第百十話 導き②
「まさか、誰かの手にかかっていたとは……」
前世の最期の状況を考えると、溜息を吐く。今迄思い出すことが無かった前世の記憶だが、中々に考え深いものがある。
潮の香に、湿った空気からして俺が放り出されたのは海だろう。そのことは謎の人物が『君は泥酔状態で海に落ちる』という言葉からも海で間違いない。
そして、俺の体が動かなかった体調不良の理由は酒だろう。泥酔状態で誤って転落して、溺死したという筋書きである。事故に見せかけた他殺だ。
あの暗闇では目撃者は居ないだろう。いや、そういう場所をわざわざ選び俺を海に落としたのだ。事件性を疑い司法解剖したところで、俺が大量に飲酒をしていることが分かるぐらいだろう。謎の人物が、他殺を気付かせる証拠を残すとも考えられない。
目撃者が無く、泥酔状態で海に転落した。事故の条件は満たしているが、逆に他殺を証明する証拠がない。状況からして、俺の前世は事故死で片付けられている筈である。
「肝心なことは思い出せないな……」
前世の最期は思い出せた。だが残念ながら、海に落とされる迄の記憶がない。教授を捕まえた後に、俺が何をしていたかは覚えていないのだ。
更に言えば、逮捕される教授に対して感じた違和感の正体も思い出せない。これは単に違和感の正体を明らかに出来ていない可能性もある。
加えてわざわざ事故死を装い俺を葬るということは、俺は何か事件に巻き込まれた可能性が高いだろう。肝心な謎の人物に関しても、何も思い出すことが出来ない。
唯一の手掛かりである声は、機械的な男の声だった。
前世の世界にはボイスチェンジャーという物がある。それで声を変えて、俺に話しかけたのだ。俺が万が一にも生き延びた際に、声から犯人を特定されることを回避する為だろう。声が判断材料になるということは、つまり俺の面識がある人物ということになる。その考えに至っても、何も思い出すことは出来ない。
犯人が狡猾であることと、もう一つ分かることは男性であることだ。
体の自由が利かない成人男性を海に放り込むのは、女性には無理がある。勿論、鍛えている女性ならば可能だろう。しかし俺を抱えた腕に、筋肉はそれ程無かった。
事故死に見せかける必要があるならば、俺を引き摺ったり無駄な傷を付けたりすることは避けるべきだ。加えて、声で判断されることを恐れているということは俺と面識がある。俺と関係あれば、事情聴取をされる可能があるのだ。その際にアリバイが無ければ、疑われる原因を作るだろう。狡猾な犯人がその様な失態を犯すとは思えない。事情聴取をされても、疑いの余地がない完璧なアリバイを用意した筈である。
その為にも短時間に、俺を無傷で海に投げ入れる必要があるのだ。その点からしても、犯人が男性である可能が高い。
先入観は良くないが犯人が女性でも男性でも、俺の記憶が完全に戻らない限り犯人は分からないだろう。




