誅刃
試合の決着がついてしばらくの後。
我にかえってオルモンを探したが、さすがにもうその場にはいなかった。
ザイカの付き人として来ていたアンドレもいつの間にか姿を消しており、彼は場内に潜んでいたルクレナレの部下に手引きされ、ホールを後にした。国都親衛騎士団がなだれ込む直前のことであった。
中央本部へ帰るかと問われた馬車のなかで、ザイカが伝えた行先に、男爵の部下たちは顔を見合わせた。
乗りつけたのは、ビュホーン男爵──マウリジュ・ロイマール・ルクレナレの館。約束を果たすことなく舞い戻ってきた彼を、男爵は苦々しげに迎えた。
「意外だな。もうすこしは俺の顔を恐れているものだと思っていた」
男爵は立派な机に向きあい、忙しそうにペンを走らせている最中だった。
ザイカは無言のまま礼をした。
あんなことにはなったが、試合には勝った。
つまり、この胸糞わるい都にもう用はない。オルモンをこそ逃がしもしたが、そもそもルクレナレとの取り決めは、あの男を暗殺するか、試合で傘下の鶏人に勝つか、その二択だった。
その点ではたしかに、自分は晴れて自由の身。明察どおり、横暴で気取り屋のこの男にあう必要などもうまったくない。
ただ、彼にはなんとしても、確めておきたいことがひとつだけあった。
「あの実験を主導していた者は誰なのです」
ギロリと男爵の鋭い眼が彼を睨みつけた。
「どの面提げてそんなことを問うのだ。前にも言ったはずだ。俺にその問いに答える権利も、またその意思もないとな」
「やんごとない筋に繋がっているのだとは解ります。だがそんなこと、どうだっていい」
吐き捨てるようにザイカがいうと、わずがに興味をひいたのか、ルクレナレは黙したまま彼を注視した。
「俺にとってそんなことはどうでもいい。
知りたいのは、彼をあんな風にしたのはどこのどいつかってことです。国策ではないというのなら、どうか閣下、教えてください。俺ではなく、亡き男に応えると思って!」
ルクレナレの視線が茫洋としたものに変わった。しばらくの逡巡の後、彼はめずらしくも溜め息をついてペンをおいた。
「俺がオルモンを仕留めるためにあの場を好機ととらえたように、奴も同じことを考えていたかもしれん。······俺に言えるのはここまでだ」
ザイカはじっとルクレナレの瞳をみつめた。
これが嘘ならたとえ誰であろうと容赦はしない。そんな燃えたつ意思のこもった視線をしかし、ルクレナレは無礼を咎めるでもなく真正面から受けとめた。
ややあって、
「重ねて閣下に、無礼を承知でお願いします」
その場にひざまづいた。
「私にあの男の任務をいちどだけひき継がせてください!」
ザイカはいま、この都にきて初めて、はっきりと己のうちに使命を感じた。戦士の名誉を奪った者へ、奪われたものになりかわり報いを受けさせる。それがいま、自分がやるべきことなのだと、まるで自らの身体の一部のように明確に感じとることができた。
俺にとって、あの業だけは許しておくことはできない。
彼は胸中静かに冷徹な炎をいだきながら、夜の帳に沈もうとする法宮をみつめた。
怪物の劣勢をみとめた後、オルモンはいそぎ法宮へととって返していた。
ぐずぐずしてはいられない。いまから急ぎ、ミロス神教本拠地である聖地クシャナリアへと発たねばならぬ。
例の研究はたしかに王家も承知のものだった。
だがそれは、あくまでも秘中の秘。いかに忌々しいルクレナレや、たとえベルモンティティス公であろうとも、そう性急に動くことはできぬ。
その証拠に自分はこうして無事でいる。本来ならとっくに正規軍に取り囲まれているはずだが、そうも出来ないのは、希薄な証拠にもとづいて国教会の土地に踏み込むことを恐れてだけのことではあるまい。
せわしなく、自分につき従う信者に指示をだしながら、オルモンは必死に頭を巡らせた。
包囲されてはいないとはいえ、監視はすでに付いているだろう。おそらく暗殺部隊が、自分が城外門に姿をさらす瞬間を、手ぐすねをひいて待っている。
だが国を出ないという手はない。いまなら信用のきく護衛がいる。彼らとの契約が活きているいまこそが脱出の最後の好機なのだ。
「道中は奴らに警護させればよい。こんなことにはなったが、我が弟弟子はまだ私を信じてくれている。必ずや立派に責務を果たしてくれよう」
「わかりました。では伯父上、手筈どおり城門外の例の地点で。私は彼らに報せてから参ります」
いそぎアンドレは踵を返し、暗闇に包まれた廊下へと消えた。オルモンはすこし落ちつきを取り戻すと、どっと疲れがでて、たまらず椅子へ腰を落とした。
「何故こんなことになってしまったのだ、何故······」
「──それが天の意思というものなのでしょう」
まるで夜から浸みだしたような茫洋たる声に、オルモンはギクリとして立ち上がった。
はじめは弟子たちの声かとおもったが、彼らは忙しそうに荷をまとめるのに夢中だ。ならば甥が帰ってきたのかと通路へ視線を向けたが、それも違う。それにいま、なんと言った。天の意思だと?
何十年もその意思と語らい続けてきたこの私に、説教をたれようというのか。不敵な!
だがその自尊にたぎった目は、たちどころに絶望の色へと変化した。通路の奥から、人影がひとつ、ぼんやりと人魂のように近づいてくる。
そうみえたのは、この院にいる者なら例外なく着けねばならぬ青いローブを纏っていたからだ。
だが、その衣に隠した正体は、けっしてその教義にまで服してなどいないであろう。遠目からでもわかる。その身がみなぎらせている並々ならぬ強健さが、僧侶のものであろうはずもない。
もはや無用であるとばかり、ザイカは羽織っていただけのローブを脱ぎ捨てた。目の前のオルモンは彼をみるや、ああ、とちいさく唸って、がくりとまた椅子になだれ込んだ。
「オルモン・ゴエス・ヴローエ卿。我が同志、ケヴァンの仇を討たせていただく。お覚悟めされよ」
あっと言って賊の侵入にようやく気づいた信者たちのうち、数人は逃げ出したが、のこりは果敢にも師のまえにたち塞がり、我が身をもって盾とならんと両手をひろげた。
「······俺もこの身に誓った。障害となるものなら誰であろうと容赦はしない。
だが無関係のものを手にかけたくはない。卿、なにとぞ彼らを憐れみ、お人払いを···」
オルモンはじっと目をつぶってなにやら祈るふうだったが、ひとつ息を吐くと、踏ん切りをつけたとばかりに、まえに立つ愛しい者らをかき分けて出た。
「───今宵はよい月夜だ。すこし歩こう」
ふたりは僧院の中庭へとやってきた。彼の言うとおり、中天にはほぼ満ちた月が静かに光を放っており、中庭にしつらえられた噴水の音と、たおやかに交ざりあっていた。
そのそばで、ふたりは向きあった。オルモンの弟子たちは健気にもその後につづき、両者の姿を遠巻きに見守っている。
「はじめは、ただ足の不自由な者を援けたいと思った」
噴水の縁に腰をおろし、月を見上げてオルモンはいった。
「彼らに痛むことなく、みなと同じように自由に歩いてほしい。それだけだったのだ。
だが、いつしかこのおぞましい研究が進むうち、その技術は『それ以上』を望むことの出来るものだと解った。はたしてその発見を奇蹟と呼ぶべきなのか、誘惑とよぶべきなのか······」
ザイカはだまって耳を傾けている。
「私にとって、医と信仰はふたつでひとつ、けっして離しては考えられぬものだ。
だがこのときは欲がでた。あるいは老いていくこの身がみせた幻想だったのかもしれぬ。人を、人が根元的にもつ肉体的な恐れから解き放てるやもしれぬ、我々のこの手で······」
沈黙が場を支配した。ややあってオルモンはゆっくりと腰をあげ、突如天にむかって両腕を訴えるように突き上げた。
「──天よ! なぜ駄目なのです! 貴方がお救いにならぬというなら、せめて我らが手でそれを成すことをお許しください! これは断じて悪しき努力などではないのだ! 断じてッ!」
だが、夜空はなにをも示すことなく、ただ静かに男を見下ろすばかりだった。
オルモンは絶望したように吐息をつくと、顔の前にもっていった両の手を力なくたらし、じっと待っていたザイカの正面に身をさらした。
「もうよい。繰り言を聞いてくれて感謝する。懺悔はさきほど済ませた。
······どのみち神に逆らった身、お主の誓いを果たすがよい」
「では──」
ザイカは腰に下げていたナイフをすらりと抜き放った。冷たい刃が月光を不気味なほど静かに湛たたえ、蒼く鈍く光った。腰を落とし、確実に一撃で終わるよう、相手の鳩尾に狙いを定める。
「御免!」
気合一声、腰だめに刃ごと突進した。
──一瞬のことだった。遠巻きにみつめるオルモンの弟子たちの息遣いでさえ感ぜられようかという静寂のなか、彼はたしかに聞いた。
それらよりもはるかに静かに。振動が空を裂くのを。
とっさに制動をかけたザイカの足元に、矢が音を立ててめり込んだ。
「!」
刹那、その発射元はと眼で追う反射的な行為。その隙をつくように第二矢が彼の手からナイフを弾き落としていた。
ザイカの背筋を悪寒が走りぬけた。
速い、なんという手練れだ。おまけに恐ろしく夜目がきく!
よもや騙したのかとオルモンをみれば、彼も呆気にとられたように矢に見入っている。まだだ、ならば素手でもその首をへし折る!
「もうやめて、アニ様!」
なにがなんでも使命を果たさんとする彼の頭を、その一声が、春告げの嵐のように吹き払った。
それはとても馴染みのあった声。馴染んでいた呼ばれ方。
あまりにも耳に懐かしく、幻聴なのではないかと疑いたくもなる。だがその反駁さえ許さない一瞬で彼は理解した。
──幻などではない。
自分の妹弟以外で、俺のことをそう呼んだのは、ただひとり。
だがこんな外国の。それもこんな場所にいるわけもない。その想い出は、我が家とともに故郷へとおいてきたのだから······
ザイカの迷いを晴らすように、柱の奥から人影が、ゆっくりと歩いてくる。
左手には三日月のように反った弓。
肩にかかる矢筒からはいくつもの矢羽根がのぞいてみえる。おだやかな夜陰の風にゆれるその髪は、記憶にある姿よりずっと長い。背も、身体つきも、見違えるまでになっていた。
マイシャ・ツガロワが、涙ぐむような、あるいははにかんでいるような笑みを浮かべてたっていた。
「お久しぶりです、アニ様」
「······マイシャ···これは······どういう?」
駄目だ。言いたいこと、問いたいことが乱れて言葉にならない──
「······何故、なぜ止める?」
口をついてでた言葉に我ながら情けなくなる。マイシャはちょっとだけ寂しそうにしてみせると、きりりと表情をひき締めた。
「ぜんぶ見てたから。······あの後しばらくして私も国をでたの。いまはその方の警護をしている隊にいる。だから···」
あの護衛どもが──本当に···ッ。
「なら、わかるはずだ。この男は命をもって償わなければならない。犠牲になったおおくの戦士たちに」
「······そうかもしれない。けど聞いて? 彼を裁くのは、この国の法か、ミロス神教会の仕事──ううん、義務だと思う。だからね? 彼らに預けてほしいの」
おのれの眉がぎりぎりと吊りあがるのがわかる。
「何をいっている。国をでて戦士の絆まで忘れたのか? 互いに認めあった者は、たとえそれが仇同士だとしても、その絆はなんら軽んじられるものじゃない!
この裁きを他人の手にゆだねることなど出来ない! 馴れ合いで赦されてたまるか!」
「そうはならないわ! 彼の罪はかならず裁かれる。すくなくとも教会はそう断言した。どうか信じて彼らに責任を果たさせて、アニ様!」
「駄目だ! これは俺の使命だ!」
マイシャはふつふつと沸いてきた、自分でもよくわからない苛立ちをおさえ、訴えかけ続ける。
「じゃあそれでどうなるの? 妹や弟たちは?
アニ様がいまここで彼を裁けば、アニ様はそれでよくても、あのコ達は咎人の身内として一生追われるのよ! また冷遇と蔑みのなかでさまよう日々がはじまる······それでいいの? 貴方は!」
ザイカはとっさの返事に窮し、歯噛みして沈黙した。マイシャはほっと微かに息を吐いた。
「······よかった。まだ一緒にいるんだ。貴方の優しさを必要としている人たちが。一緒にいてくれてるんだ。ほんと、よかった·········」
「!」
彼女の気が一瞬緩んだのを見計らって、ザイカが俊敏にナイフを拾いなおす。
──その刃は、深々と突き刺さった。
ありがとうございました。
次回更新にて完結となります。
更新は土曜日正午を予定しています。
都合により、一部キャラクターの名称を変更しました。




