っている。

「アルド、ごめん。僕かなり邪魔なタイミングで来ちゃった…?」

 かなり、どころではない。絶対に僕が来るタイミングは今では無かった。

「我々のことはお気になさらず。丁度作詞家の先生にもお会いしたかったんですよ」

 座っていた軍人が、僕に向かって言う。感情をほとんど感じない。ただ、怖いと思った。

「こう言ってくださってるし、大丈夫だよ。まあ、君はいつも締め切りギリギリだって聞いてたから、思ったより早くて驚いたけど」

 明後日の午後だと思ってた、とアルドは言った。その声はいつもより少しだけ速い。すぐにでも帰った方が良いと本能的に感じ取り、要件を済ませてしまおうと封筒をアルドに手渡した。

「これ、頼まれてた詞。じゃあ、僕はこれで」

「お待ちください。その詞、ぜひ我々にも見せていただけませんか?作詞家の方もいる場所で」

 気付けばドアは閉められて、立っていた二人の片方が鉄の人形のようにその前に立ち塞がっている。声をかけて開けてもらうことなどできず、座っていた軍人に促されるまま僕はその隣に座る。

 応接室のソファは決して大きくはなく、二人で座るとどうしても近づいてしまう。かといって、一度座ってから距離を取り直すことはできなかった。どうすることもできない僕はアルドに視線を送る。アルドは僕の気持ちを知ってか知らずか、緊張した面持ちで封筒を開く。

 アルドが詞を読み始める。表情から、メッセージに気付いたかが分からない。気付かないまま終わって欲しいと思う反面、友としては、気付いて欲しいと願ってしまう。

「見てもいいでしょうか?」

 軍人がアルドに声をかける。アルドはそのまま軍人に渡した。その手が少しだけ震えている、ように見えた。

「素晴らしい詞ですね。流石東国が誇る作詞家だ」

 言葉の裏に滲む皮肉が読めないほど、僕は鈍感ではない。

「ただ……一つよろしいですか?」

「何でしょうか?」

 軍人は詞に目をやりつつ僕に声を投げる。

「この、『青い目をした少年』というところですが、青は西国の旗の色です。ご存じですよね?」

「……はい、まあ」

「西国を連想させるので変えていただきたい。そうだな、東国の赤とか」

「え?」

「何か問題でも?」

「いや、赤い目の人間なんてそうそう居ないので少し変だなと。青い目の人なんてたくさん居ますし、問題ないと思っていたので」

 足に何かが当たったような気がして顔を上げると、青い顔のアルドがこっちを向いて首を振っている。

 やってしまった。そこで初めて、自分の失態に気付いた。

「そうでしょうか?この曲は子供たちも聴くことになる曲、西を意識するものは取り除かないといけない」

 軍人の目が笑っていない。僕は慌てて上着のポケットから万年筆を取り出した。

「そうですね。僕がどうかしてました。赤にしましょう」

「ありがとうございます」

 冷たすぎる視線に刺されながら書き直す。隣にいる軍人は勿論、後ろに立っている二人も僕の挙動をずっと見ているのを感じる。「赤」の字が思い出せなくて、二行後を見ながら写した。

「ジャスティカイトは我が国の大切な作品ですからね。さて、アルドさん。何か気になったことはありますか?」

「何か、とは…?」

 話を向けられたアルドが軍人に向き直る。いつもの笑顔がとても引きつっていた。

「この歌詞についてです。残念ながら我々はこの手のもののプロではない。その点、アルドさんなら、表現に不適切なものがないか、見分けられるでしょう?」

 軍人がアルドに詞を見せる。

「そういわれても、私も青い目以外は特には…」

 アルドがこちらをちらりと見た。そしてもう一度詞を読み直す。

 間違いない。アルドは気付いている。私がこの詞に託した、東西平和のメッセージに。

 軍人はそれに気付いているのかいないのか、アルドに問いかける。

「本当に、大丈夫ですか?」

「はい…」

「本当に?」

 軍人がアルドの目を真っすぐに見つめる。アルドがどんどん追い詰められていくのが辛い。間違いなく、その場所にいるべきは僕なのに、アルドが代わりに責められているように錯覚する。

 本当はアルドと一緒に立ち向かいたい。でも、アルドは賢明な人間である。賢明な人間は、自分の身の安全を最優先する。

「……強いて言うなら。この『夕陽に向かい飛んでいく』が、少し違うかと」

「違う、とは?」

 軍人は、罠にかかった獲物を逃すまいと問いかける。

「夕陽は、西に沈みます。ジャスティカイトは西国には行きません」

 アルドが僕の方を見る。アルドが僕のメッセージを全て理解してくれたことが嬉しかった。

 でも、そんなことばかり言っていられない。軍人が口を開く。

「確かにそうですね。気付きませんでした。書き直しお願いします」

 軍人は当たり前に、僕を促した。それが、どうしても、許せなかった。折れてしまいそうなほど握りしめていた万年筆を机の上に置く。

「どうした?」

 軍人が今日一番の底冷えした声を発する。僕がもしもほんの少しでも聡明で、自分の命を大切にできる人間だったならば、きっと嘘も吐けるのだろう。でも僕は取り繕うには若すぎて、自分に正直にしか生きられなかったから、たった数行、言いなりになることができなかった。

 軍人が僕の万年筆を手に取り差し出してくる。肯定の姿勢を見せない僕に、今まで外面を上手く保っていた軍人の顔が険しくなっていった。その目にはさぞ生意気な若者が映っているのだろう。自分でも意識できないほど自然に、僕は軍人を睨んでいた。

 こめかみに青筋を見た刹那、全身を貫く痛みが僕の身体を支配した。喉が痛い。耳が痛い。誰のものかもわからない絶叫が応接室を震わせる。

「聞き手は右だろう?ならまだ書く術はあるはずだ」

 赤黒いインクが机に広がる。軍人が持っていた万年筆は確かに僕の左手に突き刺さっていた。

 ドアの外から「アルドさん」と呼ぶ声がした。さっきの事務員だろうか。そういえば、悲鳴で人の区別なんてつかないな、と変に冷静に思った。

 行くべきか否か、どうすることもできないアルドに軍人が目線だけで行けと示す。アルドが立ち上がると、軍人万年筆を刺したまま僕に囁く。

「アルドは、我が国のために頑張ってくれている。そのアルドがどうしても、と推薦したから、軍歌を断ったにも関わらずお前に仕事が回ってきたんだ。だがなあ、お前やアルドの代わりなんて、いくらでもいる」

 軍人がぐっと僕に近づく。その動きによって万年筆が動き、痛みが体を巡る。

「それでもお前は、自分の言葉に(こだわ)るか?」

 言い切ると、軍人はすぐに元の位置に戻る。外との会話を終えたアルドが戻って来る。

 僕は――――――――







「これからも国のために、せいぜい精進することだな」

 アルドの事務所を出たところで、軍人は初めからこの結末が見えていたかのように、乾いた笑みを浮かべた。事務所の前には車が止まっていて、軍人はそちらへ向かい、僕は足早に反対方へと進む。

 背中に何かが当たって振り返ると、地面には真っ白な包帯が転がっていた。もう軍人は車の中である。ぼんやり見ていると、すぐに車は出発してしまった。

 包帯を拾い上げ、アルドに借りたタオルで押さえていた左手に巻き付ける。右手には既に、目に見えない包帯が巻かれていた。

 自由な体で、不自由になった精神を呪いながら、僕は家への道を歩き始めた。

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