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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

BAR Bloom

『BAR Bloom』


 1980年代、アメリカ。

 都会の雑踏を避けて、一人の男がビルの片隅にひっそりとある地下への降り階段を下りる。

 階段の入り口にある、小さなネオンの看板に気付かなければ誰もこの階段を降りようとはしないだろう。

 レンガ造りの壁と石の階段が中世のヨーロッパをイメージさせる。

 カツッ、カツッと靴音が狭い階段に響く。

 階段を降りきったところで、右手にこれまた趣のある木の扉が男を出迎えてくれた。扉には『Wellcome』と書かれたプラスティックの板が提げられ、足元には赤いマットが敷かれている。

 マットには黄色でかわいい『ほうき』の絵が描かれている。

 『ほうき=Bloom』。扉の向こうにある、店の名前だ。

 仕事に疲れた人、恋に悩む人。ゆっくりと日々の生活を噛み締めたい人。様々な人がこの店にやって来ては何かを見つけたり、逆に何かを捨てたりして帰って行く所。

 重たい鉄の取っ手を回し、ゆっくりと扉を押して開けると、あまり明るくはない店内にジャズの音色が静かに流れていた。

 さして広くない店内はしっとりと趣のある造りになっている。

「いらっしゃい。ああ、マスター。遅刻ですよ~?」

 正面のカウンターの奥でグラスを磨いていた女性がにこやかに迎え入れてくれる。

 いま階段を降りて店に入ってきたのはこの店のマスター・ミヤギ。

「ごめんごめん。コアントローの在庫が少なくなってるのを忘れてて、いまさっき手配してきたんだ。ジェシカの問屋は安く仕入れさせてくれるから、ちょっと遠くても足を運びたくなるんだよ。」

 笑顔で、口髭を揺らしながら女性に答えるミヤギ。

「あ、そのジェシカからさっき電話がありましたよ。コアントローの他にそろそろクレーム・ド・カシスもなくなる頃じゃないかって。確かにもう少ないんで、勝手に頼んじゃいました。」

 ミヤギの笑顔に、こちらも笑顔で答える女性の名はエリー。この店に勤めて二年の、19歳。

 友人の頼みで高校時代からバイトとして雇っているのだが、最近ではすっかりこのバーの看板娘になってしまった。

「そうだった、そうだった。あ~いやいや、どうも最近忘れ物が多くて困るな。」

「そうですね。でも、最近じゃなくて『いつも』でしょ?」

「そうだね~。」

 ミヤギは笑っているエリーに戯けて羽織っていたコートを脱ぐ。

「あ、マスター。今日の『鴨の薫製』はだいぶ良い出来ですよ。ちょっと食べてみてください。」

 カウンターのその奥にあるキッチンから若い男性が皿を片手に飛び出してきた。

 彼の名はコーディ。23歳になる彼はミヤギの元でバーテン修行中だ。

 最近はようやく店でシェイカーを振らせてもらえるようになってきた。

「う~ん・・・・。確かに美味く出来てるけど、まだ少し鴨のクセが抜けきってないな・・・・。」

「ダメ・・・・ですか・・・・。」

「いや。ダメではないけれど、出すお客さんは選んだ方が良いね。ほら、マードックさんなんかはハンティングが趣味だから、鴨のクセが残っている方が逆に喜ぶんだろうけれど、ホプキンス君のような普通の商社マンなんかは、こういうの苦手だろうね。・・・・いいよ、店に出して。黒板に書いておいて、注文されたらお客さんの了承を得てから出せばいい。」

「はぁ・・・・。」

 ミヤギの優しい言葉に、コーディは自信のない声で返事をする。

 それを慰めるようなエリーの笑い声に、ミヤギは笑いながら更衣室へと向かった。


「俺はな、女房のことを本当に愛してるんだ。なのにあいつは・・・・。」

 数人の常連達がやって来てから暫くして、カウンターに座った見知らぬ男性達。いや、正確にはミヤギは知っている。

 この街の警察官達だ。

 少し離れた通りの向こう側を担当している巡査達だった。

 まだあの手の客はコーディには荷が重いのではないかと、エリーがミヤギを呼んでようやく気が付いたのだった。

「だから俺が言っただろう、気を付けろって。確かに結婚当時は羨ましいくらいの仲だったよ、お前達は。」

 同僚の男がぼやく男の肩に手を置いて慰めている。

 どうやら夫婦間の蟠りについて、相談に乗っている様子だった。

「確かに俺達の仕事は地味で、時間も不規則だ。危険な事だって多い。でもそれを理由に警察を辞めろって言われてもどうしようもないじゃないか。他に仕事のアテが有るわけでもないのに。・・・・おい、バーボンだ。」

 一息吐くかのようにグラスの酒を飲み干した男が、コーディに注文をする。

 その声色は少々自棄になっている様子だった。

「余り飲み過ぎるなよ。帰ってから嫁さんにまた言われるぞ?」

「良いんだよ。今日は署の方に泊まるって言ってある。」

「おいおい、それじゃ何の解決にも・・・・。」

「知った事かっ。俺はあいつを幸せにするために仕事に心血を注いでるんだ。女房の我が儘にいつまでも付き合っていられん。」

 そういって男はコーディの出したバーボンのグラスを再びあおった。

「じゃあな。付き合ってくれて、ありがとうよ。俺は先に署に帰る。」

「お、おい・・・・。」

 自分と同僚の勘定を払い、少し頼りない足取りで出て行く男を見送って、同僚は深い溜息を吐いた。

「お連れさん、だいぶ気持ちが荒れていたみたいですね。お一人で大丈夫ですか?」

 余計な口出しをしないのがこの店の決まりなのだが、思い詰めていた表情が気になったコーディが同僚の男に声を掛ける。

「あ、ああ・・・・。あいつ、去年結婚してね。でも最近、どうも嫁さんとの折り合いが悪くなってしまったみたいでさ。原因は聞いてるんだ。彼女が妊娠していて、もうすぐあいつもパパだ。ああ、そうさ。彼女の気持ちも解るんだ。不安なんだよ。俺達は警察官。この街だって、治安がすこぶる良い訳じゃあない。」

 そう言ってカウンターに向き直った男の名はジェフリー。

 同僚の男はマーク。

 共に警察学校からいつも一緒だった親友だという。

「二週間前、俺達の隣の管区で強盗犯を追跡していた巡査が撃たれて殉職しただろ。」

 強盗犯を追いかけていた警察官が撃たれて死んだ話はその時の地方新聞の記事で大きく取り上げられていた。銃で抵抗する三人の強盗犯と撃ち合いの末、犯人のうち二人はその警察官に射殺された。だが残った一人が追い詰めようとした警察官を殺して逃走したままだ。

「一人で強盗犯を追い詰めたまでは良い。でもそこで強引に一人で突入してしまったのが彼の運の尽きだったんだ。応援を待って、それから対処すれば、まだ結果も自ずと違ってきていたはずだ。彼だって死なずにすんだかも知れない・・・・。」

 結果一人の逃走を許し、殉職者が出た。

 本部の対応が悪かったなどと新聞は叩いているが、彼等の話を聞くとそうとも言えないのだろう。新聞はまだこの街に犯人が潜伏している可能性が高いと報道しており、警察の見解も一致しているため、住民は不安な夜を過ごしている。

「記事の出た次の日からだな。彼女の様子がおかしくなり始めたんだよ。無理もないさ。もうすぐ子供が生まれるっていうのに、旦那が危険なところで仕事をしているのかと思えば、その胸中も痛いほど理解できる。それにあいつは良いやつだ。マークは俺にとって兄弟みたいなもんだ。」

 ジェフリーはゆっくりと燻らせていたウィスキーを飲み干して立ち上がる。

 『兄弟のような間柄だからこそ、心配なんだ』と。

 ジェフリーが帰って行く姿を見送ってから、ミヤギとコーディは溜息を吐いていた。

「ちょっと、重たいですね・・・・。」

「まあねぇ、人生には人それぞれの道があるもんだから。まあ、私達にできる事といえばこうして案じてあげる事と、今度また来た時に覚えていてあげて、そしてねぎらってあげることだけだよ。」

「マスターって見た目によらず優しい事言いますよね。」

 ひょっこりと横から顔を出したエリーがそんな事を言う。

「あのねぇ、私だってそれなりにいろいろな事を経験しているんだよ?」

「そうでしたね。元鬼軍曹さま~。」

 ふざけて小馬鹿にするようなエリーの頭に軽く小突きを入れて、ミヤギは苦笑いをした。

「彼等の行く末に幸あれと、私は思いたいねぇ。」

 ミヤギの視線の先にあるドアは何も語ることなく、静かに店の外と店内を隔絶しているだけだった。

 それから数週間、マークとジェフリーは何度も店を訪れた。

 その度に泣いたり、喧嘩をしたり・・・・。

 まるで本当の兄弟を見ているかのように、彼等の絆は深く強いもののようだった。

 彼等を見ていて、ミヤギはジェフリーがマークの妻に嫉妬のような感情を抱いているのかも知れないと感じていた。

 共に危険な仕事をこなす相棒として、ある意味当然なのかも知れないと、軍人として同じ様な生活を送っていたミヤギは心の中で理解していた。

 だがその後、彼等はパッタリと店に現れなくなる。

 原因は新聞の報道で知る事になった。

 店で相棒の事を気に掛けていたジェフリーが殉職したのだ。

「何て事だ・・・・。」

 『英雄!一命を賭して仲間と街の平和を守った警察官』と題された記事を一面に掲載した新聞を放り投げる様にしてミヤギは天井を仰いだ。

「どうしたんですか?」

 ミヤギの様子に心配して近寄ってきたエリーに、ミヤギは新聞の記事を見せた。

「そんな・・・・この人ってこの前まで店に来てた・・・・!」

「そう、ジェフリーさんだね・・・・。」

「ちょっと、ちょっとコーディ!」

 動揺したエリーが奥の厨房にいるコーディの元へと走っていった。


 一月ほどしたある日、再びマークが店にやって来た。

「いらっしゃいませ・・・・あ・・・・マークさん・・・・。お体の方はもうよろしいんですか?」

「ああ・・・・。」

 出迎えたエリーの言葉に薄く反応しただけで、マークは暗く沈んだ表情で何も言わずにカウンターに座っている。

 ミヤギは何も言わずにマークがいつも飲んでいたバーボンをクラスに注いだ。

「ありがとう・・・・。」

 静かな声でマークはグラスを取り一口含むと、ジッとそのグラスを見ながら燻らせている。

 虚ろなその瞳は、まるで幽霊がそこにいるようだった。

「・・・・ジェフリーさんの事は残念でした・・・・。」

「・・・・ああ・・・・。」

 ミヤギの声に一言だけ応えて、マークはバーボンのグラスを一気に煽った。

「もう一杯くれ。」

 差し出されたグラスにミヤギは黙ってバーボンを注いだ。

 そしてミヤギはグラスをもう一つ、ジェフリーが飲んでいたウィスキーを注いでマークの隣にそっと置いた。

「あいつはな・・・・。」

 そのグラスを見て、最初はムッとしかけたマークが静かに語り出す。

「あいつは俺を助けるために死んだんだ・・・・。」

 瞳に浮かんだ涙を拭いながら俯くマーク。

 ジェフリーが死んだのは、いつもと変わらぬパトロール中だった。

 パトカーで巡回中に見かけた交通違反の車を停車させ、免許証の提示を求めようと車に近寄って行ったところを車内から発砲されたのだった。

 だが撃たれたのはジェフリーではない。今ここにいる、マークの方だった。

 幸い、防弾チョッキを制服の中に着込んでいた事と、撃たれた銃の弾が.380口径で威力の弱いものであった事、そしてフロントガラスの向こうからの発砲だった事がマークの命を救ったのだった。

 だがそれでも身体に及ぼされるダメージはかなり大きい。

 倒れ込んだマークに驚いてジェフリーが駆け寄ろうとしたところに相手が車内から出てきた。

 それは以前警察が取り逃がした強盗犯だったのだ。

 強盗犯がマークに留めを刺そうとしたところを、させまいとしたジェフリーが警告をした後に発砲した。

 だがそれは相手を殺さないためにした威嚇射撃。手順に従って行った射撃だった。

 ジェフリーの撃った弾は犯人の乗っていた車に当たり、半ば崩れかけていたフロントガラスを更に砕いた。

 それが犯人の激情に触れ、拳銃がジェフリーに向けられた。

 危険と判断したジェフリーはとっさに犯人を撃つ。

 だがそれは犯人の肩に当たり、同時に発砲していた犯人の弾は、事もあろうにジェフリーの右頸部を撃ち抜いていた。

 飛び散る鮮血。犯人の怒鳴り声。

 朦朧とする意識の中でマークはどうにか自分の拳銃を抜き、今度こそマークに留めを刺そうと見下ろした犯人の頭を下から撃ち抜いた・・・・。

「俺が覚えているのはそこまでさ。気が付いたら病院のベッドの上。泣き出しそうな妻の顔が最初に飛び込んできた。ジェフリーが死んだのも、病院で聞いたのさ。安置所にいたあいつの身体は冷たくて・・・・いくら呼んでも目を開けてくれなかった。当然だよな、死んでしまったのだから・・・・。もうあいつはいない・・・・。」

 マークの話を聞きながら、ミヤギは静かにグラスを用意していた。

 ライ・ウィスキーとドライベルモット、そしてカンパリ・ビターを等量、氷を入れたグラスに一度注いでステア(かき混ぜる)する。そしてそれをカクテルグラスに移す。

「どうぞ。」

「え?いや、頼んでないが・・・・。」

「私も戦争で友人をたくさん失った経験がありますから。これはそんな私からの贈り物です。あなた達、二人のために・・・・。」

 そう言ってミヤギが差し出したのは、赤みのかかった美しく透き通るカクテルだった。

「これは・・・・?」

「『オールド・パル』といいます。」

「ふっ・・・・『懐かしい仲間』・・・・か・・・・。」

「ジェフリーさんの事を、いつまでも忘れないであげてください。」

「言われなくても・・・・忘れないよ・・・・忘れられるもんか・・・・。」

 カクテルを手に取ったマークの瞳に涙が浮かぶ。

「ちくしょう。このカクテル、あいつの血みたいに真っ赤じゃないか・・・・。ああそうさ、俺達はいつでも、いつまでも一緒だ・・・・これからもずっと、見守っていてくれよな、ジェフリー・・・・。」

 そう言ってマークは隣にあるウィスキーグラスに乾杯を捧げる。

「ジェフリーのために・・・・・。」

 透き通るような音が、マークの心にいつまでも響くような余韻を残して消えていった。


 それから暫くして、マークは警察を辞めた。

 だが彼は今でもこの店にやって来る。

 家族を連れて。

 仕事が見つかるまで、いや、その後も家計は苦しいかも知れないが、幸せはあると言って、未来を見据えるマークの瞳は輝いていた。

 ミヤギはそれを見て、ホッと胸を撫で下ろすのだった。

 きっと彼ならば幸せな家族をつくれるだろうと・・・・。


 都会の片隅にある小さなバー。

 そこでは幾つもの人間物語が密かに語られ、そして誰にも知られないままに消えていく。

 だがそれで良いのだ。

 魔法のほうきのように、心の掃除が出来る場所なのだから。

 今日もまた、一つの物語が紡がれるのかも知れない。

 だが誰も知らなくて良い。もしあなたが聞きたければ、ここに来ればよい。

 BAR Bloom はいつでもあなたを歓迎するだろう。

 その時にはぜひ、あなたの話も聞かせて欲しい。


 END

小江戸 てるあき と申します。

BAR Bloom は初めての投稿です。

長編小説を書いていく予定ですが、なにぶん筆が遅いためご容赦ください。

気長に待っていただけると幸いです。

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