鶏人、ザイカ・ヤピトー
いまでもまぶたを閉じると思い出す。郷里に厳しい冬の到来をつげる、あの光景のことを。
天から雪がこぼれ落ちる先ぶれのように、まるで地から氷の華が芽をだすかのようにしてひろがっていく、あの光景のことを。
白き霜は静かに、ただ静かに積もり、麦も枯れ草も、すべてを区別なくおおいつくす。はらってもはらっても毎日のように繁り、いつしか大地を白く凍てつかせるのだ。
そして冬がやって来る······
仰々しく飾りたてる煽り文句を断ちきるかのように、ザイカ・ヤピトーは拳を突きあげた。ウォーッという、獣じみた怒号にも似た歓声がこれに応えた。
あるものは期待を胸に、またあるものは呪いの言葉を吐きかける。そのなかを、付き人ひとりを従えたザイカは、勝利を祈る舞を踊りながら進む。
背丈こそ並外れて高いというほどでもないが、剛く、しなやかに鍛えあげられた上半身を惜しげもなく灯火のもとにさらし、羽根飾りのついた広めのズボンからのぞく素足で華麗なステップを踏む。
そのたびに、頭頂部からながく馬の尾のようにすらりとのびた黒髪の束もおどり、白銀の額あてと左脚の鉤爪が、ギラギラと荒々しい輝きをはなった。
彼が進むさきは、広い会場の中央にしつらえられた巨大な六角形の鉄の檻。そこに入れば、あとは独りっきり、生死を賭けた闘いがはじまるのだ。
付き人があけた檻の口をくぐり、ザイカはそのなかへと足を踏み入れた。
檻のうちから見上げる空は息苦しい。
たかい天窓から差しこむ外の光は、巨大な檻と、その腹の底にたつ自分への、無慈悲なまでの対照をつきつけてくる。あまりに非日常なその光景は、その存在が目立てば目立つほど、かえって現実感を失わせた。
だが、ここにはある。この闘いを面白半分で観入る観客たちと、必死で生き延びようともがいている自分たちの世界をはっきりとへだてる、曖昧にも、ごまかすこともできない、明確な壁が。
向こう側の扉があき、対戦相手が入ってきた。
あきらかにこの国の者ではない。陽に焼けた肌に屈強な身体つき。おそらく隣国のミリニアか、ティルゾームの労働者あがりといったところだろう。
脚にはザイカとおなじ鉄製の鋭い鉤爪をつけ、手にはめた手甲つき革手袋の具合を確かめながら、こちらをみて不敵に嗤った。
······ああ、よかった。
どうやら今度の相手は、闘いとスリルを好む人種のようだ。すくなくとも自らすすんでこの死地へとたったに違いない。
そういう人間とやるほうが、気持ちのうえでは段違いに楽だ。
騙されたり、進退窮まってやむなくこの場にたった者を何人も見てきた。そうして、そんな者らが泣き叫びながら、贄のごとく血祭りにあげられる様も。
そうおもう自身の手も、すでにその何人かの血で染まっている。だがこの場にあがった以上は、それぞれに何らかの、命を賭しても遂げたい望みがあるはずで、それは自分とても同じなのだ。そう己に言い聞かせ、必死に見ぬふりをしてきたのだった。
檻のそとに審判があらわれ、両者の準備に不正がないかをみてとる。
それで彼らの仕事はほぼ終わる。あとはせいぜい、試合の終止をコールするくらいだ。
なぜなら勝負はたいてい、どちらかが死ぬことで決するからだ。有力なパトロンがかかえる人気選手でもない限り、その生命を惜しまれ、KO敗けを宣告してもらえることはまずない。ゆえに、彼らは檻のなかへ入ろうとさえしないのだった。
そんな審判の右手が、ゆっくりと宙にかかげられる。
それまで賭けの符丁が騒がしく飛び交っていた場内は一気に静まりかえり、ふたたび爆発する時を、じっと息を潜めて待ち望んでいる。
相手が足元の具合をたしかめるようにして構えをとる。ザイカもひとつおおきく息を吐くと、まるで大鷲が翔びたつ直前にそうするように、両腕をおおきく広げたやや前傾の構えをとった。
一瞬ののち、鶏人と呼ばれる戦士たちによる流血の宴の幕がきって落とされた。
数日がたった。
下宿先の寮に、見習いの小僧が報せをもってやってきた。鶏人の組合組織ともいうべき、郷傘からの呼び出しだ。
とうとうⅡ級最期の試合が決まったのかもしれない。
すぐに身支度をすませると、小僧をともなって街へとでた。
彼、ザイカのそもそもの出身は、この国と北で国境をまじえる国ケシュカガだ。だがその故国でいざこざが起こり、やむなく家族とともにこのカドヴァリスまで逃げてきた。ありていにいえば難民ということになる。
鶏人になることで居留地からでる許可を得られたのは彼ひとり。家族は依然、囚人も同然の身だ。
なんとか家族をすくい出したい、本当はすぐにでも。だがⅠ級に昇格しでもしない限り、その許可が下りることは永遠にない。
街のなかは相変わらず雑然としていた。
季節は夏のことで、カドヴァリスとしては北方に位置するこのあたりも暖かく、湿気も増して潤いをとりもどした空気が、生き物どもを活気づけていた。
ごちゃごちゃとまとまりなくたつ三階建て店舗や住宅のならぶ真ん中を、比較的ひろくとられた石張りの道が突っ切っており、そのうえを辻馬車が忙しく行き交っている。
かつて大陸北方への流通の窓口としてさかえたこの街は、いまもまだその誇りを失いきってはいない。そのお陰で闇人市などというおぞましい興業がなりたっており、鶏人という救われぬ身分の己が、こうして陽の下を臆せず歩いていられるのだった。
おまけにその景気の下支えとなっているのが、近年高まりつつある、祖国ケシュカガとの資源戦争にあるとすれば、皮肉の一語につきようというものだ。
自分たちを追いたてた故国の頭痛のタネが、いまのヤピトー一家の生活を支えている。
郷傘パルハラトの本部兼宿舎は、表通りに堂々と面して建っている。たかい所から観察すれば、「工」の字のかたちをしていることがわかるはずだ。このあたりでも指折りのひろい敷地を頑丈な塀でかこい、立派な門柱をもつ総鉄製の門もそなえていた。
はたからみれば滑稽なほど厳重な、まるで要塞かなにかのようにもみえる。おそらくは、まだ郷傘同士の暴力沙汰が絶えなかった時代の名残りなのだろうが、ザイカには、その威容はむしろ内側、つまり自分たちに向けられている気がしていた。
一歩なかに入ると、Ⅰ級エリート鶏人のための宿舎や、訓練用の道場、プールなども整っている、なかなかに贅沢な造りが目についた。
オーナーは郷傘の頭でもある親方で、その一家もここでともに暮らしている。これでもまだ業界の宿舎としては中くらいだというのだから、いかにこの商売が巨利を生んでいるかがわかる。
さして待たされることもなく、親方のいる客間へと通された。
いつもは宿舎の事務室にでも呼びつけられるはずが、私邸側の、それも客間に、とはどうしたことだろう。彼が内心首をひねりながら部屋にはいると、そこに待っていたのは親方ひとりではなかった。
宿舎とは厳重に区切られた気持ちのいい庭へもでられる広い窓をすべて開けはなち、風のとおりを良くした室内には、裏町の建物にいすわる蒸し暑さはいっさい感じられない。乳白色を基調とした上品な空間には若干似つかわしくない、けばけばしい装飾の家具が置かれている。
そのなかで、親方はテーブルをはさんで客とおぼしき人物とむきあい、葉巻などくゆらせていたが、ザイカが頭を下げると、長椅子からたって彼を手招きした。
「よぅ、来たなザイカ。まぁ、こっちにこい」
お読みくださり、ありがとうございます。
いろいろとすこし重い話ではございますが、よろしければお付き合いください。