侵食
オレの名前は人参原カグラ。圧倒的社会不適合者。それでいてニート。躁鬱病を発症したにも関わらず、特別治す気も起きないから病院に行くことさえ辞めた。SNSでは鍵垢で毎日家族や人間全般、社会の愚痴を呟くクズ。ああ、オレってクズって言葉がしっくりきすぎる存在。すくなくても自分ではそう思っている。他人がこんな事になっていても、クズだと思うどころか、頑張っているなぁなんて思えるのに不思議なものだ。
「おーーいカグラ!ちょっと買い出し行ってきて欲しいんだけど!」
「ウーーーーイ。」
親、相変わらずうるさい。オレは片親、母親との二人暮し。一気に買い物に行くだとか言って毎週土曜に買い出しに行く癖に、ほぼ毎日買い出しに行かされる。まぁ別に、家にいたところで身体が鈍るだけだ。たまには外に出た方がいいのは他の誰よりもよくわかっている─つもり。
そしてオレはスーパーに向かって頼まれた食材を買った。それはモヤシ。たった十数円のもののために態々ハネまくる短髪をどうにか整えたのかと思うと少し腹立たしい。そのスーパーは2階建てで、2階には100均がある。ついでに何か見よう。
「ウッワ…メロすぎ。何だこのヘアバンド。えっ、一個しかない……運命?」
何時も特に買うものがないと100均内では飾りを見に行きがちだ。普段は大したものは揃っていないが今日は格段と違う。レアモノが1つだけ残っていた。黒いヘアバンド。わざとほつれて垂れ下がる様な糸のデザイン。何せ可愛いのが、顔が描いてある。グレーの線で、丸、丸、の目にギザギザの口。
迷わずオレはレジに持っていった。
「袋はいりますか~?」
「ぇあっ、はい……」
陰キャすぎるオレはあまりにも声が小さい。然し内心ではこんな最高な買い物が出来たと喜んでいる。心ではルンルンな足取りで家まで帰った。
「はいよーモヤシ。」
「ご苦労さま。あねぇ、また余計なもの買ってないよね?お釣りは?!」
「買ってねぇ、レシート間違えて捨ててきた、これで全部」
勿論、大嘘。モヤシの為に貰った500円だったが、ほぼ無くなった状態で机の上にバラバラと置いた。300円商品だったんだ、仕方ない。そう思ってオレは2階にある自分の部屋に駆け上る。安っぽい袋からヘアバンドを取り出しては「よぉし、さっそくつけるぞ~…」と独り言を零すと、聞き馴染みのない高くガラガラとした声が聞こえる。
「よぉし、さっそくつけるぞ~」
「……は?」
誰?誰だ?今話したのは。しかもオレの言葉をそのまま復唱してきた。
「は?」
声がする方は、明らかに手に持っていたヘアバンド。よく見るとそこに描かれている顔は動いている。しかも、オレとまったく同じ表情をしやがる。
「いや、は?はこっちの台詞だし」
「いや、は?はこっちの台詞だし」
100均で買ったヘアバンドが…小さな悪魔だった。こいつはうざいくらいにオウム返しをしてくる。置き場所なんかないから、勿論頭につけるのだが。
その後、いつもいつも─
「いやぁマジでウケるこの番組www」
「いやぁマジでウケるこの番組www」
笑える日も
「アンタいつになったら働くの?!免許は?!母さん何時までも生きてないんだよ?!」
「……アァ、ごめん」
「……アァ、ごめん」
笑えない日も
「オレって、クズだな。」
部屋の隅に身体を小さくして、空になる市販薬が足元に散らばっているのを眺めながら、そう呟く。ぐるぐると回る視界。今にも破裂寸前の心─そんな時にすら。
「クズだな」
小さなこの悪魔が復唱してくることは、良くも悪くも平等すぎる。何時だってお構い無しだ。
「…オレ、食べるのが嫌いなんだ。いや、まずいからとかじゃない。作るのがダルい。腹は減る。食いたいもんもある。でも食うと腹痛くなるの無理。」
オレは朝にコーヒーに何も加工していない食パンを浸して食べている時、そんな事を呟いた。
「でも食うと腹痛くなるの無理」
悪魔がそう返した瞬間、悪魔の青く長い舌が突然喉の奥に突っ込まれる。オレは驚いて目を見開いた。コイツ、自我があったのか─?!
「がはっ、な、何すんだよ気持ちわりぃ!」
「何すんだよ気持ちわりぃ!」
「それはオレがお前に言ってんだ!」
「それはオレがお前に言ってんだ!」
その時オレは少しの苦しさに咳き込み、笑ってなどいなかったのに悪魔はいつも通り復唱してから、ケタケタと細かな笑い声をあげた。突然喉奥に舌なんか入れられるものだから、反射的に吐き気がして舌をべっと出す。すると、視界に映り込むオレの舌は、赤色から真っ青な色へと変化していた。
「あ?…あれ。腹減ってたの消えた。……し、青。」
「し、青。」
その青さは黒くも薄くもない。赤青鉛筆の青色、と表現したら分かりやすいだろうか。真っ青で、入れられた悪魔の舌と全く同じ色になっていた。途中まで食べ進めていたものの、男性であるオレには足りなすぎた朝食だった為腹は鳴り続けていたのだが、今の瞬間からはもう空腹感はまるで残っていなかった。
「まさか、叶えてくれたん…か?」
「叶えてくれたんか?」
「だからそれはオレが!!!!」
また、当然のようにオウム返しのせいで同じ会話になってしまう。然しそんなオレは気を良くした。こいつを上手いこと使えば、色は青くなってしまえど願いが叶えられ、生きやすくなるんだろうな、なんて。
コイツには意思があるというより、要望なら叶えてくれるらしい。然しその代わり、青色になっていく部分は〝侵食〟。つまりオレ自身も、願いを叶える度人間ではなくなっていくということになる。きっと、この解釈で合っているはずだ。
「虫は見たくない」
悪魔は復唱して、オレの両目に悪魔に生えた触覚を突き刺した。痛みはあれど血は出ない。鏡を見に行けば瞳は青色へと変化している。それをしてから、親がどれだけ虫が出たと騒いでいても、オレには見えないからヘッチャラだった。
「爪いちいち切んの、めんどくせぇ」
普段と変わらぬ悪魔の声の、復唱。全ての爪の色が青色になった。整えた状態のまま、伸びることを知らない爪になったんだ。ああ、割れないようにとかすればよかったかなぁなんて少しの後悔を抱きつつ、いい気分だった。
「日焼けはしにくい身体になりたい」
そうしてまた、復唱。悪魔が大きい布団みたいになってオレを包み込む。オレの肌は青白くなった。完全に日焼けしないのは男として、というより周りの目が嫌だから、少しだけという願いでこの色。
「黒歴史は忘れたい」
オレは躁鬱病を患っている。躁状態の時、オレは何をしても死なない人間なんだ!なんて本気で思い込んでいた頃、勢いで鼓膜を貫通させて突き刺した矢印型の針金。これのせいで耳も悪い。だから、これすら消してもらった。突き刺さった銀色の針金は青色になり、オレは耳も通るようになった。そしてなにより、何故こんなものが刺さっているんだろう?と、鏡を見る度、わからないようになった。
「言いたいことはハッキリ言える人間になりたい」
今度は舌だけではなく、この願い事により歯茎や口内の壁まで全て青色になった。
オレはある日、久々に電車に乗って近くの駅まで行こうとした。その時嫌な光景を目にする。電車の端に立って、濃厚なキスを交わすカップルの姿だった。
「オイ、見せびらかしてんじゃねぇよそういうのは家でやれリア充。」
そう、オレはもう言いたいことは言える身だ。いつまでも殻に引き篭ったザコなんかじゃない。今まで全てを隠して静かに生きてきたが、この願いが叶ってからというもの、オレの口は達者になり元気にもなった。いや正確にはもともとこういう性格だ。隠さないと生かしてくれないこの世の中が全て悪い。
「あ?なんだよお前、非リアは黙ってろボッチ。」
随分と口の悪い男だった。その彼女である女もケラケラと笑って「ちょっと言い過ぎだよ~」なんて甲高い声を上げている。ナメるなよ。何でも思ってること言ってやる。
「ボッチでなにかオマエらに迷惑かけたかよ?あ?リア充になることしか人生のゴールに出来ねぇ猿思考は動物園にでも帰れ!」
「うるせぇなクソチビが!…………あーわかった、オマエ、ゲイなんだろ?!ハハハハ!」
「………………は?」
思わず目が見開き、硬直する。学生時代、転んだ膝を手当してくれた男が好きだった。それだけで気持ち悪いと周りに虐められ、噂が広まって好きだった男にさえも避けられた。そんな最悪で退屈極まりない過去を思い出す。
電車の中は喧嘩するオレらの声のせいでザワザワしていて、皆人が別の車両へと逃げていくみたいに歩いていった。言いたいことがあるはずだ。なのに、言葉がひとつも思いつかず─
結局、その日をただ無駄にして家に帰った。静かな部屋で、荷物を引き摺って乱雑に投げ捨てる。
「少数派ってさぁー………………。味方とかいないに等しいよな」
「味方とかいないに等しいよな」
思ったことをぽつぽつと、口にした。こんな気分なのに、最高に綺麗すぎる星が空を飾っている。満月がありえないと思えるほど大きくて、輝いていた。〝月が綺麗だね〟なんて今頃、電車で会ったあの2人は言い合って抱き合っているのだろう。
「あーーーーあ!!!!ありえんバカバカし」
「あーーーーあ!!!!ありえんバカバカし」
オレはフ、と自然な笑い声が溢れた。悪魔もオレと同じ顔をして笑っている。部屋の机に置いてある掃除もしていなくてホコリを被った鏡に映る悪魔の顔が良く見えた。皮肉だといえるほど、2人ともいい笑顔だ。
「あのさ、オマエと出会えたの嬉しかったよ。たった、数週間だけど、多分人生で1番最高の数週間だった。」
「多分人生で1番最高の数週間だった。」
「ふは、でもあんまりにもオウム返しするからうぜーぞ?オマエ。」
「ふは、でもあんまりにもオウム返しするからうぜーぞ?オマエ。」
「ハハハハ…!」
「ハハハハ…!」
幸せな、時間。心から味方になってくれているわけでもなければ、そもそもこの小さな悪魔はオレが抱えていることすべて理解すらしていないんだろうな。─それでも、一緒に、一緒の時間に笑い飛ばしてくれることが何より嬉しかった。辛い時にすら復唱はされたものだが、もうそんな事どうだっていい。
オレは机から立ち上がって窓の向こうの綺麗な満月を眺め、次に机の端に置いてある赤髪のアニメキャラの推しのぬいぐるみに目を遣る。そして、何時も癒してくれた敷布団や、パソコン、コーヒーの粉にも目を遣った。
すぅ…と息を吸って、ゆっくりと吐く。
オレは今までにない満面の笑みを浮かべ
「もうぜーーーーんぶ終わりにしよう!!」
そう叫んだ。何処まで届いているだろうか。そう、今この瞬間の気持ちなど誰もわかりっこないさ。結局最後の最後まで、オレを理解しているのはオレだけだった。もうなにもかもが、どうでもいい。
「もうぜーーーーんぶ終わりにしよう!!」
全身が、真っ青になる。悪魔はオレの頭部を力強く、誰よりも強く、強く、抱擁した。
粉々になる身体。着用していた黒いノースリーブの服とダメージのジーンズだけがその部屋に静かに舞い降りる。
「あ!ねぇみて!これすごくかわいい!」
「もう30になるでしょ?ボロっぽい見た目だし、しかも女の子みたいだよ?それ。いい加減そういうのやめなさいよ…」
「ええ、でもこれがいいんだもん。買っちゃお~、一個しかないよ?」
「家以外でつけないでね~?」
オレンジ色のヘアバンド。青色の触覚。丸、丸の目にギザギザの口が描かれたデザイン。ある男性は雑貨屋で見かけたその残り1つのヘアバンドを手に取り、会計する。そして、楽しそうに持ち帰った。
家族の前であんなに笑顔だった男性は、自分の家につき、自室に入った途端
暗い表情になる。可愛らしく飾られた部屋。女性用のパジャマを着てゆわいてあった髪を下ろす。そして静かに袋から購入したヘアバンドを取り出して、鏡の前で着用した。
「えー、可愛い…」
鬱々とした声で、無理にも見える笑顔を浮かべる男性。
オレはこう返してあげたんだ。
「えー、可愛い…」