第五十五話 見習い⑮
「……ライトくん、少し後ろに……」
「……はい」
怒声が聞こえた方向に身構え、俺を背中に庇うレイ。近くに人が居なかった為、色々と話しをしていたが、誰かの不敬を買ってしまったかもしれない。トラブルは避けるべきである。
「早くしろ!! 何をぐずぐずしているのだ!?」
「も、申し訳ありません! 荷の確認は大切な作業ですので、ご理解とご協力をお願いいたします!」
レイの背中から様子を伺うと、城門の近くで停めた馬車で言い争いが行われている。如何やら馬車から身を乗り出している貴族が、門番に文句を言っているようだ。貴族が乗っている馬車の後方に荷馬車が続いている。
如何やらパーティーに参加するのに、特産品を献上しようと持参したのだろう。だがその数が多過ぎて、確認作業が難航しているようだ。『神の慈悲』を含めた果実の山と、調度品などが積まれている。
「そんなことは分かっている! どれも一級品の品々だ! 傷をつけたりするなよ! さっさとしろ! この鈍間共!!」
「……っ! 申し訳ございません!」
更に怒声を発する貴族に萎縮する門番。前後を見れば多くの貴族達が登城していることが分かる。確認作業に時間が掛かるのは当たり前だ。王城に持ち込む物は全て記録される。その荷物を誰が持ち込み、量や個数などを正確に記録するのだ。それは城を出る時にも行われる。盗難や不正を防ぐためだ。それは貴族ならば知っている筈だが、苛立ち怒鳴り声を上げるとは程度が知れる。知らぬ貴族だが、貴族の面汚しである。
「…………」
これだけ騒いでいるが、前後の貴族から諌める声が上がらない。皆、嫌な顔をしているが仲裁を出来る地位にないのだ。何せこの文句を言っている貴族がハリソン伯爵家だからである。男が乗っている馬車の家紋が嫌でもハリソン伯爵家であることを知らしめる。地方男爵家の三男坊である俺を含め、伯爵家より下位に当たる貴族は口を挟むことが出来ないのだ。仲裁出来るとしたら公爵、侯爵家ぐらいである。同じ伯爵家でも可能だが、軋轢を生む可能性があるのだ。
加えて今の俺はコック見習いの『ライト・ローク』である。地位が足りていたとしても仲裁することは出来ない。何処に黒幕派が居るか分からない為、目立つ行動はレイに静止されるのが目に見えている。何せ俺はリベリーナの無実を証明する証拠品を保持しているのだ。軽率な行動は出来ない。今の俺には歯痒い気持を感じつつも、成り行きを見守ることしか出来ないのだ。
「まあまあ、そんなに声を荒げなくてもいいじゃないか? ハリソン伯爵」
恰幅が良く仕立ての良い服を着た、中老の男が仲裁に入る。知らない貴族だがハリソン伯爵に声をかけることが出来るところを見ると、伯爵より上位の貴族だろう。仲裁者が現れたというのに、何故か俺の気持ちは重くなる。
「……っ! これは! クロッマー侯爵様、失礼いたしました」
門番に高圧的な態度を取っていた筈のハリソン伯爵が、委縮した様子で馬車から降りる。そして現れたクロッカー侯爵家に頭を下げた。貴族社会は複雑だが、縦社会である為こういう場合には単純である。上位の存在には逆らえないのだ。
「いやぁ、急く気持は分かるさ。私も国王陛下と皆様に振舞おうと特別なワインを用意している。早くお召し上がりいただきたくて、仕方がない。しかし、門番の方に怒鳴るのはいただけないな……」
クロッマー侯爵が後方の自身の馬車を指差す。確かにそこには沢山の樽が積んであり、どれもクロッマー侯爵家の家紋が焼印されている。更には滞在中に食べる為か、『神の慈悲』も積み込まれているのが見えた。矢張り『神の慈悲』は一般的な食べ物であり、広く流通をしている。その種に毒があるのを隠して。
「……っ! はい、私が軽率でした。……申し訳なかった」
「えっ!? いえ、そんな! お気になさらないでください!」
指摘を受けたハリソン伯爵は顔を青くすると、門番へと謝罪を口にした。正に鶴の一声だ。周囲の人々も安堵の色を浮かべ、各々の仕事へと戻る。だが俺は気分が晴れない。
「一件落着したみたいだね……俺たちも帰ろう」
「……はい」
様子を見守っていたレイから声をかけられ、その場を後にした。
その晩。寝る前に水を飲もうとしたが、手を滑らして水差しの水を全てこぼしてしまった。幸いなことに、その場にレイは居らず。俺の失態が知られることはなかった。仕方がなく、その日は部屋に用意された水を飲むことなく床に着いた。




