第八十五話 『計画の主』⑭
「……ハリソン伯爵、下がりたまえ」
主人の命令を破ってまで、俺を罵ろうとしたハリソン伯爵を止めた声が響く。意外にもその声の主は、クロッマー侯爵であった。声には落ち着きを取り戻している。伊達に黒幕として活動をしていないようだ。人を駒にして、公爵令嬢であるリベリーナを貶め断罪させようとした人物である。一般人と比べると、精神と心臓が規格外なのだろう。
「クロッマー侯爵様っ!? ですが……」
「大丈夫だ。ハリソン伯爵」
ハリソン伯爵は止められたのにも拘わらず、抗議の声を上げる。だがそれに対して、クロッマー侯爵は制した。一度、諫めた時の声とは違い。柔らかい声色である。俺の煽りにより一度は揺らいだ感情が、再び落ち着きを取り戻しているようだ。しかし何も理由がなく、感情を回復させるとは考え辛い。何か精神的に余裕を持たせる何かがある筈である。
「……っ! はい!」
一度目の反応とは違うクロッマー侯爵の様子に、ハリソン伯爵は喜びの声を上げた。目の前にある扉によりその様子を直接視界に入れることはない。だが『面倒な駄犬』の如く、見えない尻尾を振っていることは容易に想像することは出来る。
クロッマー侯爵の余裕がある態度も気になるが、ハリソン伯爵の異常な迄の忠誠心も気がかりだ。いくら『面倒な駄犬』でも、クロッマー侯爵への信頼度が異様である。少し前に『今のハリソン伯爵家があるのは、クロッマー侯爵様のおかげなのですから!』とハリソン伯爵の発言していた。そのことから、何かクロッマー侯爵に恩義があるのは確実である。
だが今は、黒幕と『面倒な駄犬』が揃い、意気投合している。非常に面倒な状況であることには変わりない。
「ロイド・クライン……。君は、大きな勘違いをしているようだな」
謎の余裕を湛えた声色で、クロッマー侯爵は俺を非難する。
「おや? 『勘違い』ですか? それは……クロッマー侯爵のお話が『交渉』ではなく『命令』であるということについてですか?」
クロッマー侯爵は『障害』を『利点』と偽り、『勘違い』をさせた上で優位に俺を従わせようとした。その張本人が何を言い出すのだろう。俺が『利点』と『障害』の違い。そして『交渉』ではなく『命令』であることを、見抜くことが出来ていないと本気で言っているのだろうか。これ以上に面倒な状況にならないように、先手を打つ。
俺にはクロッマー侯爵に確認をしなければならないことがあるのだ。会話の主導権を握らなければならない。
「嗚呼、そうだ……。これは『交渉』ではなく『命令』だ。大人しく私に従え」
「お断りします。何度も申し上げましたが、お忘れですか?」
クロッマー侯爵は、驚いた様子もなく俺の指摘を認めた。そして証拠にもなく俺を黒幕派へと勧誘する。それに対して、嫌味を込めて聞き返す。
何故、こうも頑なに俺を従わせようとするのだ。
黒幕にとって俺は、リベリーナを貶める計画を破綻させた張本人である。邪魔者であり、処分対象である筈だ。わざわざ、黒幕自らこの場に現れ、勧誘をするという嫌な高待遇を受ける謂れはない。
更には『障害』を『利点』と偽り、『命令』を『交渉』と『勘違い』をさせるなど手間をかける必要があるとは思えないのだ。モブである俺を従わせる『術』に対して、徹底的ぶりは異常である。クロッマー侯爵が自らの正体を明かして迄、俺を勧誘するという奇行に走る理由が存在するのだろう。
加えて、クロッマー侯爵の不自然な程の余裕が気になる。俺の知らない所で重大な問題が発生している可能性がある。
つまり未だ俺が知らない、重要な情報がある筈だ。
「いや、覚えているさ。だが、ロイド・クライン。君は本当に今後の……将来のことを考えて選択をした方がいい」
「……如何いう意味ですか?」
俺が再三に渡り断っていたことを認めた。そしてクロッマー侯爵の口から、将来の心配をされるとは驚きである。この国を『てんさい』である元王太子と、捨て駒であるイリーナを玉座に座らせようとしたのはクロッマー侯爵本人だ。よくもそんな戯言を宣うことが出来たものである。
将来を考えたからこそ、クロッマー侯爵の誘いを断っているのだ。黒幕の仲間になる程、愚劣で愚行で野蛮な行為はない。クロッマー侯爵の誘いに乗る気は一切ないが、俺が断らないと自信に満ちている態度が気になる。話の続きを促す。
「マルセイ第二王子に従ったところで、未来はないということだ」
俺が会話に興味を持ったことに機嫌を良くしたのか、クロッマー侯爵は明るい声で第二王子を話題に出した。




