協力者
学校から連絡が来た和成の祖父は、教師からの話を聞いて専門医に受診することを承諾した。少しでも和成が生きやすくなるように願って。
祖父は以前から、娘のやり方に問題があると感じていた。もし何らかの病気があっても、協力者の力は必要だと思うからだ。隠すことでは解決しないだろう。
「こんにちは、和成君。私は中條清彦。職業はお医者さんなんだ」
「こんにちは。今日は、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね」
そんなやり取りをしながら、いろいろな質問が和成に投げ掛けられる。
その一つ一つに、丁寧に答えていく和成。
中條は会話の中で、仮説を導き出した。
一つは、視力的な問題。
もう一つは、発達による問題。
そしてもう一つは学習障害、ディスレクシア(読字障害)だ。
◇◇◇
中條は小児精神科の医師だ。
様々な症例を診察しながら、儲けを度外視で寄り添う。
全ては研究の為に。
子供達の未来が良きものになるように。
彼は今、50代。
己の子に脳の障害があり、幼い時にその子は寿命を迎える。亡くなる年齢(3才)になっても、ついぞ言葉を発することがなかった。その妻は心を痛め、離婚している。
「自分がちゃんと産んであげられなかった」と、自分を責め続けて。
中條は妻のせいではないと、慰めたが駄目だった。
このままここに居るのが辛いと、住んでいた住居から去って行ったのだ。
それから中條は、小児科医から小児精神科医へ転職した。海外でいろいろな症例を5年間学び、日本に戻り開業した。
診察による利益は少ないので、医師であった父親の遺産を切り崩しながら仕事を続ける。そしていつしか、頼りにされる人物になっていった。
◇◇◇
「彼の場合。小学校に入学前は、自他共に問題は見られなかった。ならば問題は、小学生になって生じたことになる。
であるならば、単語だけになら適応出来るのかもしれないな。
彼は自分の名前を書くことには、問題を生じていない。
絵本も読めたと言う。
だから今度は、文字数の少ないものから、多い絵本を順番に読んで貰おう」
そして読み進めて貰うと、5文字ずつ2列の文字が並んだ絵本の時に彼に変化が起こった。
逐次読みとなり、表情もこわばっていく。
「ありがとう、和成君。一度止めようか」
「はい。すみません」
「謝る必要はないよ。じゃあ、お菓子でも食べてよ」
「………はい」
「落ち込まなくて良いんだよ。僕はどうやったら、君が楽になるかを考えているだけなんだから。
一緒に方法を見つけよう。言っておくけど、君の視力は正常だ。君が何故か心配していた知的障害でもない。
ただ文字を見るのが、苦手な病気なんだと思うんだ。
だから、どこら辺がどう苦手なのかを教えて欲しいんだ。苦手がわかれば対応も出来るからね」
『その当時(和成が子供の時)は、今よりもディスレクシアに対しての認識が低く、実際に受診する子供が少ないことで、発覚が遅れていた。
多くの子供はただの勉強嫌いや、怠け者だと否定されて来た。親、子、共に苦難の道を通る者が多かったのだ。
現在日本の人口の約7〜8パーセントがディスレクシアだと言われており、ディスレクシアの社会的認知度の低い状況は続いている』
和成は中條の落ち着いた言葉に、涙していた。
良くなるように、助けたいと言われたからだ。
一生このままで、何も変わらないと諦めていたから。
だから信じた。
信じることが出来たのだ。
◇◇◇
人それぞれに、ディスレクシアの症状には違いがある。
文字がにじんで見えたり、ゆらいで見え たり、鏡文字となって見えたり、かすんで見えたりすることが知られている。
和成の場合は文字が2列になると、途端に文字がくっついて見え、本来の字でないように見えた。長い文章は、切れ目をどこで入れて良いかがわからなくて混乱する。
同じことを指示されても、口頭ならすぐ理解出来るが、文字として渡されると時間がかかるのだ。
その為に、絵本の2列部分を1列を紙で隠すこと。
そうすれば、先程の本は苦もなく読めた。
それは和成には不思議だった。
「さっきまで字が変に見えたのに、今度は普通に読めた。どうしてなの? 先生!」
そしてとても嬉しい体験だった。
次に文章も長く、3列に並ぶ絵本の字だ。
和成は身構えたが、また1行だけ見えるようにした。そして全てを隠し、1文節を読むごとに医師が紙をずらしていった。
すると苦手だと思っていた本を、苦痛なく読むことが出来たのだ。
ただ普通に見れば、字を見て混乱して頭痛がするくらいなのに、医師が手伝ってくれると読めたのだ。
そのことで和成は思った。
字が込み合わなければ、たくさんの文字も読める。
自分の苦手な部分が、はっきりと理解できたのだ。
「ああ。僕、ちゃんと読めた。先生、僕読めたんですよね」
「ああ、頑張ったね。今日は、これくらいにしようか」
「はい。ありがとうございました!」
一緒に来ていた祖父母も、部屋の隅で涙ぐんでいた。
声を出して中断させないように口を押さえ、何度も嗚咽を飲み込みながら。
(ああ、良い医師に会えて良かった。本当に良かった)
(和成、良かったね。辛かったね)
◇◇◇
医師からの説明は、和成の祖父が許可したので教師にも伝えられた。
黒板の書き方を字が込み合わないように、短めに記載するなどの工夫をしたり、書く前に教師が口頭で説明し理解させてから、ゆっくり書いたりと。
それでも急に全ては解決しない。
だが僅かな改善や慣れなどの変化も、和成の力になっていった。
一番の功績は工夫すれば出来ることを、和成が知ったこと。
中條の元へは定期的に通い、テストの時のパターンも学んだ。
「テストの最後には、答えなさい、書きなさいと締め括られている。だから最後まで読む必要はない。最初の部分を漢字や単語部分で区切って読めば、十分対応出来る。
パターンを知れば、単語の頭文字を読めばわかるようにもなる。君は数学が得意だから、答えなさいと書いてあるだけならわかるだろう。
大事なのはパターンを学ぶことだ。
それとどうしても辛いなら、点字を学ぶ方法もある。
君は図形に支障はないから、覚えれば力になるかも知れない。学ぶことが辛ければ、その方法は後回ししても良いし。でも点字用の教科書を読めば、読む辛さは軽減しそうなんだよね。
まずは黒い定規で文字が1列になるようにして、指で少しづつ単語を読み出していく。
その為に、多くの単語も漢字も練習しなくてならない。
大人になれば、漢字を多く含む文章が多くなるから、区切りやすくなるかもしれないよ。
まずは出来る範囲でやってみよう。
上手く出来なかった時は、2人でその時のやり方を考えていこう」
周囲の理解も得ながら、和成も懸命に取り組んでいく。
その頑張りに、周囲の子供達も関心を示し協力しだした。
モモカだけはいつも通りマイペースであるが、中條の元に通うことで知的障害のことも教えて貰ったから、特に関係が変わることはなかった。
和成は最初に受診した時に、中條に頼んだ。
「もし僕が知的障害だったら、お母様が離婚するかも知れないんです。だからもし知的障害でも、内緒にしてくれませんか?」と。
中條は、耳を疑った。
「子供にこんな心配をさせるなんて、何てことだ」と密かな怒りを見せた。
今回は違ったがもし知的障害があっても、子供に言うべき事ではない。
親に恵まれなかったのだなと、悲しく思った中條。
そして知的障害の説明を聞かせた。
「当てはまることが少ないだろう」と聞けば、和成は頷いた。
知的障害の例として、複雑な事柄やこみいった文章・会話の理解が不得手であったり、おつりのやりとりのような日常生活の中での計算が苦手なことがある。当然ながら、学習に集中しづらい者が多いそうだ。
それでも自分と同じように障害なのだとわかれば、協力こそすれ蔑むなんてありえない。
モモカは最初に出来た、大事な友人なのだから。
和成は、だからこそ悲しく思うのだ。
「お母様は僕が知的障害だとわかったら、きっと僕を捨てただろう。そうでなくとも、遠い場所に離された。モモカさんは良いなあ。ご両親もサクラさんも、みんな優しくて」
和成の家は資産家だ。
それは和成自身わかっていた。
けれど彼は、祖父母と住むこの場所が好きだ。
もう神戸に帰らなくても良いと思っていたくらいだった。
それでも病状は、彼の両親の元にも医師から手紙で伝えられたのだ。