第百四話 脱出⑥
「ぐっ……はぁ……」
息も絶え絶えに、暗闇の中をひたすらに進む。
右手を壁に付き一段ずつ、慎重に階段を降る。この『秘密の抜け道』に入り不快感を遠ざければ、少しはこの気分の悪さが良くなることに期待した。
しかし体調は、一向に優れない。
それどころか、体調が悪化している様に思える。ワインが離宮中に撒かれていれば、『秘密の抜け道』に香りが流れ込んでいるのかもしれない。体調が悪い時に暗闇の密室を進めば、体調が悪化しても不思議ではないだろう。
「はぁ……はぁ……」
気分の悪さと戦いながら、半分ぐらいまで階段を降り終える。クロッマー侯爵が火を点けるまで、残り三分ぐらいだろう。急ぎたい気持ちがあるが、今一番気を付けなければならないのは螺旋階段で転倒することだ。暗闇の中、手摺もない螺旋階段で転べば大惨事である。怪我をすれば火から逃れ、脱出することも叶わなくなるのだ。注意しなければならない。
「あと少しだ……」
気を引き締め直しながらも、階段を降り続ける。このペースならば、体調が悪くても火が放たれる前に『秘密の抜け道』の横道に入ることは可能だろう。
クロッマー侯爵が油断してくれていることが、この脱出の時間を生んでいる。
去り際にクロッマー侯爵は、俺がいる部屋の扉に鎖で封じてあると言っていた。通常その状態で火を放てば、俺が生存する確率は絶望的だと考えるだろう。それ故にクロッマー侯爵は俺に直接手を下さずに、離宮ごと処分をする方法を選んだのだ。そのことからクロッマー侯爵は『秘密の抜け道』の存在を知らないことが分かる。
施錠された扉に逃げ道もない部屋に、閉じ込められた俺。クロッマー侯爵は、俺が逃げることは出来ないと油断をしている。
加えて俺という危険人物を数分間監視せず、放置していることからも完全に気を抜いているのだ。クロッマー侯爵は俺には成す術が無く只、最期を待つ哀れな者に見えているのだろう。それはこちらにとって、好都合である。
「よし……着いた……」
何とか階段を全て下り終え、息を吐く。段数を数えながら降りた為、転ばずに一番下まで辿り着くことが出来た。木製の壁から、石造りへと変わった壁に手を着く。
この石造りの壁の先に『秘密の抜け道』の横道がある。この建物が焼失した場合でも、石造りならば、この先に続く『秘密の抜け道』の存在を知られることはない。
このままクロッマー侯爵の手により火が放たれたとしても、螺旋階段が燃え尽きれば『秘密の抜け道』の痕跡は残らないのだ。この離宮が燃え尽きた後に、クロッマー侯爵が確認をしに来たとしても俺が生きていることを知られることはない。流石は王族所有の離宮である。良く考えられている造りだ。
「うぅ……はぁ……」
休みたい気持ちがあるが、その時間はない。もうじき火が放たれるだろう。急がなくてはならない。
「確か……この辺りに……」
以前の記憶を頼りに壁に両手を着き、奥側へと押す。すると以前と同じ様に、音もなく壁が奥へと開いた。それと同時に新鮮な空気が流れ込んで来た。




