新しい学校
「こ、神戸から転校して来ました。一条院和成です。……よろしくお願いします」
予定していた月曜日。
意を決して、サクラさん達と学校へ向かった。
お祖父様もお祖母様も、朝から僕以上にソワソワしていた。
「辛かったら戻っておいでね。電話くれたら迎えに行くわよ」
「やっぱり、爺ちゃんも一緒に行こうか?」
自分以上に心配する2人をみると、何故か頑張ろうという気持ちになった。
「そんなに心配しないで。サクラさんもモモカさんもいるから、大丈夫だよ」
自分の緊張よりも、祖父母のことが心配になってしまった。
それにこんなに、僕のことを思ってくれている。
最早、嬉しささえ感じていた。
「おはようございます、和成君」
「おはよう、和成くん。今日は一緒に、給食食べられるね」
暢気なあいさつに力も抜けた。
「おはようございます、モモカさん、サクラさん。今日からよろしくね」
「うん、よろしく」
「うん、良いよ」
2人は微笑んで、先にゆっくりと歩き始める。
僕は後ろを付いてい行く。
「じゃあ、行ってきます。お祖父様、お祖母様」
「行ってらっしゃい」
「気をつけてね」
「はい。気をつけます」
僕は元気に手を振って、声をかけた。
学校までは30分ほどあり、途中でサクラさんが大丈夫かと声をかけてくれた。
僕は少し息を切らしながらも、「大丈夫です」と答えた。
久しぶりに歩いて疲れたけれど、とても気持ちが良かった。
ずっと畑ばかりで、時々牛舎もあって変な臭いがして、通りすぎると牛がたくさん動いている野原があった。
「もぅお~」
「あ、牛って、本当にもーって言うんだ」
「そうだよ、知らなかった?」
「テレビでは見たことあったけど、直接見るのは初めてだったからびっくりした」
「ここには、いっつも牛いるよ。オッパイ、おっきいの」
どうやらここは、経産牛が多いようだ。
目新しいものが多くて、あっと言う間に学校に着いていた。
◇◇◇
神戸では行き帰りを車で通学していたから、歩くことが少なかった。それでなくとも、弟の雅之との通学は息が詰まった。
学校へ行けば息を殺し、時間が過ぎるのを待つだけだ。
休み時間は廊下を歩き、先生が来たら一緒に教室に入る。
「お前頭悪いな。俺より馬鹿なんだな」
一度思いきり馬鹿にされてから、クラスメートが怖くなった。時々別の人に声をかけられても、何を言って良いのか緊張するようにもなった。
1年生になったばかりの時はよくわからなかったけど、1年生の中盤になってから差がつきだした。授業中に問題を当てられても答えられないし、教科書を読まされると時間がかかった。
一文字ずつ、区切って読むから笑われた。
その辺りから、先生も僕に教科書を読ませなくなった。
クラスメートも、それに気づいていたようだった。
テストの時も、一生懸命に問題を読もうとするけど、頭に内容が入ってこない。何を答えて良いかがわからなくなる。まだ声を出せば、それを耳から聞けば理解出来るが、文字を見るだけで頭が痛くなるのだ。
それでも毎回、僕なりに頑張ってはいた。
その努力は、報われることはなかったが。
そうこうして雅之が入学し、僕のことがクラスメートからその弟や妹にも伝わったのだろう。
雅之から、その事を言われて辛かった。
消えてしまいたかった。
でも、もう一度だけ、学校に行ってみることにしたんだ。
◇◇◇
先生の紹介されて、教室で自己紹介を終えた。
クラスは、本当に10人しかいなかった。
女の子が6人。
男の子が4人。
みんなが仲良くしようと言ってくれた。
神戸でのことがあるから、そのうち態度が変わるかもしれないと、少しだけ胸が痛んだ。
けれどみんな、本当にやさしくしてくれた。
いろんな場所を案内してくれたり、休み時間には遊んでくれたり。人数が少ないせいだろうか?
苦手な音読も、みんなで声を合わせてゆっくり読んでいくと理解できた。最初は別の生徒が読んで、その後に読めば少し意味がわかる気がした。
書いてあることが事前にわかれば、暗記したものを繰り返していく感じだったので。
特に黒板に書いてある漢字だけに、平仮名をつけたり漢字にするのは簡単に出来た。ただ長く説明が書いてあったり、文章が繋がっていると途端に混乱してしまった。
算数もそう。
説明を読むのは時間がかかるけれど、数式だけなら計算が出来た。
先生が本を読んで「こうなるから、こうするとこうなる」と、口頭だけで説明をされれば容易に理解が出来たのだ。
ただ紙に書いてあるものを個別に答える、テストみたいなものになると途端に出来なくなるのだ。
(ああ、やっぱりここでも同じなのか)
僕はまた辛くなった。
ただ授業事自体はゆっくりなので、サクラさんや先生に口頭で聞きながら、補うことが出来た。
相変わらずテストの点数は、あまり良くなかった。
でも馬鹿にするような子はいなかったから、僕は学校に通うことが出来た。
学校に来る前に畑仕事を手伝って疲れたのか、机に伏せって寝ている子もいたから、そもそも勉強は重視されていないのかもしれない。
それが僕の心をどんなにか楽にしてくれたことか。
とてもじゃないが計り知れない。
時々図書館に寄り、モモカさんの好きな絵本を借りて行くことが日課になった。
僕はモモカさんの手に取った絵本の絵が目に入り、その日はたまたまその本を開いたところを、横からそっと覗いていた。今まで絵本なんて、読む機会なんてなかったのに。
「星ぞらに、
大きな月。
キラキラと、
とんでいく
光るとり」
星空に大きな鳥が羽ばたき、飛んでいくページだった。
モモカさんが本を開いた時、知らずに僕は口ずさんだ。
宇宙のような綺麗な空が、とても印象的だったから。
1行に4つくらいずつの大きな字で書かれていて、僕は苦痛なくスラスラと読めていた。
僕は意識していなくて、気づいていなかった。
けれど傍にいたサクラさんは、驚いて伝えてくれた。
「和成君、スラスラと読めていたよ。とても優しい声で、上手だったよ」
「えっ、あ、本当だ。僕、読めたんだ」
「和成君、上手。モモカ読めないから、もっと読んで。早く」
モモカさんに催促され、その後も鳥の絵本を読んでいく。
スラスラと苦痛なく。
喜んでくれるモモカさんの為に。
それを見ていた本の貸し出し係の先生も、褒めてくれて照れてしまう。
「ありがとう、和成君。先生みたいに上手だったよ」
「こちらこそだよ。モモカさん、ありがとう。僕の方が、とっても嬉しかったよ」
ずっと苦手だった音読が、初めてスラスラと読めた。
モモカさんはもう、その本は僕が読んでくれたから別の本を借りると行って、絵本の棚に走っていった。
僕はもう一度確認したくて、その本を借りて帰った。
そしてお祖父様とお祖母様に、その本を読むのを聞いて貰った。
すると、
「紙芝居の人みたいに上手だったぞ」
「本当にそうね。感情がこもっていて、泣きそうになっちゃったわ」
そんな風に言われて、また嬉しくなった僕。
◇◇◇
その頃図書室にいた先生が、和成の担任教師カエデに今日のことを伝えていた。
「和成君は、すらすらと絵本が読めていたわ。いつも一文字ずつ※逐次読みだと聞いていたのに」
「授業では、そうだったのよ。でも、ここでは流暢だったのよね。あの子は普段から、言葉遣いがとても丁寧なの。事前情報のような、知的障害とは違うと思うの。
ありがとうございます、エリ先生。教えてくださって。
早速、校長と相談してみますね」
「私は何にもしてないわ。でも何とかうまく行くと良いわね」
「はい。私もいろいろ考えてやってみます」
エリとカエデは微笑み、生徒の幸せを願う。
少しでも状況が改善しますようにと。
田舎の学校では教員も少なく、みんなで声をかけて相談しあっていた。
それが良い方向に作用したのかもしれない。
和成の環境は、また変わり出すのだった。
※逐次読みとは、スラスラと読めないことです。