模様替え
「うわっ?!!ヘアバンドが喋った…?!」
僕は勢い良く鏡の前から離れる。頭からヘアバンドを取って、描かれている表情をまじまじと見詰めた。
僕の名前は黒谷 悠 (くろや ゆう)。ゴリゴリの男の名前だ、〝心〟は─女なのに。
「うわっ?!!ヘアバンドが喋った…?!ケケケ…」
「それは僕のセリフだし…ていうか笑ってんじゃん。」
この生き物は何なんだろうか。悪魔っぽい…?僕の喋る言葉をしつこく復唱してくる。まぁ、僕には話し相手がいないに等しいからしつこくても話し相手が出来た感覚は嬉しかった。喋り出すなら頭に付けているのはあまりにも恥ずかしいと思い、常に腕に引っ掛けた状態で一緒に居ることにした。
「ねぇお母さん~、僕が買ったこの子喋るんだけど!ほら!」
「…………………………………あれ?」
先程まで何度も言葉を繰り返してきた悪魔がまるで話さなかった。どうしてだろう?と疑問に思ってヘアバンドを何度もつんつんと指さした。
「ちょっとぉ、なんで急に話さなくなるんだよ~…」
「あのさあ悠。もうやめなさいよそういうの」
お母さんは呆れた表情をしてため息を吐く。
「昔からぬいぐるみとか置物とかに話し掛けてさ、子供の頃ならまだしも、もういい大人でしょ?そんなこともうやめなさい」
「何で?だって本当に喋ったんだってば、この顔が動いたの!なんで信じてくれないの?」
信じるも何も無い、そんなことを言いたげな顔を此方に向けるお母さん。じっとりと半目になって近寄ってくるなり腕に掛けていたヘアバンドを色んな角度に捻って触っている。
「まず何処に顔があるのよ。紐や糸が出てて、いかにもボロっぽい。ほんと100均クオリティって感じね。」
「え?!顔あるってば…」
何を言っているのだろうか?もしかして、お母さんにはこの悪魔の顔が見えないなんてこと、有り得るのだろうか…?
とにかく、信じて貰えないのであれば仕方ない。僕は部屋に戻って、ピンク色のフリルが沢山ついたベッドに横になる。腕に掛けていた悪魔は枕元に置いて、じっと観察した。
「ねぇ何でさっきは話してくれなかったの?…もう。それよりこの部屋、もう少し可愛くしたいなぁ、バイト頑張らなきゃ」
「もう少し可愛くしたいなぁ、バイト頑張らなきゃ」
「ほら……オウム返しするじゃん…なんでさっきは黙ってたんだよ…」
深く溜息を吐いて瞼を閉じる。ドンッ!と大きな音がしたため、少し驚いて、閉じたばかりの瞼を直ぐに持ち上げた。
「えっ?!なに?!」
横になっていた身体を持ち上げ、部屋を見渡すと、部屋の角に大きな水槽のようなものが配置されていた。こんなもの、さっきまで無かったのに。水槽と言っても、魚が泳いでいるわけではない。綺麗な水の中に、大きなバラが何輪も敷き詰められていて、とても可愛かった。
「ええなにこれ?!可愛い!もしかして…作ってくれたの?」
「ええなにこれ?!可愛い!もしかして…作ってくれたの?」
「ふふ、もう…」
キリのない会話。それでも願い事を叶えてくれたことが嬉しくて気分は一気に高揚した。ピンクばかり集めてきたが、青色が可愛いということに気付けた気がする。いっそのこと、部屋を全部青色にしてみようかな、なんて考えた。
「他にも何か可愛いもの作れる?床や壁も青色にしてみたい!」
ああ、自分の話す声があまりにも低くて、何気ないこんな会話の中でも一々癪に障ってしまう。
「床や壁も青色にしてみたい!」
そう復唱する悪魔。そして瞬きする間に変わってしまう部屋。綺麗な青色の部屋に作り上げられていく。ワクワクが止まらない。こんなに直ぐに部屋が可愛くなっていく上、お金もかからないなんてなんて素敵なんだ!そうして、楽して部屋を模様替えしていくことがとても楽しかった。
そして次の日、僕はいつも通りバイト先へ向かった。パチンコ屋の清掃の仕事だ。6時間勤務と、そこそこ自分には長い気もするがもう半年は続けられている。もう少し頑張れる気がする。
「おはようございま~す」
「おはよう悠さーん、あれ?またそんなの買ったの?ヘアバンドなんて男が持つもんじゃないんじゃない?」
半笑いして女の上司は僕の方を見てきた。昨日に引き続き手に持っていたヘアバンドを横目にして一々嫌味なことを言う。
「あー…はは。そうですよね~」
なんとか笑って誤魔化す。男なんだから、女なんだから。そんな一貫性に囚われないと生きていけないのはどうしてなんだろう?慣れた様で、慣れないこの痛み。男はヘアバンドを買っちゃいけない?そんな決まりはないというのに。僕は僕らしく生きたいんだ。邪魔をしないでくれよ。
そうして少し怒りの籠った手つきでロッカーを閉めてしまった。普通に閉めるだけでは大した音のならないロッカーの扉の音が、休憩室いっぱいに鳴り響いてしまった。自分でやったものの、気まずそうに小走りでホールまで向かう。
「はぁ…ねぇ、願い事って何でも叶えられるの?」
「はぁ…ねぇ、願い事って何でも叶えられるの?」
「ちょっと!バイト先でまでオウム返ししなくていいから!」
家だからとか、関係ないらしい。この悪魔はきっとこういう生き物なんだろうな。と思った。
「あの上司にやめて欲しいんだけど!」
少しばかり大きな声でそう伝えてみるが、復唱するばかりでまるで変化は起こらない。模様替えの時は簡単に一瞬で叶えてくれたというのに。人間関係の事は、叶えられないのか。いくら悪魔でも完璧ではない。そもそも…悪魔なのにどうして願い事を聞いてくれるんだろう?まぁ、〝悪魔であろう〟というのも顔から予測出来る勝手な想像でしかないのだが。
「はぁ~~~長かったぁ~やっと終わった~…」
「はぁ~~~長かったぁ~やっと終わった~…」
一緒に言ってくれる悪魔相手に僕はふ、と小さく笑う。特別会話が成り立つ訳では無いが、やはり一人ぼっちよりはいい。さっさと家に帰った僕は汗だくの身体を綺麗にしようと、悪魔は風呂の外に置いて中に駆け込んだ。シャワーを出して全身の汗を流すと、心まで洗われたみたいに心地よくなる。この感覚がたまらなく好きだった。
「ぅあ…また日焼けしてる~…まじ最悪。」
「また冷日焼けしてる~…まじ最悪。」
「…え?」
風呂の外に置いておいたヘアバンドが風呂の中の小さな声すら聞き取って復唱した様だった。シャワーを浴びている間何時も目の前の大きな鏡を眺めているのだが─何だか肌が薄青くなっている。
「えぇ?!なんでこんな顔色悪いの?!ねぇこんなとこまで願い叶えてくれなくていいのに!…まぁでも…ファンデすれば隠せて綺麗になりそうだなぁ…これはこれで、いいか?」
─それより、だ。模様替え以外にも今、願いを叶えてくれたということだ。この悪魔が願い事を叶えた時は、何時も何もかもが青色になる。もしかして、青色しか出せない…?人間関係など難しい願いは無理でも、自分に関する個人的なことなら願いが叶えられるんだろう。僕の中でこの悪魔に関しては、そういう解釈になった。
シャワーで濡れて肌に張り付く白い髪。ピンク色の瞳が風呂場の明かりできらりと光るのを見ると、ますます自分が男であることが許せなかった。こんなに可愛い色をしているのに、男…白い髪なのに、名前は〝黒谷〟。有り得ない。眉間に皺を寄せては風呂から出て、模様替えの続きをする事にした。
「じゃあ~、ベッドも変えて?」
「じゃあ~、ベッドも変えて?」
そうして綺麗な青色になったベッド。次から次へ、願い事をし続け─やがて僕の部屋は青くポップで綺麗な空間になった。大満足だ。後は…僕が女になれたらいいのに。
「ねぇ、僕を女に出来る…?」
「ねぇ、僕を女に出来る…?」
「…………ダメか。」
ダメ、らしい。直ぐに願いを叶えてくれるような素振りはなかった。そう、思った時、ボンッ!と青い煙が立って、その場に身が崩れる。
「わっ?!」
「……っ?!うそでしょ?!」
僕から出る声が、気持ち程度だが高くなっている。急いで鏡まで見に行ってみると、髪色、瞳、爪、全てが青色になっているが完璧に映る姿は〝女性〟そのものの形をしていた。
「うそ、うそ、うそ?!やばい!めっちゃ可愛い、僕!」
あまりの嬉しさから甲高い笑い声を出して、急いでお母さんのいる部屋へ向かう。
「ねぇお母さん、見て見て!僕、身体も声も、やっと女の子になっちゃった…!」
「……うわ…。」
「…う、わって…」
あぁ、分かっていたはずなのに。僕は勝手に嬉しくなっているだけで、お母さんからすれば気持ち悪いだけなのだ。はたからみたら、悪魔などいない世界だと知っている周りなら─いつの間にか急にイメチェンをして、男が胸を盛っただけの姿に見えることだろう。
忘れていた、自分以外に悪魔の存在を知られていないことを。
また、次の日になる。もう身体を変えてしまった取り返しはつかない。それでも、この身体を手に入れるのは昔からの夢だった。然し周りには引かれてしまうばかりだ…仕方ないといえば、仕方ない。そう思いながらバイト先に向かっていると、近所にある有名なショッピングモールにて、動画を撮っている配信者の男が居た。
「はぁ。」
もう、バイトになんて行く気にならない。ショッピングモール付近の池を眺められる公園のベンチに腰を掛け、電話ひとつ入れずに出勤の時間が通り過ぎて行く。自分は一体、なにをしているんだろうか。
「僕の話、聞いてくれる?」
言葉を繰り返す悪魔の瞳を見つめて、きゅ、と布を掴む手に力が籠る。
「さっきの配信者さんさ、見たことないし…人気かどうかは知らないけど、よくああいうの続けられるなぁって思うの。特に誹謗中傷を受けていないか、そういうのを気にしないようにスルーできる人なんだと思う。羨ましいよね」
長々と、全く同じ言葉を悪魔は口から溢れさせた。
「僕さ、配信者になりたくて頑張った時期があったんだけど、喋り方や女の服装とかで、直ぐにトランスジェンダーだってバレちゃって。アンチとか酷かったんだよね」
ぽつぽつと話し続ける僕を撫でる様な風が吹く。夢を叶えられなかった僕の、小さな夢を何度も叶えてくれた悪魔を両腕で胸にぎゅうっと抱き寄せた。段々と、風が強くなっていく。
そしてやがて、空一面は灰色になり、雨が降ってきた。雨が身体に染みる度、青色の肌が溶けていく。
「あはは…なんとなく、わかってたよ。悪魔の力で変えたこの身体、きっと長くはもたないんでしょ…?大丈夫、僕ずっと、死にたい人生だったから。」
「願い事がかなって…もう充分だよ。僕は、幸せだ」
何故だか、言葉とは裏腹に、悲しいと感じて涙が出てしまう。この悪魔とお別れだから?それとも自分が死んでしまうだろうから…?分からない。でも少なくても、〝後悔の涙ではない。〟
「あー…幸せ」
グチャリ。またひとつ、この悪魔に僕は願いを叶えてもらった。
「はい!今日の配信はここまで~!いいねとチャンネル登録を忘れずに!またね~!」
プチ。俺は配信画面を閉じる。生配信は久々にやった気がする。
視聴者数─『23人』
いいね数─『15 』
ダメだ、今回も全然伸びていない。俺は自分がイタイタしいと分かりつつも、伸びが悪い状況に苛立ってショッピングモールから家に帰ろうと帰路を辿った。
池の見える公園。ここから帰るには何時も通る道沿いにある。段々と強風になっていく。
「あーったく、台風だったっけ、今日…」
天気予報を見るなんてこんな天気じゃ今更だが、明日明後日まで悪天候は続くのだろうかと、眩しい携帯の画面をつけた。その瞬間、風で飛ばされてきた白く青い糸が頭部分から飛び出た顔の描いてあるヘアバンドが膝元にピタリと張り付くようにひっかかる。
「っと、邪魔だな…なんでこんな所にヘアバンドなんか捨てるんだよ!今日も伸びが悪いし、汚ぇヘアバンドが足に引っかかるし、台風だし…ほんと最悪だ!」
そう長ったらしい文句を強風と雨の音を利用して大声で叫んだ。今の天気じゃ、周りに人がいたところで聞こえないだろう。
僕は直ぐにこいつを選んだ。
伸びないからなんだ?誹謗中傷を受けないだけいいじゃないか。
そうだ、僕が地獄に落としてやる。
確か、悪魔はこう返せばいいんだよね?
「今日も伸びが悪いし、汚ぇヘアバンドが足に引っかかるし、台風だし…ほんと最悪だ!」
「…え?ヘアバンドが…喋った……?」