第五十六話 疑念①
「……っ、眠れないな……」
ベッドに潜り瞼を閉じるが、一向に眠気がこない。何度か寝返りを打つが、何も変わらないことに焦りを覚える。このままでは一睡も出来ずに朝を迎える危険があるのだ。俺が置かれている状況は脆く、常に体調を万全にしておく必要がある。その為にも、一刻も早く睡眠時間の確保が優先事項だ。
眠ることが出来ない原因として考えられるのは、喉の渇きだ。就寝前に飲もうとした水差しの水を全てこぼしてしまい、水を飲むことが出来なかった。完全に俺の失態である。
「貰いに行くか……」
俺は一階にある食堂で水を貰おうと、身体を起こす。ルームメイトであるレイに断りを入れようと、隣のベッドを見るがそこにレイの姿はない。皺ひとつないベッドがあるだけだ。如何やら未だ帰って来ていないようである。レイは第二王子の騎士だ。第二王子の下へ報告に行っているのだろう。今頃、俺が話した昼間の『神の慈悲』についても報告され、第二王子には黒幕を捕らえる『餌』について会いたいが会いたくない気持ちもある。
だが会う機会は早々にはないだろう。あちらも、王城でのパーティーに備えて準備をすることが多いのだ。予想では第二王子殿下の『王太子』任命式が行われる筈である。主役は色々と忙しいのだ。更に言えば、その部下であるレイも仕事が多くあるだろう。俺の監視と報告などしている暇は本来ならばない筈だ。『保管係』など設けずにある程度のリスクを負ってでも、自身で管理した方が楽である。きっと今頃、第二王子はそのことを痛感していることだろう。
「仕方がない」
レイが居ないならば俺一人で行くしかない。月明かりを頼りに、部屋に置かれているマッチと蠟燭に手を伸ばす。
「直ぐに戻れば大丈夫だろう」
一本の蠟燭に火を灯した燭台を持つ。レイが以前に寮の部屋は鍵をかける決まりだと言っていたが、鍵はレイしか所持していない。その規則は本当のことかもしれないが、俺が勝手に出歩くことを防ぐための口実の可能性もある。兎に角、睡眠を得る為には水分補給が必要だ。一階の食堂で水を貰い帰ってくるだけである。この寮の建物を出るわけでもない。更に言えば、夜間に部屋から出てはいけないとも聞かされていない。例え文句を言われても、居ないレイが悪いのだ。鍵をかけずに部屋を出ることに対して責任転換をする。
「よし、行こう」
燭台を手に廊下に通じる扉を開けた。
「暗いな……」
寮の部屋は月明かりが入り、薄明るい状態だったが廊下は暗闇が広がっている。秘密の抜け道のような暗さだ。加えて廊下は静まり返っている。明日の朝当番の人達が朝に備えて眠り、遅番の人達はやっと床に着いた時間帯だ。起こさないように忍び足で足を進める。
「……で……に……なり」
「……は……だよ……」
廊下を進み二階部分の階段をゆっくり降りていると、下から誰かの話し声が響いた。
「……? 話し声?」
話している内容はよく聞き取れないが、何かの内容について話し合いをしている男性達の声が聞こえる。如何やら未だ起きている人達がいるようだ。無意識に足を止めた。
「如何するか……」
このまま階段を降りるか思案する。この職場において俺は新人だ。下の階にどんな人達が居るか分からない。黒幕の配下の可能性も十分にある。レイが居ない現状では戦闘は出来ない。加えて此処は寮であり、無関係な料理人達が沢山居る。万が一にも下に居るのが黒幕派ならば、下手をして巻き込むわけにはいかない。思わず腹を撫でた。そこには俺が守るべきリベリーナの無実を証明する証拠品がある。黒幕派には絶対に渡すわけにはいかない。ここで俺が取れる選択肢は限られている。厄介事には遭遇しない方が得策だ。身分を偽りこの場に居る俺は詮索されると、立場が危うくなるのだ。
その為、俺は話し声の主達との遭遇を回避することにする。
「ふっ……」
俺の存在を知られるのは都合が悪い。彼らが過ぎ去るのを待つことにする。階段に座ると、息を吹き蠟燭の火を消した。




