第三十六話 新天地③
「…………」
扉は何の抵抗もなく開いた。正直に言って驚いている。あの第二王子のことだから、扉には鍵がかかっていると予想していたのだ。鍵をかけていないとなると、見張り役がいる可能性がある。俺が起きて探索をしているのに誰も訪ねてこないということは、単に気が付いていないだけかもしれない。そうなるとこの先に進むと、見張り役と遭遇する可能性がある。
「……っ……」
見張り役と遭遇したとしても、俺の『餌』計画が知られるわけではない。上手く立ち回り、逆に第二王子の情報を得ることも出来るだろう。俺はそっと扉を潜る。
「……誰も居ないかな?」
扉の向こう側には誰も居ない。執務室の様な空間が広がり、向かい側には奥に扉が一つ。そして右側には大きな扉が一つある。その扉の惨状を見れば誰も居ない理由が分かる。
「流石に此処まで露骨だと引くな……」
両開きの大きな扉には鎖が厳重に巻かれている。試しに扉の両側ノブを掴むが微動だにしない。扉の鍵自体が掛けられた上に、鎖が何重にも巻かれているようだ。この状態であれば見張り役を置く必要はないだろう。だが、この状況は些か大袈裟ではないか?俺は猛獣か何かと間違われているのだろうか?
俺はただのモブであり、剣術や体術は得意ではない。堅牢なこの扉を破る術を俺は持ち合わせてはないのだ。そのことは第二王子も分かっている筈である。しかしこの対応を見ると、俺の脱走防止と侵入者を阻む両方の意味を持っているようだ。これだけ強固に扉を封じているということは、この両開き扉が外へと繋がる扉ということになる。
「まあ、安心して探索出来るから良いか……」
向かい側に扉が一つあるが、そこに見張り役が居る可能性は殆どないだろう。ここまで俺が近付いたというのに顔を出さない理由がないからだ。外の状況の情報が手に入らないことは残念だが、自由に探索出来るので構わない。
「本当に何もないな」
気を取り直して執務室のような部屋を見渡す。執務用のデスクとソファーが置かれている。部屋の両側にある本棚には一冊も本が置かれていない。普段使用していない部屋ということは確かなようだ。しかし手入れは行き届いているようで、本棚には埃が一つない。
通常であれば部屋に留める娯楽として本が提供されるが、それが無いということは二つの理由が考えられる。単に普段使われていない部屋に本を保管しておく意味がないことと、俺へ情報を渡さないという意味も兼ね備えている。保有する本の内容で部屋の主の思考を予想することが出来るのだ。両側壁一面の本棚となれば、保有する本の量は膨大である。多ければ多いほど思考を予想しやすくなるのだ。如何やら第二王子はそのことも懸念して本を置かなかったようだ。
「用心深いな」
俺に考えを予想されるのを回避するとは、流石は第二王子殿下である。用意周到だ。
「さてと……何かないか?」
執務用のデスクへと近付き、引き出しを探る。開けた棚の殆どが空だ。そのことは本棚から予想通りである。しかし先程の部屋とこの部屋には、生活をするのに決定的に足りない物があるのだ。食料品はサイドテーブルの上に置かれていた。だが何週間か数か月を過ごすかもしれないこの場所には、火の気がない。つまり灯り、光源がないのだ。日当たりの良い部屋だから昼間は明るいが、陽が落ちれば闇夜が広がる。月明かりもあるが、明るいのは窓辺だけだろう。加えて天気が荒れれば、昼間でも視界が悪い。
暖炉を掃除してあるのに薪や火種を用意されていないこと、光源の提供がされていないことを踏まえると、この場所に人が存在することを気取られたくないようだ。
要するに、夜でも暗くても大人しくしていろ。という第二王子の無言のメッセージだ。
そうなるとこの場所が普段、人の出入りがないということになる。夜でも火の気がないということは、長期間で使用されることのない場所だ。そしてそれが破られると、周囲から不信に思われる場所。
「一応……王都だよな?」
一瞬、己がいる場が王都であるか不安になる。黒幕の配下たちが王都に居たならば、王都からリベリーナの証拠品と一緒に俺を逃がすのが最善だ。第二王子と別れたのが俺にとっては昨晩の出来事であるが、睡眠薬の所為で二、三日の誤算が生まれていると厄介である。この場所が王都近くの王族所有の屋敷の可能性もあるのだ。
「……っ!」
己だけ安全な所に逃がされ、保護されているなど情けない。本来ならばこの手厚い保護を受けるのは、リベリーナであるべきだ。黒幕が野放しである現段階では、彼女が再び狙われないとは限らない。父親である宰相や、フォルテア公爵家が全力で守るだろう。それに卒業パーティーでの目撃者達が多くいる。黒幕も相当追い詰められなければ、再びリベリーナに危害を加えるとは考え難い。頭では理解している。だが心配なことには変わりない。両手を強く握り、苛立ちを抑える。