国都よりの誘い
親方は、名をマルコ・デラルコという。
背こそ低いが陽に焼けた肌に太い腕、ひろい腹回りをした堂々たる体格の持ち主である。
五十半ばだときくが、禿げ頭にのこった髪はいまだに黒々としており、茶目っ気を感じさせながらも鋭い眼光をたたえるそのまるい眼からは、油断のできない印象をうける。
郷傘の親方ともなれば、みななにがしかの副業をもった者がほとんどであり、世間的にはそっちが本業としてとおっているのが常だ。
彼もまた、元鶏人として成り上がったクチで、いまや不動産の副業でも成功を収めたやり手だった。
親方は機嫌よくザイカを長椅子の脇まで招き寄せると、対面にすわる、やけに洗練された身なりの人物に紹介した。
「この男がザイカ・ヤピトー。我が郷傘期待の若手鶏人でさぁ。ホレ、挨拶しねェか」
「ザイカ・ヤピトーと申します、旦那」
ザイカが名乗って頭を下げても、その男は椅子から立つこともしなかった。彼を全身、頭から爪先まで視線で往復して、ようやくわずかに会釈してみせた。
こちらは親方とは対照的で、背もたかくなかなかの好男子だが、身体つきをみるに、およそ荒事などとは無縁な生活を送って来たであろうことがわかる。
清涼感のあるパリッとした白シャツの上から、しっかりとベストを着て、この暑さにもめげずシャツの袖をまくり上げてもいない。
はじめは競技の後、場を浄めてくれる牧師がはるばる遠来したのかと思った。
だが、胸元のポケットからは金の鎖がのぞいているし、下もスマートなズボンと革靴でまとめており、典型的なカドヴァリスの貴族といった装いである。
「こちらはジャンバスタ・ロマノク氏だ。きいて驚くな? この方はなんと、国都フォム・バレンの闘鶏支配人様だ」
思わずザイカも目をみはった。
「中央の?」
「そんなに大した者ではないですよ。私はただの興業差配にすぎません。げんに今日も、さる御方の使いとして参ったのですからね」
まあ、そう突っ立ったままでは話もしにくいですから。
そういってロマノクと呼ばれた客人はザイカに座るよううながした。彼が迷っていると、親方は席をたち、小机のうえの着火器で二本目の葉巻に火をつけ、窓辺へいって外を眺めはじめた。
ザイカが席につくと、ロマノクはひと息紫煙を吐いて話をきり出した。
「じつはキミにいい話を持ってきた。どうだ? 私と一緒に国都に行ってみないか?」
「······え? フォム・バレンにですか? 俺が?」
まったくの唐突な話に、ザイカは訳がわからぬまま問い返した。ロマノクは構わずに続ける。
「君の事情はさっき彼からも聞いた。すべて承知しているつもりだ。
君が難民であることも、一家が君を頼りにしていることもね。······なに、心配することはない。中央にくるといってもたったの一戦、同格の相手と闘ってもらうだけ。いわば招待戦だ。扱いはⅠ級なみを保証する。
······この意味、わかるね?」
つまり。よしんば敗けても、命までは獲られないということか。
ザイカたち鶏人には階級制度があり、おおまかに五段階にわかれている。
うち下からⅢ級まではほったらかしも同然だが、Ⅰ級ともなれば待遇は格段にかわる。
鶏人の元締め組織である郷傘にしても、それだけ生き残ってきた戦士は稀少であり、あらゆる手をつかって囲いこみ、他所にひき抜かれないよう神経をつかった。
ファイトマネーはもちろんのこと、生活のほとんどが保障され、人数に制限はあるが家族ともども本部の寮に住むことが許されている。こんな田舎の地方都市などではなく、それこそ国都フォム・バレンにでもいけば、貴族なみの豪邸をかまえる鶏人もいるという話だ。
まあ何もそこまではいかなくとも、郷傘からは大切にしてもらえる。専属のトレーナーもつくし、なにより、たとえ試合に負けても、殺される前に助けてもらえることは、なににもまして大きいのだった。
ザイカは無言で首肯した。
ロマノクはウムと心ばかりの笑みをみせてうなずいた。それまで黙ったまま話を聴いていた親方が、のんびりとした様子で外を眺めながら口を開く。
「ロマノクさんは以前から、みどころのある地方選手を中央に招待なされている。今年はお前がその枠に選ばれたってわけだ。
ウチとしてはもちろんかまわんがな。こっちの興業の宣伝にもなるし、まぁお前のことだ、いつぞやの恩知らずと違って、中央へ行ったきりなんてことにはならんだろう」
ここで親方はチラリとロマノクへ視線を走らせた。
この場違いな客人は微笑を浮かべたまま、ちいさく肩をすくめてみせる。
······俺が難民だから···か。
ザイカは極力考えを面にださないように注意しながら思考する。
自分が難民である以上、まして家族を残していく以上、たとえ中央が万が一その気になったとしても、きっとこの街に帰ることになる。親方はそう見透かしているのだ。
「···いちおう訊いときたいんですが、もしむこうで勝つことが出来たならその一勝は···」
親方はニンマリと笑う。
「当然、ちゃんと勘定にいれてやる。お前は晴れてウチのⅠ級鶏人だ」
「──どうするかね?」
ロマノクが急かすように訊いた。どうやら時を与える気はないらしい。
どうするのか? 考える猶予さえ与えずにそうきく時点で、とっくにこちらの返事などわかっているのだろう。
そして俺はしっている。選択権などないのだということも。
この街しかしらぬ自分にとって、中央の闘場なぞ、それこそ異界にひとしい。いまはロマノクもこういっているが、それを担保として鵜呑みにするのはあまりにも危険だ。
くわえて、地方から成り上がった手練れもおおい中央で必勝することは、至難の業となるだろう。
負ければ、生きて帰ったとしてもまたⅡ級でイチから始めなおさなければならない。基準はあくまでも親方の腹しだいだが、だいたい十何連勝はしないと再昇格のチャンスはこない。そのぶん、家族に負担をかける時間がのびることになる。
といって、話を受けなければどうなるか。
答えは明白だ。親方のカオを潰すことになる。
彼の言にあった、むこうでの一勝を認めるというその言葉には、もし断れば、こちらの規則にしたがって処罰することになるぞ、という意味が隠れているのだった。
この街での親方への不服従。それは、即ち死だ。
だから俺には、最初から選ぶ権利なんかない······
期待されたとおりの返事を口にして、ザイカは客間を辞した。
そのまま道場側の庭へと歩いた。
外界の視線から隠れるように、塀の内側にも樹木がならび、鍛練用のプールもあるため、親方自慢のあの庭とくらべると蒸し暑い。
それでも人気はすくないほうだから、この息の詰まる建物のなかで、ゆいいつ自分が落ち着ける場所でもあった。ザイカはそこまで来てから数分間、じっと目をつむって立ちつくした。
なぜ、あと一勝という大事なときにこんなことになるのだ。どうして自分はその話を受けてしまったのだ。そんな考えたくもない思いが脳裏をかけめぐっている。
違うのだ、いま自分が考えなければならないことは、そんなことではない。無価値な後悔に振りまわされている己のきり替え方と、この抑え難いまでにこみ上げてくる怒りのやり場だ!
「クソがッ!」
「おっと」
バシッという小気味良い音とともに、はらった拳が受け止められた。
「チ、んだぁ、こら。ずいぶんな御挨拶じゃねーか、オイ」
背後から近づくその気配には気づいていた。拳を見舞ったのは完全に八つ当たりだ。
鶏人がひとり、首もとにタオルひとつをひっかけた上半身裸の姿でたっていた。いましがたまでプールで泳いでいたか、まだ雫をポタポタとしたたらせている。
「あん? お前、ヤピトーか? Ⅱ級の野郎がこんなところで。いい度胸してんなァ? おお?」
立っていたのは先輩にあたる男だった。
たしか、すこし前にⅠ級に昇格している。いまは濡れ鼠だが、頭髪を、それこそ鶏のように妙な具合に逆立てている鶏人で、ザイカも一度やりあったことがある。
その時は両者共倒れてめずらしくふたりともが命拾いをし、だからこそ、こうして話してもいられるわけなのだが。
「どうも」ザイカは不承不承といった態度を隠さずに、それでも頭だけは下げた。
「んだぁ? 相変わらず愛想のねェ野郎だな。シケたツラでⅠ級様のナワバリをうろつくんじゃねーぜ」
「きたくてきたんじゃないんで。呼ばれたから来たまでです」
先輩の鶏人は小馬鹿にしてように嗤った。
「ハン? 親方がお前なんかを? 何の用でだ」
「Ⅱ級最後の試合が決まったんで。わざわざ中央までこいってことらしいです」
「何?」
先輩は一瞬不愉快そうな表情をしたが、すぐにははぁと、何事か心得たような顔となった。
「それでロマノクの旦那が来てたのか。······んで? てめェは断ったんだろうなァ? あァ?」
ザイカは無言で先輩をにらみ返した。この男はこんなだが、馬鹿ではない。わかっていて、それでもこういうことを訊くのだ。
案の定、彼はすぐに肩をすくめてみせた。
「──なんてな。てめェの立場じゃ、んなこたぁ出来ねえわな。ご愁傷さまなこった」
「···ロマノクさんは命まではとらないといってましたが」
「ハ、まさかおめェ、それを信じてるワケじゃあるめェ?」
ザイカはぐっと詰まって黙りこんだ。
それは──その通りなのだが。
「ま、仲良く死に損ねた縁だから、トクベツに教えてやるぜ。てめェが前の試合で叩きのめした相手な、どこの奴だか知ってっか?」
ザイカが首を横に振ると、先輩は面白そうにこう続けた。
「あら、おめぇ、ラグイシャの期待の若手よ。知ってんだろ? アザスミル一の郷傘だ。
そこの頭目ってのがまたどえらいんだ。
ビュホーン男爵つって国中にその名のとおった貴族様だ。それも王家の血筋に連なろうってほどの御方さ。どういうわけか、こんな辺境に領地を構えちゃいるが、ご本人はいまも都フォム・バレンのお屋敷にすんでおられる」
──なるほど。
何となく合点がいった。
つまりこの一件は、まるまるが意趣返しというわけか。
自分のお気に入りの身内を潰して面子を貶めてくれた俺を、今度はアッチが弄ぼうという筋書きか。そうとなれば、むこうにはどんな汚い罠が用意されているかわかったものではない。
「···なにが格別の招待だ」
「ま、せいぜい苦しまずに殺されてこいや。こっちとしちゃ、競合相手が片付いてくれてありがたいぜ」
憎まれ口をたたきおえると、先輩は鼻唄をふかせて去った。
クソッタレ······どいつもこいつも! この国の奴らはみんなロクデナシだッ······!
ご拝読、ありがとうございました。
更新のタイミングとしては、こんな感じでと思っております。
お気が向かれましたら、またお付き合い下さいませ。