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探索


 悪夢のような夜が明けた。それはまた、あらたな狂気のはじまりを意味するものではあったが、とりあえず命をつなげていることに感謝せねばなるまい。

 はまり込んでしまった泥沼はふかくザイカを捕えて離さない。だが、それでも生きてさえいれば、気運とてつねに有利な側に傾くとは限らない。かならずその束縛を引きちぎって、自由をとり戻したこの足で家族のもとに帰ってやるのだと、彼はみずからを掻きたてた。


 本部のことはアンドレが上手くやったらしい。例の通路の鍵はすべて、何事もなかったかのように閉じ直されていたし、その件について施設内に噂が満ちることもなかった。

 ザイカの無断外出については、ビュホーン男爵よりの招待にしたがったという事実が認められ、きつく注意は受けたけれども、ことさらに咎めはうけなかった。男爵の鶏闘(ケトル)道楽と強引さは都内でも有名らしく、ならば仕方がないと本部長までが嘆息とともにうけ入れるしかなかったようだ。


 だがうかうかとしてもいられない。オルモンを暗殺するために区切られた、九日後の試合までにという期限の制約が控えている。その点、ルクレナレが曖昧にするとは考えにくかったし、彼にしてみればとりあえずの手としてザイカを試用してみるにすぎない。駄目なら始末してつぎの手を打てばよいわけである。期限を過ぎようが、任務に失敗しようが、行き着く結末は同じということだ。

 手段については特に指定がなかったが、それだけはザイカにとって明るい材料といえた。こちらの裁量で事を進めることが出来るのなら、怪しまれずに時間を稼ぐことも、こちらに有利なタイミングを設定することも可能だ。

 なんといっても、自分には、当のオルモンたちと気脈を通じており、しかもそれが男爵側に露見していないという切り札がある。自分が、こうすれば確実に老僧の首が獲れるぞと進言すれば、ルクレナレもすこしは聞く耳をもつだろう。

 ただ、そのもういっぽうでオルモン側から示された、入手すべき情報というのが曲者だった。






「我々が手に入れて欲しい情報は、男爵の部下が、次はいつ『水汲み』に行くか、です」


 組手稽古を終え、汗だくで椅子に腰を降ろすザイカをまえに、さも助言をするかのような体でアンドレはいった。


「水汲み······とは? あの、飲む水のことか」


「もちろんただの水汲みではありませんよ。特別な目的に使用するための、特別なものです」


 どうにもピンとこない。水なんてもともと特別なもので、俺の国では一滴たりと無駄にはせぬよう教わったものだ。

 もっとも、この国ではそうでもないようで、辺境のアザスミルでさえ、金持ちの家には水が溢れるほどある。まして国都たるこの街の周囲には年中雪が残っているところもあるし、それが溶けだした水源もあちこちにあるのだ。だがそんな環境なら、どこで汲もうとそんなものに違いなどあるまい。


「そんな情報がなにになるっていうんだ」

「──気になりますか?」


どこか勝ち誇るような、余裕たっぷりの笑みを見上げて、フンとだけ答えてみせた。悪い冗談だ。


「そもそもなぜ俺なんかに頼る。あの男爵は叩けばいくらだって埃がでる人間だろう」


「──にもかかわらず、ああしてのうのうとしている。それは彼が、カドヴァリスの王家に列なる者であり、かつ王家にたいして多大な貢献をなしてきたからです。おもに資金的な方面でね。だから見逃されてきた」


「······成程ね」


 オルモン達もまた、ルクレナレを目の敵にしていて、その失脚を狙っていることはたしかだった。だとするならとうぜん、彼らの欲する『水汲み』とやらの情報は、確実に男爵の息の根をとめるだけの効力のあるもの──それも、金の流れに関することかもしれない。あのルクレナレがもっとも頼むところとする金を生む術のどこかに、もし王家の信頼をも失墜させてしまうような不義があったとしたら、それは男爵にとって命とりにもなりえるのだ。




 翌々日。ザイカは休憩時間をつかって、(くだん)の場所へとやってきた。どうしても先に、その『水汲み』とやらの行為自体の情報がほしかったからだ。

 アンドレがご大層に含みをもたせるようなことをいったのは、おそらくそれを知ることそのものが、彼らの狙いを明かすことになるからではないか。そう考えた。


 もっとも、俺がそれを自力で調べるだろうことは、あちらも想定済みだろう。直接伝えなかったのは、すこしでも情報漏えいのリスクを減らそうとしたためか······どちらにしても、都の人間は回りくどいのが好みらしい。


 その「水汲み」の場所は、思いがけなくも、意外な人物の言によって、簡単にわれた。




 時は昨日の夕刻にさかのぼる。

 鶏人同士の会合、というものがあった。トレーニング後、みなうちそろって街にくり出した。ほんの瞬く間とはいえ、新入りにはちがいないザイカも強引にかりだされた。

 騒ぎの輪からはずれて、ひとりカウンター席で頭を冷やしていると、ふいに後ろから声がかかった。


「よぉ新入り、もうお開きかよ? 案外だらしないな」


 振り向いてみると、中背の、あかるい茶の短髪をした男がたっていた。


 コイツは確か······


 そう、間違いない。我が忌まわしき一戦の対戦相手ではないか。名はケヴァンだったか。アンドレにそうだといわれて、遠巻きながら観察ずみだ。社交的だが自信家、そんな印象だった。


「なんだよ、酒じゃないのか」


ケヴァンは無造作にザイカのグラスのなかをのぞきこんでいった。


「ずいぶんと生真面目な奴だぜ」


 ザイカは鼻からフーッと息をついた。


「まったくここには驚かされてばかりだ。いつもこうなのか」

「なにがだ」後ろをとおった美人に調子よく愛想をしながらライバルは応える。「トレーナーどもに無断で、そろって酒をくらってることか? それとも試合前に対戦相手とクチをきいてることか?」


「両方だ」


いってザイカは、グラスのなかの果実ジュースを口に含んだ。

 ハッハッハと、ケヴァンは愉快な笑い声をあげた。


「ホント、堅っ苦しいんだな。こっちじゃ、そういうのは流行らねえんだよ。おなじ相手と何十戦と闘るんだぜ? ま、もっとも···」


不敵な光を宿した視線がこちらをとらえた。


「おたくはそうもいかないんだろうけどよ」


まったく負けるなどとは思っていない口ぶりだった。やはりそうとうな自信家のようだ。

 ザイカはフッと、見えないように笑んだ。いろいろがんじがらめになっている自分とはちがう彼が、ずいぶん無邪気におもえたからだ。


「迷惑ついでにもうひとつだけ教えてくれ」


グラスのなかの氷をカラリと鳴らして、もう一口をふくんでからザイカはたずねた。


「この街の水について知りたい。

 たとえば、ここで出している水と、王族がのんでいる水は、おなじもんなのか?」


「あぁん?」


 ケヴァンは、急になにをいいだすんだコイツは、といった顔でこっちをみたが、律儀にも答えてはくれる。


「そりゃ、貴族が飲んでる水も、俺らが飲んでいる水も、この国都に限っていや、違いなんぞあるかよ。なにせ年中雪があるんだぜ? 

 ······ま、もっとやんごとない方々は、より上流のほうをお使いなされる。違いがあるとしたらそこか。

 王家が管理している神域の滝というものがある。

 すげぇ純度のたかい軟水で、もっぱら最上級の薬を調合するさいに用いられているらしいぜ。そういう意味では、この国の基になっている水源さ」


「へえ···」

さも素知らぬ顔で、ザイカは相槌をうった。




 そんな感じで得た情報を頼りにこうしてやってきたわけだが。

 ──教えてられた場所は、なんと観光地化までされていた。

 無論、立ち入ることなどはできないし、おおくの警備兵がぐるりめぐらされた柵の前で常に目を光らせている。観光客は柵と兵士越しに、その遠景を拝めるのみである。

 だか景勝地としてみるならば、そのほうが正解といえるだろう。

 真っ青な天と、純白の雪景のなかを流れ落ちる滝はそれだけで見事なものだった。そこからごくごく細かな粒となって舞いとぶ水は空気に融け、混じり、周辺の大気をよりいっそう清澄なものとしてこちらへ届けてくる。

 口々にその素晴らしさを讃えあう貴族たちのさらに後ろから、ザイカもしばらくその姿に見とれていた。





 あの滝が重要な場所だというのは解った。

 それは聖域という、神格化された場という意味だけではなく、特別な性質をもつ水への実用的な理由であるというのも理解した。この、王家の直接管理をうける水域に男爵を惹きつける利益があり、そのために、どうにかして秘密裏に水を失敬しているということか。


「いったいそれはなにか······」


 わからない。ただ、それはこのさい些末な問題にすぎないなかもしれない。

 ビュホーン男爵は、たしかに王家の血統につらなる者だとされているが、そのわりには冷遇されているようにも感じる。

 アザスミルのような(へき)地に──しかも有事のさいは最前線にもなろう地に所領をかまえ、中央の政治からは一線を隔しており、鶏闘(ケトル)狂と揶揄されるくらい競技にのめり込んでいる遊び人だ。


 そもそも男爵とは、貴族としてはもっとも下の地位はずで、そう考えると、とおい親戚程度の繋がりしかないのかもしれぬ。

 そんな男がまめまめしく王家に献金してその台所を潤しているとは、これはもう、なんとしてでも表舞台へ、という野心は明らかである。

 だがいっぽうで、ルクレナレは噂こそたつものの、絶対に悪事の尻尾をださないことでも有名だ。それはたんにお上のお気に入りというだけではなく、やはり本人の明敏さと用心深さの表れだろう。そんな男がうかうかと、泣きどころを掴まれるとは考えにくい。

 やはり、おそらくは大した理由ではないのかもしれず、それをオルモン派がおおげさに取り上げようとしているだけなのかもしれない。

 たとえばこの水を、もし王家の人々が常日頃飲み水として用いていたとしたら、陳腐な手段だが、毒でも流し込んだということにすれば、案外簡単に事はすむだろう。


 残念ながら、どうひいき目にみても男爵のほうが優位にたっているようだ。ルクレナレは戯れのように、準備した者のかわりに余所者の俺を試用する。かたやオルモン達のほうは、なんとか男爵の急所を突こうと、性急ともとれる手段を欲している。



「······まあ、どちらでもいいさ」


 ザイカは、黙々と走らせていた思考をうちきって、おおきく新鮮な空気を吸い込んだ。故郷の乾いたような、草の匂いのまじった空気とは違うが、ここのものもそう悪くはない。


「権力争いなぞ勝手にやってくれ。俺は生きてここから出る。それだけだ」



 それからの数日。ザイカは、おそらくは己の人生で初めてといえるほど頭を巡らせた。

 いかにすればこの窮地から脱せられるのか。

 ルクレナレとオルモン、どちらにつく方がよいのか。仮にオルモンたちにつくとしても、例の情報を彼らに渡すだけでは心許ない。すぐには結果など得られないだろうし、たったそれだけの仕事で庇護を確約されるものだろうか。

 もし男爵にばれれば、上首尾に事が進んだとしても俺は命を狙われる。いきなり人を呼びつけて暗殺を命じる男のことだ。彼の鳥籠ともいえるこの国都のなかで、それをかいくぐり続けるのは不可能だ。

 ルクレナレを完全に追い込むには、やはり奴の信用を得る必要がある。オルモン達に情報をもたらすだけでは駄目だ。


 もっと効果的な手柄をたてなければ。


 ザイカはいまだ態度をはっきりさせることなく、ルクレナレとオルモン、双方についての調べを平行して進めた。


 リスキーだが、いよいよ追いつめられた時のための手段なら、まだある。まだだ、あともう少しだけでも······



お読みくださり、ありがとうございました。


ほぼ出来上がりましたので、投稿ペースを毎火曜に変更させていただきます。


また今回はすこし短かったので、今週金曜日に、つづきを更新いたします。

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