第三十八話 新天地⑤
「最後はこの扉か」
『餌』計画の為にも、この状況から早々に脱しなくてはならない。執務室での情報は皆無な為、最後に残された扉を開ける。
「洗面と浴室か……」
扉の先には洗面台と浴槽があり、戸棚も調べるが特に使えそうな物はない。歯ブラシやグラス、ブラッシなど日用品が用意されているだけだ。剃刀や鋏など武器になりそうな物があれば良かったが、あの第二王子がそんな失態を犯すわけもない。
俺が考える手っ取り早くこの状況から脱する方法は二つある。
一つ目は、俺の食事の提供をしに来た第二王子の部下を脅して外に出る案だ。これは第二王子の部下より俺が強い必要が出てくる。剣術も体術も得意ではない俺には武器が必要だ。但し第二王子の部下を倒す必要も、傷付けるつもりもない。
人質役は第二王子の部下ではなく、俺自身である。第二王子の部下は主である第二王子からの命で、俺へ食事提供を行っているのだ。当然、周囲の警戒や警備役も兼ねている筈である。
つまり俺は保護対象であるということを逆手にとり、言うことを聞いてもらおうという算段だ。だがこれには、明確に俺の命を脅かす武器の存在が必要不可欠である。ガラスのグラスを割ることも出来るが、グラスの割れ方次第では脅しとしてのインパクトに欠ける。寝室と洗面にあるグラスはどちらも大きすぎ小さすぎ、しかし武器の用途には欠ける大きさだ。まさか第二王子が此処まで考えて用意をしているとなると面倒である。
更に言えば、相手は騎士や武術の心得がある者だろう。俺が自身を人質にしても簡単に武器を取り上げられてしまう可能性が高い。ここまでするのだ『餌』になろうとしていることも知られるだろう。そうなると確実に拘束され、第二王子に報告される。俺を『餌』にして黒幕を吊るし上げる計画が頓挫してしまうのだ。
二つ目の考えは、第二王子の部下が食事の提供に来たのを静かに見守る作戦だ。外に唯一通じているだろう大扉は厳重に鎖が巻かれている。窓も部屋の位置が高過ぎる上に、外壁をよじ登る人物が居れば目立つため違うだろう。ならば第二王子の部下は何処から、この空間に出入りしているのか? 答えは簡単だ。秘密の抜け道があるに違いない。
直接、第二王子の部下と対峙すれば阻止されるが、こっそりと様子を伺えばいいのだ。ベッドに入り寝たふりをすれば、後は第二王子の部下が入ってくるのを待つだけである。そして第二王子の部下が去った後に、俺がその秘密の抜け道からこの空間を脱するという作戦だ。これが一番穏便且つ、確実である。
「問題は時間と暗闇か……」
二つ目の作戦はとても良いように思えるが、問題もある。それは第二王子の部下がこの空間を訪れる正確な時間が分からないこと、深夜や朝方であれば灯りのないこの空間ではおおよその位置しか把握することは出来ないことだ。
黒幕の配下への警戒、俺との対面を避けるならば深夜から明け方の間である。暗闇なのは第二王子の部下も同じだ。相手はランタンか蠟燭か灯りを持ってくるだろう。その灯りと音を頼りにおおよその場所の検討をつけるしかない。
与えられた飲食物の量から見て、今夜から明日の朝までには来るだろうと思いたい。だがそれが確実に行われるかはわからないのだ。二日に一度の可能性もある。第二王子側も黒幕への対策で忙しいことだろう。
「はぁ……待つしかないのか……」
今は昼間だ。これ以上俺に出来ることはない。昼寝をして第二王子の部下が来る深夜に備えることも出来るが、時間が惜しく感じてしまう。
「……あれ? 待てよ?」
不意に部屋の配置に疑問を覚えた。
前世ではメインの部屋から、洗面や寝室の部屋へと繋がるのは普通の造りである。しかしこの世界では洗面や浴室のプライベートな空間は、寝室と繋がる作りが一般的だ。部屋の造りが他と異なるということは何かあるということである。
これが普通の状況であれば、俺も深く考えないだろう。だがこの現状では少しの疑問が答えとなる可能性が高い。違和感というのは大事にするべきである。
「秘密の抜け道があるとしたら……寝室か?」
寝室と洗面室のどちらかに抜け道があるようだ。本棚がある執務室も怪しいが、本を抜いて仕掛けが分かりやすくするのは有り得ないだろう。
更に言えば、抜け道ということは周囲から気付かれないよう隠されている。狭くても人が通れる通路を造るとなると、それなりの強度と空間が必要だ。それを自然に造ることが出来るのは寝室の暖炉近くだろう。
「何処かにスイッチか何かある筈だ……」
寝室へと戻り、暖炉の周りを改めて調べる。先程、暖炉を調べた際には秘密の抜け道の可能性を加味していなかった。無いと思っていると気が付かないが、存在していると分かっていれば見つけることが出来る筈である。
「……っ! 在った!」
暖炉内に人工的な小さな窪みを見付けた。俺は迷わずその窪みを押した。すると木が軋む音が響き、暖炉の床が横にずれた。そして下へと続く階段の入り口が現れた。暖炉が綺麗に掃除されていたのは、秘密の抜け道を使用する為の意味も兼ね備えていたようだ。
「よし!」
秘密の抜け道を発見したことを喜ぶのも束の間。俺は鞄を開けると、用意されている林檎とパンを全て入れる。それからタオルで童話の本を包むと、ワイシャツの上から腹に巻きベストと上着を着て隠す。これはリベリーナの無実を証明する最後の証拠品である。簡単に奪われるわけにはいかない。
緊急事態になれば鞄を捨て、己の身一つで逃げるつもりだ。大抵、大事な物は鞄に入れているだろうと思い、鞄を奪いに来るだろう。それを逆手に取り時間を稼ぐ作戦である。此処を出れば身の保証はなく、自分の身は己で守るしかなくなる。体術も剣術も得意ではない俺に出来る保険はかけておくべきだ。
「さてと……行くか」
改めて気合いを入れ直すと、俺は暗闇が広がる階段に足を踏み入れた。




