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死闘開幕


 国都中央闘技場。

 その鶏闘(ケトル)最高峰の舞台は、フォム・バレン平民区域のもっとも繁華な場所に、広大な土地を占めて君臨していた。各エリアからの交通もよく整えられており、文字どおり、もっと人気のあるレクリエイションの場として、人々の称賛を享受している。


 本日も様々な対戦が組まれていたが、そのなかでも注目を集めたのが、地方からやって来た若き鶏人が、それもⅠ級への昇格に必要な最後の一勝を賭け、中央の格上に挑戦状を叩きつけるというスペシャルマッチだった。

 しかもその舞台裏の話──鶏闘卿ビュホーン男爵傘下との因縁なども、事情通な連中の手腕によってとっくに観客たちの知るところとなって、いよいよその期待は高まっていた。




 かるいウォームアップを終えたザイカは、控え室の椅子の上でゆっくりと溜め息を吐いた。

 前には大きな鏡台があり、机なども備えつけてある。ここで華やかに着飾るための衣装を整えるようだ。あくまでも競技としてあつかわれる中央の鶏闘には、こういうショーアップのための演出は大切ということらしい。

 故郷の虎層でも、一族の誇りを賭けた闘士たちはその身分に恥じぬよう、華やかな闘衣に身を包んで臨む。それを思えば、なりふりなど構わぬ殺しあいの地方鶏闘に比べれば、まだ異国由来の文化に敬意を払っているといえるのかもしれない。



 結局思いきった決断をくだす材料に乏しいまま、この日を迎えてしまった。これはザイカ本人にとっても苦汁をのむ思いだった。

 当初こそうまくいったものだが、中程まできて、まったく行き詰まってしまった。   

 あのセコい泥棒行為の予定をつたえて以来、オルモン側からの接触はない。どうもその日までは、用心深く身を潜めていることにしたらしい。そうなれば、終始見張られている身としては、かりにその気があったとしても、とても事におよぶ機会など得られまい。

 一方のルクレナレからもまた、いっさい音沙汰がなかった。本当にあの老僧を暗殺する気があるのかと疑いたくなるほどだ。

 かくいう自分も、試合の前日まで暗殺の手段を彼に伝えなかったのだが。

 ひとつには情報不足で決断できずにいたこともあったが、なんとかギリギリまでその実行を──たとえ嘘っぱちだとしても──延ばしたいという思いもあった。


 やはり少ない。圧倒的に足りない。情報を探りだすまでの猶予が······そもそも九日という期限では、ついこの間やってきたばかりのよそ者に、ましてや慎重に事を進めねばならぬ立場で、その土地の深い部分にまで埋もれたものを探りだすことなど、どだい無理な話だった。

 せめてあの無道な実験の首謀者がわかれぱ、踏ん切りがついたかもしれないのに。


 いまの自分に必要なのは、とどのつまり正当性なのだ。この身に護るべきものがあるとすれば、まがりなりにもおなじ道で日々を繋いできた闘士たちに、あのような惨い最期をあたえた者を許さない、ということだけだ。ならばそれを貫きたかった。

 もちろん、不本意にまき込まれたこの一件に、あの実験が関係しているという確証もまたなかったが、だが、それでも知りたかった。

 そこさえわかれぱ、自分に迷うことはもうない。

 状況だけをみるなら、ルクレナレはかぎりなく黒にちかい。これまでの口ぶりからするに、完全に無関係ともいえないだろう。

 だが他方で、ザイカはオルモンのことも疑っていた。それは根拠のうすいただの勘にひとしかったが、どうしても無関係のように思えなかった。

 なんといっても、彼の忠実なる甥、アンドレはあの施設の研究者であり、しかもその鋭敏なる本性を職場では隠している。それにオルモンが口にしたあの「恐れ」の伝播への不安······

 色々ひっくるめて考えてみると、あの実験がもし、ただ肉体を弄ぶだけのものではなく、人体が秘めた未知への挑戦だとしたならば、オルモンのいった「恐れ」への解答になるような気がした。


 いずれにせよ、決心できずに日を費やしてしまったことには変わりない。ザイカは苦悩の末、ついに決断をした。


 オルモンたちを信じよう。

 ただし、男爵の手の内をとびだす瞬間から自分の生命が保証されるまで、つねにオルモンのそばにはりついて、片時も離れない。いってみれば彼を人質に、なんとしてでも約束を守らせてやるのだ。

 ただそのためには、オルモンに閉じ籠られたままでは、じつに都合がわるい。




 自身の計画実行までは身を潜めたオルモンだったが、彼をひきずり出す手がないではなかった。

 ただ、それにはどうしても今日、試合の当日を迎えることが必要で、しかもルクレナレの協力が不可欠だった。


 鶏闘のフィナーレ、すなわち勝者と敗者が分かたれた後、必ずおこなう儀式のようなものがある。

 それは勝者への祝福。

 そして、かの者のおかした罪を(ゆる)(たま)うことを祈るもので、その任には当然、聖職者があたることになる。

 野蛮なアザスミルでさえ、その儀式をおろそかにすることはなかった。あの街の場合は、下町の貧乏教会の老牧師なぞが任されていたが、とうぜん徳のたかい僧につとめてもらえるほど、その試合にも箔がつくものだ。


 その任になんとか彼を駆り出せないだろうか。


 ザイカがそう提案すると、ルクレナレはニヤリとし、面白い、とひとこと言った。この方法なら確実にオルモンと間近で対面できる。

 ただしその前提として、まずザイカが試合に勝たなければならない。しかも事後、大勢の人間のうちに困難な逃走を試みなければならない。彼にとってはまことに大きな危険をともなうものだった。

 自分になつきさえすれば保護すると男爵はいったが、けっして保証があるわけではない。しかも犯人であるザイカの顔も正体もつつ抜けになってしまうのだから、さらにその危険は増す。

 だがザイカは、自分を会場から逃がすといったところまでは、すこしは信を置いてもよいとは考えていた。その段階までは彼にとってなんの損もないばかりか、むしろ犯人(ザイカ)とのつながりを隠ぺいできるという長所がある。

 もしザイカが試合に負けても、対戦相手の鶏人も彼の傘下の人間であり、おなじ命令を含ませておけばそれですむわけだ。また、何人かを潜ませ、自分が混乱する人波のなかへまぎれるのを手助けすることも容易だろう。

 あとはその助っ人が、暗殺者の暗殺者へと化けぬよう警戒しさえすればよい。


 どちらにせよ、まずは試合に勝たなければな···


 ザイカは深呼吸して気持ちを切り替えた。こうなったからには、男爵もこの試合に余計な奸計をはさむことはないだろう。すくなくとも正々堂々、真向勝負でのぞめるはずだ。

 もれ聞こえる会場の声援がよりいっそうおおきくなった。出番がきたことを実況の声が熱く告げている。




 まったくどうしたことだ。オルモンは当惑していた。

 いまは一時でも屋外へ身をさらしたくはない。どこで狙われるかもわからないからだ。だのに、まさかこんな些事(さじ)でひっぱり出されるとは。

 せっかく信用のきく護衛まで雇ったというのに。

 本来ならにべもなく断ってよいものだし、また彼にはその権限もある。だがそう出来ない理由もあった。


 それは慌ただしくも昨日の午後のことだ。オルモンは急な訪問を受けた。

 そのお相手は(おそ)れおおくも、カドヴァリス王家、皇位継承権第三位のベルモンティティス公爵である。

 聡明であり、伯父である今上陛下の信頼も厚い人物で、目下、オルモンがルクレナレ排斥を働きかけている皇太子妃の実弟にあたる。

 その午後のひとときの席で、本日の天覧試合への同道が決まったのだった。

 公爵も鶏闘には関心があり、たまたま明日の午後は時間が空いたので、ぜひ試合を観たいといい、そうだ、どうせなら君もこないかと誘われた。

 とうぜん、ご冗談を、かりにも聖職者の私が血生臭い闘いに見入ることなどできませんと断った。だが、そうではない、祝福を授けにいくのだ、天覧試合にくわえて貴方のような方がその任をつとめたとあれば民も喜ぶだろうといわれては、無下にするわけにもいかぬ。

 彼もしぶしぶ同道をきめた。


 賓客専用のテラス席に案内されたオルモンは、公爵の隣に腰をおろした。

 まあいい。ここには護衛をつれてはいることは出来ないが、逆にもっとも安全ともいえる。ルクレナレとても、さすがにベルモンティティス公の座すところで蛮行に及ぼうなどとは考えぬだろう。





 大歓声が栄誉ある闘いの場にたったふたりの男はつつむ。

 だだっ広い闘場の上は、いかなる不正も見逃さないといった意思の表れのように、天からの灯火で隅々まで照らし出され、勇者と観客をへだてるのは六つの柱。その間には銀に煌めく金網がはしる。

 舞台へと続く華道を、おおくの見物人に祝福され、あるいは罵倒されながら、ザイカは戦備えの舞いをみせながら進んだ。


 リングの下までくると、ひと息にすえられた階段を駆け上がり、そこで高々と右の拳を突きあげた。

 まるで地鳴りのような、もはやよく聴きとれもしない音の波が、ふたたび会場に渦を巻くようにこだました。

 中央のリングでは、闘者がいかなる階級にあろうとも命までは獲られない。自分にとってはお馴染みの鉄の蹴爪ではなく、革製のグローブのみをつけているので、今日は体が軽い。

 ほかに身に着けるものといえば、膝丈ほどまでのズボンと、足首に巻いた鮮やかな色の飾り紐に、お守りの意味もこめて手首に巻いた羽根つきの編み紐とグローブのみだ。


 もっとも、命までは獲られない、というルールはあくまでも大原則にすぎない。

 べつに不粋な鉄爪などなくとも中央の鶏人は強いい。ザイカも何人かと模擬試合をしてみて、それを痛感した。

 彼らなら、殴打と絞め技のみでも充分に人を死に至らしめることができる。なにゆえこんな手練れが揃いも揃って軍に入らず、娯楽の闘いのみに消費されているのかわからないほどだった。


 とうぜん彼らも職業的に暗黙のルールを守っており、対戦相手の身体を気遣う戦いをする。

 するのだが、その本性は闘士であることに変わりはなく、いちど火がつけば、あるいは実力が拮抗していれば、つい配慮を忘れてしまうことはあった。この娯楽が競いあいである以上、結果的に治癒不可能な重症を負ったり、命を失う危険は常にあるのだ。


 ザイカにつづいて、彼を迎え撃つ中央方の鶏人が、ひときわ大きな声援をうけて闘場にあらわれた。


 ケヴァン・ドミトリル。

 直接向き合うのは、あの呑みの夜以来だ。理屈では、男爵に司教暗殺を含まされた──いってみれば同志ということになる。


 だが、今宵の彼はそんな様子を微塵も感じさせることはない。まさに本能のまま、蹴爪鋭く磨きあげた猛禽(もうきん)のごとく、こちらを睨みつけてくる。その気配に、ザイカ自身も我知らず血を(たかぶ)らせていた。


 こいつは本気でくる。


 その大任を果たすのは自分だという忠誠心か。あるいは中央鶏人としてのプライドがそうさせるのか。

 鉄の檻のなか、対角側の椅子に座り、トレーナーからの最終チェックをうけている男は、こちらに勝たせて汚れ仕事を押しつけようなどとは毛ほども思っちゃいない。そうこなくては!



 すぺての準備を終え、いつも通り両陣営のトレーナーと助手、そして審判までが鉄檻の外へでると、重々しい音をたてて扉は閉じられた。この瞬間だけは、どれだけ盛り上がっている会場であっても、その運命の音を聞き逃すまいとするかのように静まり返るのだ。

 つぎにその音が響くときは、どちらかがリングの上に血だらけで転がっている。



お読みくださって、まことにありかとうございました。

やっと決闘シーンにはいります。

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