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取引


 もう夜もだいぶ更けた。空にはやや雲がおおい。

 ふだんなら赤から青、金に緑、白といった、まるで色つきの砂粒のような星々が濃紺一面に散りばめたように瞬いているものだが、今夜はそれもない。

 おかげで空気は少々蒸しているし、どこか息苦しい。風もそよぐ程度で、湧く雲をなかなか追い立ててはくれなかった。


「どうぞ」

 差し出されたグラスを、ザイカは無言でうけとった。中身はティーのようだが、ほのかに柑橘系の香りがした。温度はぬるめでちょうどよい塩梅(あんばい)だ。


 夜間に騒がせたとつぜんの訪問にも嫌な顔をみせず、黙々と主の指示をこなし去っていくメイドの背を見送ると、ザイカはあらためて周囲を見渡した。



 この都に来ることが決まって以来、何度おなじ思いをしたか。また、場違いな場所にきてしまった、と。

 通されたのは、あるささやかな──貴族的表現を借りるならば──建物の二階だった。

 どう贔屓目(ひいきめ)にみても、あの嫌味な男爵の大邸宅とは比べるべくもない。おなじような建物が壁のようにずらりと並ぶなかの一棟で、一見すると縦にひょろ長い印象だ。それでも自分がアザスミルで住まうようなタコ部屋よりも三倍はひろい。しかも居心地がすこしでも良くなるようにと、こまかく手が尽くされていた。


 絨毯は真紅の色合いふかく柔らかで、あちらに飴色の食器棚があるかと思えば、こちらにはいかにも座り心地の良さそうなひとり掛けのソファがあり、窓際の調えられた書き物机のうえに光るのは、高山のみに咲くという花の房を見事にかたどった笠に、流麗な曲線で草の弦を模す、金柄のランプだ。寝つかれぬ夏の宵に似合いそうな、ほんのりとした光を灯している。



「落ち着きましたか?」


 背後から声がかけられた。彼が椅子からたち上がり、あらためて礼をいうと、チュニックにズボンといった、普段よりはずっと楽な恰好をしたアンドレがニコリと笑った。


 つい先刻、進退窮まってヤケ気味になっていたザイカを見つけ、ここに誘ったのは、じつに意外なことにこのアンドレであった。

 こちらとしては完全に彼の眼をだし抜いてやったつもりだったし、なによりあれほど重大な規律違反をした自分を、あの施設の職員である彼がこうして(かくま)うように連れ出すなど、どう考えてもあり得ないことなのだ。


 どういうつもりなのかはわからない。だが、今はありがたい···


「···まさかこんないい家をもっていたとはな」

「でしょう? 僕も将来は、こんな生活をしたいもんです」


 ───。


 ふたりは互いの腹をさぐりあうように黙りこんだ。

 半日ぶりの再会をしてまず感じたのは、施設で相対していた彼とは、ほとんど別人のように印象がちがうということだった。

 ザイカにとって、彼は新人のひよっこ研究員で頭でっかちの、押しの弱い男にすぎなかった。それが外では、まるでなにかから解き放たれたかのように、その才知に見合うだけの胆力をそなえ持った男へと変じている。


 この部屋の主は彼ではない、ということか······。


 いったい何者が自分をここへ呼んだのか? その目的は? しかし、目の前にある光景からそれを探ってみたところで、しょせん測りようのないことだった。 

 ザイカにわかったのは、勿体をつけるアンドレの様子から、彼をつかう何者かがこの場所へやってくるのであろうということくらいだ。彼は腹をくくり、その時を待つことにした。



 実際にはそう待つこともなかった。ほどなくして呼び鈴が鳴らされ、メイドが階下へと降りていく気配かした。

 やがて開け放されたドア口に、ひとりの男がたった。ザイカは思わず腰を浮かせて見入った。



「今晩は。我が(いこ)い家へようこそ」



 少々太めの身体に、季節がら薄目な生地の長丈ローブを着け、頭には、ちいさな帽子をかぶった白髪の老爺がたっていた。

 だが驚愕すべきは、その僧侶然とした恰好ではない。

 重要なのはその顔────ルクレナレが殺せといってきたあの坊さんではないか!

 たしか相当な地位にある人を前に、礼を失せぬように、というよりは驚いてつい、といった具合に、ザイカは立ち上がったまま、その老僧をみつめ続けた。


 僧とはいったが、まったくの剃髪ではなく、白髪の坊主頭で、てっぺんこそよる年波にまけて薄くはなっているが、まだしっかりと残っているほうだ。反対に、髭は綺麗に剃られていてまったく見られない。

 その顔立ちは、立ち姿全体からくる厳めしさとはちがってどこか繊細で、頬のあたりもひきしまり気品が感じられる。


「自己紹介は必要かな? 私はオルモン・ゴエス・ヴローエ。ミロス神教の僧侶だ」


 そこまでいわせてザイカはようやく気を取り戻した。ただちにひざまづくと、差し出されたその右手の甲にキスをした。


「ザイカ・ヤピトーと申します。こたびは匿っていただき御礼申しあげます。

 ······しかし何故私のような、血に汚れた者を、貴方のような方がお助け下されたのですか?」



 オルモンはホッホと人の善さそうな笑いをみせ、アンドレにつき添われながら、いつもの場所とみえる安楽椅子に腰を降ろした。


「まあ、そう焦りなさんな。せっかちになるのはわかるが、ひと息つこうではないか」


 その言葉をきいたアンドレが控えていたメイドに何事かいいつけると、しばらくして、かわりの果実茶とかるい食事が運ばれてきた。


「よかったらおあがりなされ。夜中に緊張して腹も減ったろう。私もお茶をいただくとしよう」


 ザイカは失礼して夜食にありついた。オルモンのいうとおり、腹が減っていた。ただ、心持ちからすれば、とても食い気など起こりようもない。


 だが、こんな時こそ食わねば。


 戦士としての経験で、彼にはそのことがよくわかっていた。オルモンもとくになにか話すでもなく、アンドレの給仕をうけながら、しずかに果実茶で喉を潤していた。




「さてと」


 客人が落ち着いてきた頃を見計らって、オルモンはおもむろに口をひらいた。


「知ってのとおり、私は聖ミロウスの使徒として、神に仕えておる。このアンドレにとっては伯父ということになるがな。甥は神学の道を蹴って医術の道になぞとび込んだ不信心者だが、色々と外界のことを注進してくれとる。

 そんななか、キミという珍しい鶏人(ケチャ)の話を聞いての」


「俺の······」


 アンドレにむける視線が険しくなるのも仕方があるまい。自覚はしているらしく、彼も申し訳ない、といった具合に笑み、肩をすくめてみせた。


「外国からきた面白い鶏人がいる、とだけ」

「そとから来た、そこがまさに重要なのだ」


オルモンは物憂げに窓からの夜景を見下ろした。


「キミにはこの都がどう映っているのだろうな」


「どう······とは」


 綺麗な都だ。最初にもったのはそんな印象だった。そして落ち着いているとも。だが、自分が一国の首都にかかえる幻影とはすこし違うな、とも思った。

 自分にとっての都とは、にぎわいと整然さが、善きものと悪しきものが混在している、ある意味その国でもっとも安定していない場所だ。

 とはいえ、しょせんそれは狭い自身の世間観でしかない。世界にはそうでない国もあるのだろう。それくらいに考えていた。

 だが問われて思いなおしてみると、たしかに不自然な部分はあった。

 まるでそれが全体の意思でもあるかのように、なんというか、やたらと神経質な部分がある。例えるなら、まっとうな都民なら、道に紙屑ひとつ落ちていることも許さないはずだ、というような。

 そんな気風は、そのまま街並みにも表れていた。

 家屋はすべて白。まるで汚れを疎んじ、それを見つけやすいように意識的にそうしているような。もっといってしまえば、汚れを恐れているような、そんな感じさえうけた。

 他国の貴族が好んで飼うような狩猟犬や、裏路地につきものの猫といった獣の姿はみかけたこともなく、唯一街に出入り自由であろう鳥たちでさえ、まるでこの街に降りても得るところなどないといっているかのように忌避していた。

 街路樹のような植物はまだ存在を許されていたが、どちらをむいても決まりきったようにおなじような種類の樹ばかりで、個々の彩りを謳歌するものといえば、軒先の鉢にゆれる高山花くらいだ。

 オルモンはふかく嘆息してうなずいた。


「そう、まさにそこだ。この都はいま、病んでおるのだ」


 病んでいる? 医術とかいう、人間の健康をまもる術で名高いこの国の首都が? だとしたらずいぶんと皮肉な話だ。


「怖れ──という気の病にな」


「怖れ──ですか?」


 オルモンは問いには答えずにじっとザイカをみつめた。


「キミならどうする? こうすれば確実に長生きできるという方法が一方にあり、従いさえすれば長命が約束される······そんな道が示されれば、人間、それに(すが)りつきたいと思うのは無理のないことだ。

 たとえそれが、神の定めたもうた理を歪めるとしても」


 それはわかる話だ。自分とて、もしそんな選択が許されるのなら、まずいちばんに母の病を取り去ってやりたいと思う。だが······


「──ひと試合に命を賭けさせられる君たち鶏人からすれば、まったく贅沢な話に聞こえるのかな?」


愚痴めいた物言いだったと気づいたか、オルモンは自嘲気味に笑う。


「そとから来た者の目には、この街はさぞ美しくみえるのやもしれぬ。

 だがそれは、すべて人の手による美。よそから()るものを拒み、管理できぬものをとり払って成り立っている。

 そんなものはいつまでも続かない。必ずどこかに歪みを生み、やがてそれは疑心暗鬼という、より難病となってこの街を滅ぼすだろう」


 視界の端でアンドレが哀しそうにうなだれた。ついさっき見てきた、あわれな同輩の末路が生々しく脳裏をよぎる。


「もちろん、そこで終わる、などということもあるまいな······」


 なるほど。この坊さんには、そこまでも見えているのか。


 ザイカには、彼の胸中が容易に想像できた。

 自分ももとは国の司族の末席にいた身。国ごとに多少の違いはあるだろうが、王侯貴族はたいがい国の要所を念頭に、各地へと分封されてあるものだ。そうやって、王族全体の権力維持の一翼をになう。

 そんななか、医術がその王族や一部の貴族、大商人のみにその恩恵の甘受を許すというのなら、そういった考えが地方の有力都市へも、おなじように蔓延することはさもありなんだ。

 彼の言うとおりになれば、この国はいずれ潰える。他国へ併呑されるか内紛で自滅するかの違いだけだ。


 まさに病そのものだ。それも根が深い。なにせ国の成り立ちにまで食い込んでいるのだ。

 カドヴァリスは積極的に国外へ医師を派遣し、各国の重鎮たちの命を握ることで国を大きくしてきた。

 そのくせ自国の民にはおなじ善行を施そうとはしない。外には開放的で、内には閉鎖的。そんな矛盾は、そのまま一部の特権貴族たちの抱える恐れの(あらわ)れといえよう。

 国という患者を治すべき地位の者たちが、みずから病にかかっていることを自覚できない。滑稽(こっけい)をとおり越して哀れだな。どのみち迷惑するのは国民ってわけか······



「そんなこの国の根幹を、我々は変えようとしている」



 憂慮のあまり黙りこんでしまったオルモンにかわり、アンドレが眼鏡を押し上げながらいった。


「待て」ザイカは慌ててそれを制した。

「それ以上は聴く気はない。余計な後悔をするのはもう御免だ」


 この手の話は、ただ知りすぎることを許されない。いまだはまりこんだ暗闇を抜ける糸口さえ見い出だせずにいるのに、これ以上なにかに絡めとられるなんてお断りだ。

 アンドレは出鼻を挫かれたせいか、すこし残念そうな顔をしてまた肩をすくめた。


「仕方ないですね。わかりました。だったら、ちょっとした取引をしませんか」


「取引だと」


「御覧のとおり、我々は貴方を害するものではない。望むなら庇護することすらできる。その代わりに、支払って貰えるものを戴けさえすればね」


「······なにをしろと言うんだ」

「マウリジュ・ロイマール・ルクレナレ」


 オルモンがボソリと呟いた。


「我々は、奴のもっているある情報が欲しい」


 ザイカは戦慄をおぼえた。

 同時に感じた。これはまずい、とも。

 国を変えようなどと大それたことを考える連中と、その盟主を殺してこいと平然といってのける悪党。それも、身分としても国の教会で五本の指には入ろうかという大物と、真の貴族たる男爵。

 はるかにうえの存在だ。その両者がなんらかの理由で対立し、とるにもたらぬ我が身が、その板ばさみに陥っているとは。


「······もし従わぬといったら?」


「べつにどうも。ここには我々しか──我々とあのメイドしかいない。仮にその気があっても、貴方に敵うはずもない。すんなりとお帰りいただいて結構ですよ。

 私も伯父上を馬車にお乗せしたら、宿舎に帰って寝ることにします。すんなりとね。

 ただその場合、貴方の部屋はもぬけの殻のままですし、例の部屋への鍵もすべて解錠したまま朝を迎えることになるでしょうね」


 ────


 とうぜん気づいてはいた。だがあの状況でちまちまと施錠しなおす余裕など、自分にありはしなかった。どうしようもなかったことだ。



 ザイカはゆっくりと立ち上がった。そして緊張しているアンドレを睨み、ついでオルモンの厳格な表情をとっくりと眺めてから、口を開いた。


「どのみち、俺には言い訳をねじ込んでくれるものが必要だ。もういちどルクレナレに会うことを許してもらいたい。話はその後だ」




 その場を辞し、ふたたび夜の街へとでたザイカは、ふうっと溜め息をついた。あんなに圧迫感のある空気をすうくらいなら、まだ我が身の頼りなさを突きつけてくるこの夜風にあたっている方がいくらかマシな気がする。おまけにこれから足を向ける場所ときたら。それを思うだけで気が滅入った。



「ごめんなさい、いいかな」


 出し抜けにこころよい声がした。顔をあげると、道にみっつの人影がたっていた。

 はじめに目に入ったのは、ひと癖ありそうな男女だった。手前の女は懐かしい、我が故郷の意匠をどことなく匂わす服をまとっている。もうひとりの男は腰に妙なバランスの剣をさげ、騎士然としたたたずまいだ。

 だが声の主はこのふたりではなかった。

 すこし目線をさげてみると、あきらかに子供とわかる体格をした少女がいた。後ろのふたりとは違い、こんな夏の夜ふけにもかかわらず、黒いマントで身体をおおっている。かぶったフードをとると、その少女は、可愛らしい様子で小首をかしげる。

 その視線にふりかえりみて、ザイカはやっと、自分が彼女らの進路をふさいでいたことに気づいた。


「失礼」


そういって道をあけると、三人は揃って、ザイカがいま出てきた建物の入り口へと向かっていく。


 ······あのまま進むと、オルモンたちがまだいるであろう隠れ家につく。まさかあの三人も、彼らに用があるのだろう。

 ふとそんなことを考えながら踵をかえすと、背後からまたよびとめられた。


「お兄さん、ひょっとしてケシュカガの人?」


いきなりの質問にどきりとして振り向くと、黒マントの少女が、街の街灯にきらりと眼を輝かせてこちらをみていた。


「は?」

「ごめんごめん。ウチにいる娘と様子が似てたもんだから、つい。その腕の刺青(いれずみ)みて、そうなんじゃないかなぁって。なかなかケシュカガの人とこんな外国であうことないからさ」

「······」

「隊長、そろそろ」


後ろで控えていた男のほうが、身を屈めるようにして、少女に耳打ちする。うん、わかってると返し、少女は振り返った。


「ほんと御免ね。ちょっとした好奇心からなの。じゃ、さようなら」


 ···なんだというんだ、まったく。





 夜更けに、数時刻前にも通された「客間」にふたたび足を踏みいれたザイカを、意外なことにも、不快感もみせずにルクレナレは迎えた。むしろ興がっている風さえある。


「···成程、アレを見たのか。思っていたよりもずっと面白い奴だな、貴様は。さらには大胆にも俺のところへ来て、その犯罪をもみ消せという気か。ますます愉快だ」


 ソファに腰かけ、豪奢(ごうしゃ)なビロードのガウンに身を包んだ男爵を前に、ザイカは立ったまま深々と辞儀をした。


「······おそれ入ります。閣下は私の申したいことをすべてご承知です。なにとぞ私めをお救いください」


ルクレナレはジッと、面を伏せるザイカの表情を見透かすように注視する。


「国家的犯罪をひとつもみ消す──これは大変なことだ。ひとつの罪にひとつの救済。これは解るな?

それを望むということは、俺の命令を素直にきくと解釈するが?」


 ザイカはしばし黙りこんだ後、ゆっくりと身体を沈ませた。背後にいた男爵の護衛が身構えるのをルクレナレが制するなか、ザイカは絨毯に膝を屈すると、頭を三度床につけて答えた。



「閣下のお望みのものを持って参ります」




読んでくださって、ありがとうございました。


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