第七十六話 『計画の主』⑤
「嗚呼、待っていたよ。ハリソン伯爵」
「お待たせして申し訳ございません! ご所望の『プレゼント』をお持ちしました!」
クロッマー侯爵が、ハリソン伯爵の言葉に反応をする。短い会話だが、如何やら『プレゼント』を持って来たようだ。扉の向こう側で、何か重たい物が置かれる音が響いた。
「彼への『プレゼント』は、そこに置いておいてくれ」
「はい! 畏まりました! おい、お前たち! 早くしろ!」
ハリソン伯爵が尊大な態度で指示を出すことから、黒幕の配下たちがその重たい『プレゼント』を運んできたことが分かる。再び慌ただしい足音が響き、再び何か重たい物が床を鳴らす。男が数人がかりで運ぶ『プレゼント』とは一体何なのだろう。黒幕からの『プレゼント』など良い物ではないことは確実である。嫌な予感が拭えない。
「ありがとう」
「いえ! クロッマー侯爵様の為ならば、私は何でもします! 今のハリソン伯爵家があるのは、クロッマー侯爵様のおかげなのですから! 何なりとお申し付けください!」
『面倒な駄犬』は主人である、クロッマー侯爵からの言葉に大袈裟な反応を示す。黒幕と従順な『面倒な駄犬』の仲睦まじいやり取りなど、誰が見たいと思うのだ。何処か俺の居ない他所でやってほしいものである。俺のお勧めである、牢獄の中で是非ともお願いをしたい。
しかし、気になることが一つある。それは『今のハリソン伯爵家があるのは、クロッマー侯爵様のおかげなのですから!』というハリソン伯爵の発言だ。盲目的な迄の信頼をクロッマー侯爵に寄せているようだが、その理由が如何にも気になる。何かが引っかかる気がするが、今はそのことを深く考えている時間はない。
ハリソン伯爵を残し、複数人の足音が遠ざかる。『プレゼント』を運んできた黒幕の配下たちは、この場を離れるようだ。俺もこの機に乗じてこの場から去りたい。このまま『秘密の抜け道』から逃げてしまおう。
俺の動きを悟られないように、息を潜めて体の向きを変えようとした。
「ロイド・クライン」
「…………」
不意にクロッマー侯爵が俺の名前を呼んだ。そのことに思わず動きを止めた。俺が逃げ出そうとしていたのを察したのかは分からない。だが嫌にタイミングが良すぎる。まるでこちらの動きを見られているようだ。
しかし『秘密の抜け道』の存在までは知られていない筈である。この世界には魔法も監視カメラも存在しない。考え過ぎだろう。気持ち悪さが、思考の邪魔をする。冷静になる為に深呼吸をした。
「おい!! クロッマー侯爵様がお呼びだ!! 返事をしろ! ロイド・クライン!!」
賑やかし要員の『面倒な駄犬』が騒ぎ立てる。随分と調子がいいようだ。それはそうだろう。主であるクロッマー侯爵の役に立ち、褒められたのだ。歓喜しているだろう。思考回路が異常である。
「良いのだ。ハリソン伯爵、彼は特別だからな」
「……っ!? なっ!? クロッマー侯爵様っ!? 何故です!? この様な者は……」
喚き散らす『面倒な駄犬』をクロッマー侯爵が止める。しかし流石は『面倒な駄犬』だ。主から止められたこと、俺が『特別』だと称されたことに不服のようである。感情的にクロッマー侯爵へと言葉を並び立てた。本当に『面倒な駄犬』である。主であるクロッマー侯爵へと歯向かうなど、自身の存在価値を下げるだけだ。
「ハリソン伯爵」
「は、はい……」
クロッマー侯爵は、一段と低い声で『面倒な駄犬』を呼んだ。黒幕に相応しく威圧的な声色である。お怒りのようだ。黒幕の圧に押されたハリソン伯爵は先程の態度から一変し、萎縮した弱々しい声で返事をした。黒幕の圧倒的な態度に、怒られた犬のように大人しくなる。
ハリソン伯爵の無駄吠えが治まったことは歓迎するべきことだ。だが無駄吠えの多い『面倒な駄犬』を黒幕自ら止めるとは少々意外である。人を嘲笑い、揶揄することが大好物の筈だ。『面倒な駄犬』に咆えさせ、俺に罵声を浴びせるには絶好のチャンスである。しかしそれを、わざわざ止めるということは……。
それ程までに、俺を仲間にしたいらしい。俺は全力で御免である。誰がリベリーナを貶めようとした黒幕の仲間などになりたいものか。
逆に考えれば、クロッマー侯爵は俺を仲間にしなければならない事情があるのかもしれない。
「ロイド・クライン。話の腰が折れてしまって申し訳ない。私の仲間になる利点についてだが……」
「ですから、そのお話はお断りさせていただきます」
声色を元に戻したクロッマー侯爵が、再び勧誘を始めた。どの様な利点を提案されても俺の心が揺らぐことは決してない。クロッマー侯爵の言葉を遮るように、言葉を放つ。
「……そう焦らずともいいじゃないか」
「話を先延ばしにするのは好きではありませんので」
簡単に俺が意志を変えないことは、クロッマー侯爵も予想しているのだろう。今までの俺の態度からもそれは分かる筈だ。白々しくも食い下がってくる黒幕を一蹴する。黒幕故か、元来の性格が悪いからか、諦めが悪い。
「きっとこの話を聞けば君の心も変わる筈だ」
「…………」
クロッマー侯爵は勿体付けた態度で話を続ける。その言葉は嫌に自信に満ち、俺が断らないという確証があるように思えた。『プレゼント』や『利点』といい、黒幕からの話題に碌なものがないことは確かである。再び嫌な予感が過った。今日は本当に嫌な予感が多い日である。
「ところで……ご家族はお元気かな?」
俺の神経を逆撫でするような言葉が告げられた。




