第四十話 新天地⑦
「うっ……はぁぁ……」
俺は瞼を閉じ、地面に蹲りながら息を吐く。
咄嗟に右手で腹を押さえることが出来たことに安堵する。此処にはリベリーナの無実を証明する、大事な証拠品を隠しているのだ。紛失したり、汚したり証拠品としての効力が発揮されなくなることは厳禁である。
「何とかなった……」
如何やら外に出ることが出来たようだ。壁を探る為に近付いた際に、扉のスイッチを踏んでしまったのである。壁を開けるスイッチが壁にあるとばかり思い込んでいた。そこが盲点だったようだ。視界が利かない状態な為、足元に仕掛けのスイッチがあることを失念していたのである。更に言えば、この出口はスイッチを押すと回転扉になる仕掛けだったようだ。
秘密の抜け道から出ることが出来たことを素直に喜びたいが、周囲の状況を確認することが先である。しかし、三十分程暗闇に居た為、瞼を開くことが出来ない。視覚以外からの得られる情報を整理する。
「何処かの庭か?」
背中を暖かい日が照らし、膝を着いた感覚から硬い草と地面の感触が伝わる。頬を柔らかく澄んだ空気が撫でた。そのことから、何処かの庭に出ることが出来たことが分かる。
建物の外に出ることだが出来たのは良いことだ。秘密の抜け道が外に通じず、室内に通じている可能性も充分にあったのである。誰かの私室や鍵のかかった部屋など、誰かと遭遇してしまう確率が高く。必然的に俺は不法侵入者と見なされ、捕らえられるだろう。
そうなれば、第二王子に報告され秘密の抜け道の存在も露見し、『餌』として黒幕を吊るし上げる計画が完全に頓挫してしまうのだ。地位も権力もないモブには、その状況から脱することは粗不可能である。
「そろそろ、大丈夫か……」
蹲った状態で俯きながら瞼を開く。未だ眩しく感じるが、動くことに支障はない。ゆっくり身体を起こす。すると俺の置かれた状況が分かる。
「成程、通りで誰にも声をかけられない筈だ」
俺が秘密の抜け道から出て来た場所は、生垣の裏手にあった。左右には等間隔に同じ木が植えられ、それらの生垣は腰ぐらいの背丈の為、覗き込まなければ認識されない。そのおかげで俺が目を明るさに慣らしている間も、不審に思われなかったようだ。
再び使うかは分からないが、俺が出て来た出口を振り返り確認する。俺が居た屋敷とは違い煉瓦造りの建物であり、俺が通って来た扉は全くその存在が分からない程である。流石は王族が使う秘密の抜け道だ。
「先ずは此処が何処かを確認しないと……」
鞄を拾い、スーツを軽く掃う。取り敢えず、軟禁状態である空間と秘密の抜け道から脱することが出来た。次は此処が王都なのか、それとも王都の近くか現在位置を確認することが最優先だ。
生垣から周囲を探ると、広い芝生を挟んだ向かい側にも煉瓦造りの立派な建物がある。見晴らしの良い芝生には、人影は見当たらない。現在位置を知る為にも、誰かを見付け声をかける必要がある。俺の背側にある建物へ入ることも考えるが、逃げて来た方向に帰るのは気が進まない。
俺は向かい側の建物に行くことに決める。だが芝生を横断すれば悪目立ちをしてしまう。此処が何処だか分からない以上、不用意に騒ぎを起こすことは避けるべきである。
右手方向奥を見ると、背後の建物と向かい側の建物を繋ぐ渡り廊下が見えた。生垣に隠れながら、渡り廊下へと歩く。
此処で注意したいのが、第二王子の部下・黒幕の配下との遭遇だ。
第二王子派は命の危険はないが、黒幕を吊るし上げることが叶わなくなる。黒幕派は命の危険があるが、ある意味では『餌』として黒幕を誘き出すことが出来るのだ。
しかし黒幕派の土俵では俺は無力だ。吊るし上げられるどころか、逆に証拠品を奪われ在りもしない罪を捏造され処分されるだろう。
そうなれば、リベリーナに再び害が及ぶ。予想では黒幕は証拠品の正当性を訴え、偽の証拠品を提示してリベリーナを貶めるつもりである。黒幕がリベリーナを貶めるにはその方法しか残されていない。何故ならば、駒として使っていた元王太子とイリーナ達は捕えられ新しい罪を捏造するにも使い物にならないからだ。加えていえば、卒業パーティーであれだけの騒ぎになり手出しがし難い状況ということが予想出来る。
ならばリスクを冒して新たに罪を捏造するよりも、件の証拠品を処分し捏造する方が得策だ。実際に第二王子と馬車に乗る前に、黒幕の配下たちは俺が持つ証拠品を狙っていたのがその証拠である。騒ぎの後に直ぐに狙ってくるとは、予想以上に黒幕は狡猾なようだ。聡明な第二王子が黒幕を捕えられないことからも、一筋縄ではいかぬ相手である。黒幕にとって俺は目の上のたん瘤だ。上手く利用され処分されるのが目に見えている。『餌』として黒幕を誘き出したいが、タイミングと舞台を整えなければ返り討ちに遭って終わりだ。
更に俺が大失敗をすれば、黒幕を捕えようとしている第二王子派の計画を壊すことになるだろう。勝手に脱走し行動した上に、大事な証拠品を奪われ足を引っ張るなど有り得ない大失態である。
黒幕の正体が誰かは未だに分からないが、俺が墓穴を掘った場合。黒幕が再びリベリーナを貶め、勝利する可能性が出てくる。そうなると国政の均衡を崩す可能性が出てくることもあるだろう。イリーナを使い、婚約者であったリベリーナを貶めようとしたのだ。フォルテア公爵家を狙ってのものか、それとも国家転覆を狙っているのかは分からない。
只、絶対に黒幕の思い通りにさせてはいけないのは確かである。人を使い、リベリーナを貶めようとした人物など碌な者ではない。そんな者に地位や権力、優位になる口実を与えてはいけないのだ。
リベリーナが暮らすこの国を非道な黒幕の思い通りにしてはいけない。
第二王子は癖の強い人物だが知恵者であり、『リベリーナ嬢のことは、心の底から愛しています』と豪語していた。リベリーナの将来の伴侶になる彼の邪魔はしたくない。
矢張り、リベリーナの幸せに暮らす為にも第二王子の邪魔をせずに、諸悪の根源である黒幕を吊るし上げるしかない。
「……本当に誰もいないな」
渡り廊下に辿り着き、周囲を確認するが相変わらず人影は見当たらない。生垣から出て渡り廊下を進む。誰かに話しかけたいが出来れば誰かの会話を聞き、ある程度の情報を得てからにしたい。予想以上に広大な敷地と建物の規模に、予備知識を無しに切り抜けられる場所に感じられないからだ。少なくとも第二王子の部下が近くに居る筈であるが、誰にも出会わない。
「……行くか」
渡り廊下を進み終えると、向かい側の建物の入り口に辿り着いた。
一応、俺の格好はスーツ姿な為、明らかな不審者扱いは避けられるだろう。第一印象は大事である。これから出会う人が管理職ではなく、気さくで細かいことを気にしない人物ならば良い。そして此処の情報を惜しみなく、不審がらずに与えてくれて仕事を紹介してくれたら尚よい。俺は生粋のモブであり、モブ顔である。人畜無害な笑顔と態度で乗り切るつもりだ。モブであるメリットを最大限に利用させてもらう。
扉を開けようとノブを掴もうとしたが、その手は空を切った。
「……おや?」
内側から扉が開き、騎士団の制服を身に付けた男性が現れた。




