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ザイカ脱走

今回、本文ですこしだけ気味のわるいシーンがでてきます。

病院などがお嫌いな方にはご不快を与えてしまうかもしれません。

ある秘密の一端をしって、ザイカが施設をぬけだす──そんな話です。


「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」


 部屋の戸口にたったザイカに、新米研究者アンドレが挨拶をした。

 彼の見事なまでに爽快な笑顔をみたとたん、ザイカはハーッとおおきく息を吐いて、濡れたままだった顔を拭き布でおおった。


 休めようはずがない。

 いきなり夜中に呼びつけられて、人を殺すかお前が死ぬかと脅されてきたのだ。

 自分は戦士だ。戦のなかで相手を殺し、及ばなければ相手が自分を殺す。その中でならどちらの結果になろうと納得はする。

 だが、相手は争いとは縁遠い、老いた坊主だ。どれだけ厳重に護られていようが、相対してしまえばものの数秒でカタが着いてしまう。なんだってルクレナレの奴は、俺にそんなことをさせたがるのだ。

 奴は意趣返しなどとうそぶいていたが、どう考えてもそれは口実に過ぎないように思えてならない。



「目が覚めたなら行きましょう。朝食前にかるく流してみませんか?」



 アンドレに請われてザイカが立ったのは、だだっ広い施設の中庭で、かなりの面積が確保されたなかに、ぐるりと、楕円を描くようなコースがラインでひかれていた。すでに幾人もの鶏人(ケチャ)達が走り込みを始めている。


 本当に奇妙な場所だ、ここは。走るのなら城の外でもはしったほうが、よほどためになるし愉しいだろうに。ここの連中は黙々と、面白いことをわざとつまらなくする。

 研究者(トレーナー)とかいう奴らもなにが面白いのか、やたらと他人の身体の強さだの速さだのの情報を集めるために、いつも手ぐすねひいて待ち構えている。薄気味悪いまでの熱心さだ。

 昨日も見学がすんだ後、さっそく道場へ連れていかれ、研究員ふたりほどにはりつかれて、なにやら細々と記録を採られた。

 ゴソゴソと筆記用具の準備をはじめたアンドレを横目に、ザイカはまた大きく息を吐いた。





「今日はすこしお疲れのようですね。どうにもキレが悪い」


 ペンの柄で頭をかきながら、アンドレは機械の不具合をなげく整備士のような顔でいった。


「ひょっとして夜間に勝手に運動しませんでしたか?」


 した。寝ようにも、あの男爵の、なにもかも見透かしたような顔が目先にチラついて離れなかったからだ。こっそり部屋を出て、これまでの怒りや不満を砂袋に思うさまぶつけてやったら、ようやくすこし気がはれたのだ。


「困りますよ。こちらでの運動はちゃんと管理されているんです。つねに研究者をそばにつける義務があるんです」


「──なんなんだ、そのワケのわからない仕組みは。鍛練するのにいちいち他人の了解なんぞいるか」


「しかしね、ここではそういう規則なんですよ。

 そもそも鶏人の身体は国家の資産なんです。鶏人は国家に奉仕する義務があり、我が身勝手にあつかうことは、たとえ鶏人本人でも許されません」


「資産? 奉仕する義務だと?」


 彼の言葉が、あまりにも実情を知らない勝手な言い分にきこえた。


「ずっとこの国の民として受け入れてもらえるよう願ってきたこの俺を、命懸けでもぎとってきた俺達の一勝を、なにもしてくれない、ただ気まぐれでかき乱すだけの連中に献上しろだと?

 ふざけるな。アンタらの国は民同士を殺し合わせるのがそんなに好きか」


 いきなりのザイカの反抗に、アンドレはぐっと詰まった。だが、けっして退くつもりのないことは顔つきに表れている。


「······どうしたんですか、ほんとに。

 ···まぁ······確かに。鶏人の出自は貴方のような、他国からきた人や、社会的にみて底辺にいる人々がほとんどですよ。そういう人たちを競いあわせて興じる鶏闘の本質も否定はしない。

 しかし、そういったなかで人が肉体的、精神的に昇華する様を研究することは、まわりまわってかならずそういう弱者の役に立つはずなんです。

 げんにそうして、この国の医療は成長してきた。妖しげな魔法の類いなんかに望みを託すよりも、ずっと尊いことです」


「俺からいわせれば、おなじ外道でもまだ魔法のほうに好感がもてる。どのみち俺たち鶏人は死ぬまで──いや、死んでからもか。アンタらのオモチャであることはようく解った」


 昨夜の件が尾を引いていたとはいえ、あまりにも明け透けにぶちまけすぎた。おかげで一日を気まずいまま過ごすことになってしまい、ふたりともほとんど無言で機械的に決められた鍛練メニューを消化して別れ、気付いたらまた夜がきていた。





 ガチャリ。夜の静寂(しじま)に、極力鎮めたドアの音が染み入る。ザイカはそっと自室の戸を閉めると、しばし周囲の気配を探ってから、立ち上がった。


 施設内はただただシンとして、鼠一匹の身震いさえ聴きとれるほどに(カラ)だった。

 昼間に抑えきれず、つい憤まんをぶつけてしまったそのせいで、予想どおり部屋の戸は外から施錠してあった。

 だが、こっちだってあらかじめ逃走することも視野にいれて、旅のなかでも準備はしてきた。

 そもそも鶏人が戸を破る──数ある恩恵とやらを放棄してまで──などとは想定されていないのだろう。かけられていた錠はピン一本であっけなく開いた。



 弱者のための研究だと? ふん、面白い。ならそれがホンモノかどうか、今度は俺が審査してやる。


 とにかく決断するためには材料が欲しかった。このままここで中央デビューという名の私刑執行を待つか、ルクレナレのいうなりとなって、よく知りもしない坊主を殺すのか。はたまた逃げ出して、なんとか家族のもとへ帰るのか。

 その決断を下すための材料が、どちらを選ぶにしても後悔しないですむ材料が、欲しい。



 この国は医術なるものが進んでいる国だ。行く先々でそう耳にしてきた。

 ならば、その行き着かんとしている先がどんなものなのか見てやろう。それには初日、アンドレが近づくのを禁じた、あの扉の向こうをみるのがいちばん手っ取り早そうだ。


 ···こうしていると、夜間に敵陣へ攻めいったときのことを思い出すな。


 ザイカはその神経の張り具合を思い起こしながら、身を低く、壁づたいにそっと進んだ。とくに警備の者が巡回にくる気配もなく、相変わらず人の匂いは皆無だ。


 なんなく例の扉のまえまでやってきた彼は、そこでもういちど身を低くして、その奥の気配と、それから背後を確認してから、懐から針金を二本とりだした。

 それをわずかな光をたよりに鍵穴へつっ込み、感触をさぐっては出し、適当な形に曲げてはなおしをくり返した。

 さすがに自室の貧弱なものとは違ってなかなか堅固な錠だったが、ややあってガチリと思いのほか大きな音をさせて、観音びらきの扉が開いた。


 その先にも無機質な廊下はさらに続いていた。途中いくつかの曲がり角を含みつつ、真っ直ぐ先のつきあたりにある扉のガラスから漏れこんでくる淡い光が、廊下をみょうな具合の薄暗さにたもったまま、浮かび上がらせている。ただ真っ暗闇よりも嫌な感じだ。


 いったいどうしたことだ。


 ザイカは、自身をつつむ感覚にだんだん戸惑いはじめていた。

 これまでも危地には立ってきた。火矢と魔術がとびかう戦場にも、大絶壁のうえでの一騎討ちにも。それらに比べれば、こんな、人工物の閉鎖された空間なぞ、なにほどのことがあろう。

 だのに、そんな我が身は、なにやら悪寒さえ感じはじめているではないか。


 これまで見たこともない、ただただ無表情な光景が、こうもこの足を踏みとどまらせるのか。


 感じたことのない薄気味悪さをともなって、それでもザイカはゆっくりと進んだ。一秒でも到着を遅らせたいが、ここでぼやぼやしていたくはない。ジレンマだ。

 途中、曲がり角で二、三度人の気配を探ってみたが、そんな必要もないということが身に染みただけだった。


 おそろしく時をかけ、ようやく不気味な光源をもたらす最奥の部屋の前にたどり着いた。どうやら入口のものとは別の鍵が必要らしく、ここでもまた、少々の時を要した。

 豪胆なザイカもすっかり雰囲気に呑まれて、内心冷や冷やしていたものの、なんとか開錠には成功した。おもい扉が、やや重苦しい音をたてて、ゆっくりと開いていく。



 いきなり密度の濃い空気が顔にへばりついてきた。それにあわさるように、薄気味の悪さも飛躍的に増した。

 ゆっくりと壁ぞいに移動し、どこかに灯りでもないかと探ってみた。

 この施設では最新の魔法装置が機能しており、室内の灯りなどはそれでまかなって──ザイカの部屋にも同じものがある──いるが、そんなものを作動させればなにがしかの証拠を残すに決まっている。ここで灯りを点すことでさえはばかられるのだ。

 だが、どうにも確かめずにはおられない。それにこの部屋は思いのほか広いらしく、角までいくのに意外なほど歩数を要した。


 やっと机らしきものに行きついて、そのうえを漁り、つぎに引き出しなどないかと探っていたら、ようやく非常用に備え付けてあるのだろう、ランプ数個とマッチが出てきた。ザイカはそれを机にのせ、マッチを擦って灯を点した。

 灯りをもってふり返った瞬間、ギョッとして固まった。



 すぐちかくに誰か寝ていた。



 反射的に灯りを隠しその場でじっと様子をみたが、どうやら動き出してくる気配はない。


 その者は、それ自体が自立した箱のような物体に、ななめにして寝かされている。

 錯覚だろうが、そのいやに重厚な箱が、なにやら棺にみえてしかたがない。うすい、妙な服を一枚着ているだけの恰好で、髪はつるりと剃ってある。足の辺りには透明な管のようなものがついており、それが太股の奥へと伸びていた。

 箱の下隅には、文字の書きこまれたプレートがはめこまれてあるものの、灯りがそのほそい金属に反射してうつりこみ、よく読みとれない。


 その文字をよくみようと、二本目のマッチを擦って腕を伸ばしたところで、彼を怖ろしい閃きがみまった。とっさにそれをひっこめ、みずからの左手首にはまったものへと向ける。



 おなじだ! まったくおなじ物!



 ザッと血の気がひいた。

 我知らず、鼓動を早鐘のように高めながら、ほかの方向にも灯をふってみた。

 その男のまえにも、人がひとり通れる幅をおいて箱があり、やはり同様に男が寝かされていた。今度はうしろに回ってみるが、やはりまったく変わらない。違うのは、各々の身体つきと、どこにあの透明な管が通っているかくらいだ。


 まさか──

 ザイカはもう辛抱できず、大胆にもランプに火を入れると通路を走りまわり、あちこちに灯をかざす。


 ──人だ! おびただしい数の人が、おなじ数だけある箱に横たえられ、それが五十フェルト(約六十メートル)四方ほどの室内にずらりと並べられている!

 ある者は痩せ細り、ある者はすでに血の気が失せ、またある者は眠っているくせに異常に隆々と筋肉を盛り上がらせている。

 おかしなことには、それが自然と鍛えられた、あるいは衰えたにしてはあまりにも不可解なほどに、腕や足、首や胸回りといった局所的な部分に集中していることだ。なかには片手片足だけが牡牛の後ろ脚さながらに膨らんでいる者までいた。


 限界だった。いますぐどこかに胃のなかの物をぶちまけたい衝動にザイカは襲われ、その部屋を飛び出した。





 どこをどうして帰ってきたのかよくわからなかった。

 あのおぞましい部屋から持ち出してきてしまったランプは、本部の敷地からでた後、そこいらに放り捨てた。とにかく吐かないように気を張るのが精一杯だった。

 あんなものを見てしまった以上、もうあそこにはいられない。そもそも明日になれば、すくなくとも夜間に鍵が開いていたことは明らかになる。くわえて自室にかかっていた鍵は外から掛けてあったものなのだ。内側からどんなに頑張っても、鍵を破ったことを欺きとおせようはずもない。





 例によって施設をぬけ出すことはことは大して難しくなかった。番兵や巡回の者もいたが、お決まりの警戒をするくらいで、塀を越えることは造作ない。

 もっとも、無断でその囲いを破った者がどうなるのか。施設のすぐそとは貴族街という事実からも容易に想像はつく。その心理的な壁をこえてまで馬鹿をやる者など、あろうはずもないのだった。


 たが、どこへ行くか。


 自分はいまや、独り街をさまよう身となった。もしこれが夜間でなければ、たちどころに人目について通報されているだろう。なにせここは貴族と、それに仕える者にしか存在を許されない聖域である。この恰好では従僕だと言い張れるかも怪しい。

 ひょっとしたら平民街に逃れてしまえさえすれば、何とかなるかもしれない。が、それぞれの区域をへだてる門には厳重な監視が置かれている。その場所はいまの自分にとってあまりにも遠い場所なのだった。



 行く当て······ひとつある。が、しかし······


 軽業すぎる思いつきだ。だが現状、もっとも現実的な方法でもあった。


「······ルクレナレ」


 そう、あの男爵のところだった。

 彼ならば、自分を受け容れてくれるだろう。

 総本部からぬけ出したことも、強引な説明でもなんでもつけて黙らせることができるかもしれない。


 もちろん、そこへ行くということは、彼の命令を遂行することを意味する。いや下手をすると、もっと深い泥沼に足を踏みいれることになるのかもしれない。そうなれば、もう二度と家族と会うことは出来なくなるのだろう。生きていけたとしても、いまの身分よりもさらに、深い深い闇の下に沈む──


 だが、しかし······他にどうしろというのだ。


 ザイカは己に問いかけ続けた。だが、無いものは無い。追われる身分にもならず、この国都をも脱出する術など、とても思いつかない。


「······生きていればこそ、機会はある」


 自分に言い聞かせるようにそう呟くと、ザイカはあの忌まわしい男爵館のほうへと、足を踏み出そうとした。


「──お待ちなさい」


お読みいただき、ありがとうございました。

今回はこちらの勝手な都合もあり、若干短めとなっております。

まえがきにも書きましたが、もしもご不快を感じた方がおられましたなら、本当にごめんなさい。


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