06. 成果の対価
神薙 輝石が天界日本事業部の全権を掌握してから、一ヶ月が過ぎた。
かつてオフィスに流れていた、ぬるま湯のように穏やかな空気は、完全に消え失せていた。
代わりに設置されたのは、事業部のエントランスに鎮座する巨大なモニター。そこには、全職員の「いいね」獲得数が、リアルタイムで冷酷なランキングとなって表示されている。
職員たちの会話は減り、聞こえるのはキーボードの打鍵音と、時折響く、輝石の鋭い指示の声だけだ。
その日、輝石は全職員を会議室に集め、第一回の「月次業績報告会」を開いていた。
「今月の総『いいね』獲得数は、前月比350%増。目標を120%達成した。上出来だ」
淡々とした輝石の言葉に、何人かの職員が安堵の息を漏らす。だが、彼の言葉は続く。
「――だが、それは、ほぼ一人の成果に依存した結果だ」
プロジェクターに映し出された棒グラフ。一つだけが、天を突くように圧倒的な数値を叩き出している。その名は、もちろん。
「今月のMVP――『トップ・ゴッド・パフォーマー賞』は、カノン。お前だ」
「あっ、ありがとうございます…!」
カノンは、はにかみながら立ち上がり、深々と頭を下げた。その姿は、ひと月前のおどおどした少女ではなく、確かな自信と輝きを宿し始めていた。
賞賛の拍手が、まばらに起こる。だが、その拍手はすぐに止んだ。輝石の冷たい視線が、グラフの最下位にいる職員たちを捉えたからだ。
「一方で、目標未達の者。特に、木霊の小糸、風神の風間、その他五名」
名を呼ばれた者たちの肩が、びくりと震える。
「君たちのパフォーマンスは、組織全体のKPIを著しく下げる要因となっている。本来なら即時PIP(業務改善計画)の対象だが――」
輝石は、言葉を切った。
「率直に言って、君たちに改善の見込みはない。別の場所で、君たちの『頑張り』を評価してくれる組織を探すことを推奨する」
それは、あまりに無慈悲な、事実上の解雇通告だった。小糸の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「――お待ちください!」
凛とした声が、重い空気を切り裂いた。天乃 美琴だった。
「これは…見逃せません! 彼らも、必死に業務にあたっていました!」
「俺は契約を履行しているだけだ。結果を出している」
輝石は、右肩上がりの業績グラフを指し示す。そこに、感情の入り込む余地はなかった。
「そうですよ、美琴様!」
声を上げたのは、意外にもカノンだった。彼女は立ち上がり、淀みない口調で言葉を続ける。
「この『いいね』増加率をご覧ください。ROI(投資対効果)は改善され、CPL(いいね獲得単価)は前月の三分の一にまで圧縮されています。これは、事業部全体の持続的成長のために、必要な判断です」
よどみなく語られるビジネス用語。それは、このひと月で、彼女が誰から何を学んだかを雄弁に物語っていた。
輝石は、満足げにカノンを見た。
「カノン。お前は呑み込みが早いな。見込みがある」
「はいっ! わたし、神薙さんに一生ついていきますっ!」
太陽のように輝く笑顔で、カノンは宣言した。その、あまりに息の合った二人の様子に、美琴は、はぁ…と深いため息をつくしかなかった。
泣きじゃくる小糸たちに、美琴はそっと寄り添う。
「大丈夫ですよ。さぁ、ひとまずこちらへ…」
彼女は、行き場を失った職員たちを、その身で庇うように、静かに会議室から連れ出していった。
輝石は、その光景を横目に見ていたが、興味はない、とばかりにカノンに向き直る。
「いいか、カノン。前にも言ったが、『いいね』獲得に必要なのは“演出”だ。例えば…」
輝石は手元のタブレットを操作し、カノンのプロモーション動画の一つに、ほんの少しだけ手を加えた。テロップの色、BGMのタイミング、カットの繋ぎ。たったそれだけの変更で、モニターのリアルタイムグラフが、またしても急上昇を始める。
「すごい…! たったこれだけで…!」
「さすがは師匠です! もっと教えてください! この場合は!? あの場合はどうすれば!?」
目をキラキラと輝かせ、身を乗り出して質問を重ねるカノン。
その、あまりに素直で純粋な賞賛の眼差しに、輝石は、荒んでいた自分の心が、不思議と癒されていくのを感じていた。