島鬼
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う〜ん、こうして世界地図で見ると、本当に日本は島国なんだなあと感じるよ。
島の定義って、こーちゃんは知ってる? 最近、学校の先生が教えてくれたんだけどさ。
ひとつ、自然に作られた陸地であること。
ひとつ、水に囲まれていること。
ひとつ、満ち潮のときに沈まないこと。
これらの条件を満たさないといけないから、厳密には人が作る「陸の孤島」とかは厳密には島の表現にふさわしくないわけだ。
――「たとえ」に、いちいち突っ込むのは野暮なことだって?
ふっふっふ〜、ごもっともですなあ。
揚げ足を取っていくと、自分がお利口に思えてマウントとっているように感じられるからねえ。やめられない、止まらない。
まあ、それは置いておくとして、周囲に多くあるものの中で小さく、少なく異彩を放つものに「島」の名を冠するのは都合が良かったんだ。
でも、本来の島の定義から外れるこれらの島は、ときに本来の島とは異なる力を発揮する場合もあったらしいんだ。
僕の友達から聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
以前、友達の学校ではビニールひもを図画工作の時間で、使う機会があったんだ。
各自、自前で用意したものを持ってきたのだけど、知っての通り玉巻きなどの形で、大量のひもがコンパクトにまとまっている。
小さい体の端を引っ張れば、面白いくらいにひもが伸びてくる。掃除機のコードをいじるのに似て、当時の友達は仲間うちでめいめいがひもを引っ張りまくり、何メートルにも及ぶ細身のビニール姿をさらしていた。
引っ張ることそのものを楽しんだら、今度はその体をどうにか楽しみに使えないかと、子供ながらに工夫をこらす。
彼らは、今度はひもを適当な長さのところで切り取り、端と端を丸くつないで、いくつもの輪を作っていく。
いつぞや、地元の川べりでやっていた「島鬼」の再現をしたかったと、友達は語る。
島鬼は川の中州部分を島に見立てて、行う鬼ごっこの一種らしい。ケイドロの派生形であって、中州には鬼に触れられたメンツがとどまることになる。
その中州はまわりを囲うようにして無数の飛び石があり、島鬼の際に中州と川べりを行き来するには、そこを飛び移っていかねばならない決まりだったとか。
踏み外して流れに足を入れれば、その時点で追われる側は捕まったときと同じく島へとらわれる。
鬼であれば決められた時間、休みを取らされて誰かを追うこと、捕まえることを禁じられてしまうらしい。
参加者にとっての絶対強者として横たわる川の流れ。
自分の身のこなしなどと相談し、ときにはギャンブル的な勝負をして相手を撒きにかかる。島鬼を愛好する人は周りに多かったと話していたっけな。
しかし学校から川まではそれなりに距離があり、陽が短くなるとたいして遊べないうちに暗さが増す。
飛び石が見えづらくなるし、家に帰らなきゃいけない人もちらほら出てきて、存分に楽しめる時間はあまりに少ない。
その点、このビニールの輪っかで作ったものなら、移動の手間がはぶける。
じかに水の感触を味わいたい人ばかりでないし、さほど参加者を減らさないまま、じきに準備は整った。
めいめいの輪っかの中で、特に広く大きく結んだものを島に見立て、学校グラウンドの真ん中へ配置。そこを取り巻くように、飛び石がわりのビニール輪たちを散らしていった。
川岸のスペースを決め、そこと島の輪、飛び石代わりの輪以外を川に見立てて「島鬼」をグラウンドに展開していく。
水のしぶきというはっきりとした判定がないため、流れに落ちたかどうかは参加者の目が頼り。テニスのアウト判定のごとく紛糾する場面もあったが、おおむね島鬼の本来の流れ通りにことは進んだ模様だ。
友達はもとより追いかけっこは得意で、ジャンプ力にも自信あり。
かの八艘飛びとまではいかずとも、たいていの鬼が飛びつけない距離の輪から輪への幅飛びを幾度も成功させ、脱落者が増え続ける中でも依然、追われる身であり続けていたんだ。
ケイドロに似た性質上、増えるのは捕虜ばかりで、鬼の人数は当初のまま。
飛び石の前後で挟み撃ちにされ、ある程度そばの飛び石代わりの輪で待ち伏せされても、その予想を超えた場に着地する。
それをあわてて防ごうとする鬼たちがミスをして、しばらく動けなくなる。
その穴をついて、捕虜たちを解放しゲームは盛り上がりを取り戻す……といった流れが長く続くわけだ。
鬼側としては早く交代したい気持ちもあっただろう。しつように友達を追い詰めてくるし、川底に埋め込まれた飛び石と違い、固定が不十分な輪は衝撃で簡単に距離感を変えてしまう。
ついに目測をあやまって、友達は川のスペースに落下。ペナルティとしての虜囚の身となった。
自分をのぞく逃げる側は、いっちゃ悪いが数段落ちる。自分を助けるどころか、逃げ回るので精いっぱいだろう。
それでも監視役の鬼が付く中、ルールで許される範囲でディフェンスを外せないかと、友達は島内をちょこまか動く。
遊び始めてすでに30分以上はたつか。リミット的に、残り時間も同じくらいだろうと、踏み始めたところで。
はじめ、靴にガムが引っ付いたと思ったらしい。
持ち上がると思っていた足が、やたらと抵抗してきて友達はつんのめりかけた。
靴底を見るも、グラウンドの砂利以外は溝に詰まるものなし。首をかしげながらも、またディフェンス外しに精を出す。
いまだ味方は新しく捕まらない。みんなよく粘っている。
それでも無茶すれば、簡単に敵の手へ落ちてしまうだろう。いまだこの島へ足を向けられずにいる。
防御役の鬼もしつこく立ちふさがってきた。遮るすき間をつけるのは、一秒もあればいい方だ。一対一でも限度がある。
ならば集中力の勝負と、友達はフットワークで翻弄しようとして。
今度ははっきり、足を止められた。
それだけでなく、鬼役の子も一緒に止まる。その背がかすかに低くなったような気がしたし、向こうも驚いた顔でこちらを見やってきた。
友達と鬼は、足首が隠れるくらい土の中へ埋まっていたのさ。
ぬかるみじゃない。先ほどまでしっかり踏みしめていた、固いグラウンドの土の中にだ。
落とし穴だってこうはいかないだろう。巧妙に偽装し、重なる体重がいいタイミングでの落下を促しても、容易に掘ることはできない固さだったからだ。
二人して足を抜こうとするも、びくともしない。
落ち込んだときに周りの砂も一緒に埋まったとして、こうも重たくなるだろうか。
まるで自分たちの足が元から地面の下にあった、とでも言わんばかりのハマり具合だった。
足の裏がのけぞり、吊りそうになる一歩手前まで力をこめても、土はびくともしてくれない。
しかも心なしか、自分たちが脱出を試みるたび、それをあざ笑うようにかえって足が土へ埋もれていくような気さえしていたのだとか……。
「あ」と二人の背後で声があがったのは、そのときだ。
振り返ると、そこには逃げ役のひとり。友達と見張り役の鬼がともに動きを止めたこの時を狙い、裏から回り込んできたんだろう。
よほどの猛追と見えて、背後の手が届きそうな位置まで別の鬼が迫っていたし、逃げ役も半ばスライディングタックルでもって、島代わりの輪のふちに滑り込んでいた。
ビニールひもは、そのキック力を受けて、形をゆがませながらもこらえにこらえていたが……ブチリと音を立ててちぎれてしまった。
とたん、友達と鬼の二人は埋まった足を、ひょいと抜くことができたらしい。
驚くべきことに、彼らの足元をまた固いグラウンドが支えていた。うずまっていた穴の姿は影も形もない。
ひもを破った彼はすぐさま捕まったが、ゲーム当初に定めた「島」はもう島ではなくなっていた。
ゆがみ、破けたビニールの端は、川と見立てた領域と存分に交わってしまい、隔てる役目を果たせなくなっているのは明らかだからだ。
せっかく盛り上がっていたところに水を差す形になり、島鬼はそのままお開きになったが、友達としては命拾いした気持ちだった。
もし、あのまま「島」があり続けていたら、もっとひどい目に遭っていたかもしれないからだ。
それ以来、輪っかを使った島鬼はやらずにいた友達だが、のちに島鬼のルーツらしき小話を聞く。
島を囲う水を侵した際に課される罰は、もともとは流水に宿る破邪の重さの再現とのこと。
流れる水を苦手とし、通ることも跳び越すこともかなわない怪異は、古今東西にしばしば見られる。
ゆえに鬼役が落ちればその動きを封じられ、逃げる役が落ちれば邪を招くきっかけを作った咎人として罰する、というわけだ。
島は遊びの都合上、捕虜の囚われる場所であっても、それ以上は鬼からの横暴を受けない、一種の聖域としての役割があったんじゃないかと友達は考えたそうだ。
たとえ同じような島を設けても、実際の流水なくては本当の鬼を呼び込むかもしれない。
あのとき、自分たちを埋めようとした鬼が去ってくれたのは、不意を打ってくれたひも破りに面食らったため。本当の偶然ではなかったのかと、思っているのだとか。