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変貌


「始めッ!」


 審判の宣言(コール)と爆音が会場内に弾けたのは同時だった。

 全身に叩きつけるような圧力を感じつつ、ザイカは意識を前だけに集中させた。構えはいつものごとく、まるで大鷲が伏せたかのような低い体勢で、相手の様子をうかがう。

 一方のケヴァンはゆったりとステップを踏みながら、拳を前に出すような構えでじりじりと距離を詰めてくる。


 間を詰めてやる気か。よくわかってるな。


 中央とちがい、地方では、肉体以外の武器をたがいに備えている場合が圧倒的におおい。したがって勝負はほぼ一瞬で決まるが、それまでは互いに隙をうかがいつつ遠巻きに相手の力を削いでいく戦法が主流で、最初から間を詰めてガンガン撃ちあうなどということは極めて希だ。

 地方の鶏人(ケチャ)は必要に迫られてそういう戦法に染まってしまうことを、すくなくともこのケヴァンは心得ている。


 とはいえ、相手にあわせても意味はない。みせてやる。命懸けで競ってきた者の闘い方!


 ザイカは詰める相手の圧力に押されるように左に逃げるとみせて、途端にステップをくわえ、一気に打ってかかる素振りをみせた。それを待っていた相手が拳をくり出すが、そこにはもう彼の実体はなく、急制動で後ろへと跳ねてその一撃をかわし、ケヴァンが反応して打ちだしてきた左腕をおなじく左拳でしたたかにかち上げた。


 相手の表情が歪む。効果あり。



「この──生意気な!」


 ザイカの戦法を悟ったケヴァンが勇を奮って踏みこみ、重い一撃を次々と打ち込んでくる。

 ザイカは大振りの一撃をかわすが、瞬時に素早い連撃のコンビネーションに切り替えたケヴァンの攻撃に反応できず、たまらずに両腕でガードした。


「ぐっ···!」


 捕まった······!

 まるで一撃一撃が骨を直接殴打するかのように重い。


 さすがにこのまま受けていては消耗が激しい。

 ザイカはわざと半歩下がり、相手が調子づいて打ってくるところに肘を突き出す。その一撃はケヴァンの顔面を迎撃する狙いであったが、むこうもさるもの、その肘を拳で止めると、空いた左の拳でザイカの左脇をうかがう。ザイカは反撃に備えていた右手でそれを受け止める。

 一進一退の攻防に会場はいよいよ沸きたった。



 ふたりはふたたび距離をとった。

 田舎からでてきたぽっと出の鶏人が思いのほか実力をそなえていたことに満足したのか、あるいは逆に勝算を見出だしたか、ケヴァンは好戦的な笑みを浮かべた。

 そのままニヤついた顔で腕をぶらぶらさせてザイカのまわりを少しうろついた後、ふたたびステップを踏みはじめる。ザイカも血が沸き立つのを感じた。


 こいつ、強い······。しかも爽快なほどに真向勝負をする奴だ。いま背負っているものを全部放り出して競いあえたらどんなにか面白いだろう。

 だが、それはお互い無理な話だな。


「それに勝ちにいくのは同じことだ!」


 今度はザイカから仕掛けた。

 それまでの消極的にもおもえる戦法をかなぐり捨て、まっすぐに相手の間合いに突っ込んだ。

 あまりにも素早く間を詰められたことに少し動揺したケヴァンが受け身になる間に、お返しとばかりに連打を浴びせ、相手が押されて半歩下がった瞬間、まるでよくしなる鞭のような蹴りを左からその顔面に叩き込んだ。


「ッ!」


 さすがにまともには喰らわなかったが、威力ののった蹴りは確かにケヴァンの防御を吹っ飛ばし、そのこめかみにすくなからず衝撃を与えたはずだ。だがケヴァンは怯むことなく反撃の右拳を繰り出してきた。



「──オラッ」




 一瞬。


 なにが起こったのかわからなかった。


 その、顔面めがけ突きだされた拳を避けたザイカも。

 その一撃を繰り出したケヴァンも。

 そしてあれだけ興奮していた観客も、まるで発した声を吸いとられでもしたかのように、開けたままの口を閉じることもせずにただ一点をみつめていた。


 ザイカの背後。ケヴァンの突きだされた右拳をまっすぐ延長した先にあるものを。


 ──鉄網が破れていた。


 いや、そうではない。

 正確にはぽっかりと大きななにかで穿たれでもしたかのように、丸い穴が開いている。その向こうでは、審判が腰を抜かして、やはりやはり放心したようにその一点を見上げていた。


 何だ? 破れた?


 いや、そんな馬鹿な。鉄網といってもたんなるそれとはわけが違う。特別な鋼線で何重にも編み込まれたもので、牛が突っ込んでも平気なほどの硬度と柔軟性をもったものだぞ。あれを足場にして空中戦をする鶏人までいるというほどの──


 ザイカは総身の毛がざわざわと逆立つのを感じながら、ケヴァンの右拳へと視線を転じた。その眼の動きにつられるように、ケヴァン自身も信じられないといった表情のまま、己の右拳をみやった。



「···なん······だ。これは·········?」



 右拳が──いや、右腕が、不釣り合いなほどに膨らんでいた。


 間近で見ると、その隆々とした筋肉が生む熱が、陽炎(かげろう)のように周囲の空気を揺らがせているのがわかる。そのくせ、肌の色はまるで血の気が失せたように青みがかっていた。



「ぐあッ!」



 ザイカがとっさに横へ避けると同時、ケヴァンの右肩が外れ、右腕に引きずられるようにしてリングにひざまづいた。


「お、おい」


 とっさに屈みこみのぞき込むが、ケヴァンは歯を食いしばって激痛をこらえるのが精一杯だった。

 反射的に審判のほうをふり仰ぐ。が、審判は顔を青くしながらも首を横に振るだけで、試合の中止をコールしようとはしない。天覧試合で、しかもおそらくはルクレナレから言い含められているだろう彼には、なにがあろうと試合をご破算にはできないのだろう。


「おい審判、これは只事じゃないのだぞ! 今すぐ試合を──」


業を煮やしたザイカが審判に抗議をつけようとしてとき、苦しい息のなかからケヴァンがわずかに声を発した。ザイカはすぐに向き直り、その顔に耳を近づける。


「し、新入り······お、おかしいんだ·········。オ、俺の肩······外れやがったのに···ちっとも痛くないんだ······」


 驚いてみると、まるで右腕の筋肉隆起につられるようにして、その先の肩までが異常発達しているではないか。しかも驚くことには、


「肩が···外れた肩が治っているぞ」


 そんな馬鹿な。目を離したのはわずかな間。その間に音さえ立てず、はずれた肩が自発的にはまったというのか? それも筋肉の異常な速度での発達の勢いによって?

 そんなことがあり得るものか。


 不意に伸びてきた左手が、ザイカを突き転ばせた。慌てて起き上がり距離をとる。


「は、離れろ···新入り。な、なにか···何かおかしい、オ、おレのから···ダ」


 言い終わらぬうちに、その恐ろしげな豪腕がはねた。

 まるで巨大な鉄球を撃ちつけたような轟音がして、目の前の舞台がえぐれた。素足にも心地よくなじむ軟らかさと強度を兼ね備えた、ザイカもよく知らない材のリングに大穴が開き、その土台の石ごと大きく陥没している。


「な···」


 ふたたび唸り音がした。ザイカは瞬時に飛び退く。が、今度は巨大な扇にでもあおがれたかのような爆風に襲われ、背後の網に叩きつけられる。

 幸いにしてダメージはそれほどなかった。鉄網に弾き返されはしたが、なんとか受け身をとって着地し、ケヴァンに目を戻す。だがそこにはすでに、まったく不可解な変貌を遂げる好敵手の姿はなかった。

 必死に呼吸を落ち着かせながらあわてて視線を巡らせるが、その姿をとらえることはできない。

 まずい、見失った!


「!」


 上からのかすかな異音を、鋭さを増した聴覚がとらえた。

 反射的に天を仰ぐ。

 人の背丈の五倍はあろうかという高さにある檻の天井から、またもや知らぬ間に肥大化した左脚と細いままの左腕で体を支え、まるで餅菓子でも捻るように、檻を力ずくで引ききろうとするケヴァンの姿がそこにあった。

 よく見ると、その首にはまったく力が入っておらす、肉体の挙動にあわせてがくがくと規則的に揺れている。


「き、気絶しているのか?」


 だとしたら、それでもなお肥大化し続ける彼の身体は、彼の意識を無視して傍若無人に暴れ回っているということになる。そんな超常なこと!



ご拝読、ありがとうございました。

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