魚肉教育
「魔王様、少々よろしいでしょうか」
朝の玉座の間。グルドが例の激臭鍋をかき混ぜているせいで、今日も室内は地獄のような匂いだ。
「あぁ……」
俺は煙草を咥えたまま、サエキさんの声に顔だけ向けた。
「どうした、サエキさん。……っていうか、まずは窓開けようぜ。死ぬぞこれ」
「残念ながら、これで全開です……。そんな事よりも、今は、食糧庫の件で」
「食糧庫?」
「はい。最近、減りが……異常です」
『……はむ……はむはむ……』
「異常? どういうこと?」
「それが、昨日補充した肉、野菜、パン、全部なくなっておりました」
「全部? まじで?」
『もぐもぐ……んーー!』
「はい。全てです。……いや、厳密には、一つ残っておりますか……」
「なに、その含みのある感じ」
サエキさんは腕を組んだまま、一つため息を吐くと、深刻そうに口を開く。
「その一つですが……。魔王様の好きな魚肉ソーセージでございます」
「…………」
「…………」
「……なんか、気分悪いな」
「仰ると思いました。ただ、事実です」
『はむっ……むぐむぐ……ごくっ』
いや、気付いてる。気づいてるんだ。 さっきから―――いや、サエキさんが来る前から、鍋をかき混ぜるグルドの横で、一心不乱に物食ってるツバキの姿を……。
「ふむ……」
というか、サエキさんもチラッチラ、ツバキの事見てるし、気付いてるんだ。全く眼中無く鍋掻き回してるグルドと、全くバレてないと思ってる中身赤子のツバキ以外、俺とサエキさんは気付いてるんだ!
でも、言えるわけない!
赤ちゃんなんだもの!
叱ったり、取り上げようものなら、ものっすごい泣くんだもの! 可哀そうだ!!
「なら……よし。じゃあ、グルド。……臭いから、お前―――」
「おぉぉう! 任せぇぇい! 行ってくるぅ! わぁっはは!」
二言返事どころか半言返事で了承したグルドが、
鍋を置いて立ち上がった瞬間だった。
―――カチッ。
空気が固まるような音がして、世界が止まった。
グルドは立ち上がった姿勢のまま静止し、ツバキは口いっぱいにパンを詰めたまま『んむっ』の形で固まっている。
「……ミリーか?」
「そうなんねー」
玉座の後ろから、いつもの調子でミリーが現れる。
だが声のトーンは、いつもより少しだけ低い。
「魔王。ちょっと話すんね」
「なんだよ。知ってるだろうけど、今、ちょっと取り込み中だったりするぞ」
「話したいのはまさに、それなんね」
ミリーは俺の横に立ち、固まってるツバキを指差す。
「魔王は、ツバキちゃんを叱れないんね」
「うん。まあ、赤ちゃんだし……」
「赤ちゃんでも、やっていいことと悪いことはあるんね」
「……」
「魔王も、当然、分かってるんね。……なのに、見過ごして、関係ないグルドさんに全部押し付けてるんね」
胸の奥が、ズキッと痛む。
「いや、押し付けてるつもりは……」
「あるんね」
ミリーは淡々と言う。怒るわけでもなく、ただ、事実を突きつけてくる。
「グルドさんは、見た目によらず優しいんね。魔王の為ならなんでもしてくれる。でも、魔王はそれに当たり前になり過ぎて、感謝もなく、ただ、ツバキちゃんのために動いてるんね。まあ……」
ミリーはツバキへ歩み寄ると、パンパンに固まった頬をつつく。
「確かに、この子は、普段、お利口で可愛いんね。……でも、ダメなものはダメ。泣くのが怖いからって甘やかすのは、魔王以前に、育てる側として、よくないんね」
「……」
「それに、グルドさんにだけ負担が増えるのも、魔王の軍として、国として……よくないんね」
ミリーの言葉の全てが、胸のど真ん中にぶっ刺さる。
「あぁ……」
グルドはバカだし、うるさいし、やめろってのに毎朝、激臭鍋掻き回すし、うるさいし、ツバキ泣かせるし、サエキさん驚かせるし、床抜けるし、天井壊すし、語尾が長いし、うざったいったりゃありゃしない。
でも……ミリーの言う通り、いつも俺のために動いてくれてる。
「……そうだな」
自分でも驚くほど素直に言葉が出た。
「確かに、甘やかすのは、良くないな」
「そうなんね」
「それと……なんか、完全には素直になりきれんけど、でも、グルドにも、少しは感謝しないとな……」
ミリーは小さく頷く。
「わかったなら、いいんね。それでこそ、魔王なんね」
―――カチッ。
世界が動き出す。
「わぁっはは! ではぁ、行ってくるぅぅ!」
「んむっ! んむむむむ!」
グルドは胸を張り、黒マントをバサァッと翻しながら、玉座の間を出ていき、ツバキはパンを飲み込むと、また新しい食べ物に手を伸ばす。
「…………」
化け物だらけのおどろおどろしい魔界の城と言えど、躾は必要か……。
―――人間界・商店街。
「ふぅぅむ。今日もぉぉ、良い天気ぃぃだぁぁなぁぁ!」
グルドは、3メートル超えの巨体を揺らしながら、ご機嫌に歩いていた。
その背後では―――
「ひっ……!?」
「な、なんだあの化け物……」
「目を合わせるな……殺されるぞ……!」
通行人が全員、道の端に避けていく。
「はぁっはは!」
だが、本人はまったく気づいていない。
「おぉぉう? 今日はぁぁ、ん肉がぁ安いぃぃ!」
グルドは精肉店の前で立ち止まり、ショーケースを覗き込む。
「ぁ……ぁぁ……」
店主は震えながら固まっていた。
「こ、こ、こ、こんにち、は……ぁ……」
「おぉぉう! こんにちはぁぁ!」
グルドは満面の笑みで返す。……が、その笑顔が凶悪すぎて、店主はさらに青ざめる。
「こ、こここ、こちら……ほ、本日……特売で……」
「ほぉぉう! 良い肉ぅぅだぁぁなぁぁ!」
グルドは店主の肩をバンッと叩いた。
「ぎゃっ!!」
店主はその場で崩れ落ちた。
肩の骨がミシッと音を立てた気がする。
「ん? どうしたぁぁ? 元気がぁぁないぞぉぉ?」
「い、いえ……だ、大丈夫です……」
絶対大丈夫じゃない……! と、周囲の客は全員、遠巻きに見て、当然、誰も近づきやしない。
「ではぁぁ、この肉ぅぅとぉ、この肉ぅぅとぉ、この肉ぅぅとぉ……」
店主はグルドの指を震えながら目で追う。
「え、えっと、あの、ぜ、全部……ですか……?」
「うむぅぅ! 魔王様のぉぉ、朝飯だぁぁ!」
魔王、絶対ドラゴンみたいな大きさの化け物だっ……!
と、店主は想像し、青ざめ、震える手をなんとか抑えつつも、絶対に落とさない様、最大限の注意を払って袋に肉を詰めていく。
「おぉぉう! ありがとぉぉう!」
グルドは数えることもせず、金の入った大きな布袋を置くと、肉の詰まった袋を両手に去っていく。
「あ、あの、お、お釣りを……」
「わぁっはは!」
全く聞こえていないグルドに、店主は泣きそうになりながら頭を下げた。客商売としては勘定はきっちりとしないといけない。
だが、グルドに至っては、もう、1秒でも、関わるのが無理だった。
「……が、とう……ございます……また、お越しください……」
消え入る声で思ってもいないことを口にしながら、頭を下げ続ける店主に気づくことなく、グルドは、のっしのっしと上機嫌で商店街を歩んでいく。
「ふぅぅむ。今日もぉぉ、良い買い物ぉぉだったぁぁ!」
来た時同様、通行人は全員、道を開ける。
「ひぃっ……!」
「戻ってきたっ……!」
「ばか、目を合わせるな……!」
グルドは胸を張っていた。
「人間界にぃぃ溶け込むのはぁ、簡単だぁああ!」
本人だけだがそう思ってるのは、一目瞭然だったが、当然のことながら誰もつっこもことはなく、グルドは上機嫌で去っていくのだった。
―――魔界・城門前。
「ただいまぁぁぁ! わぁっはは!」
グルドの野太い声が玉座まで響いてきたので、俺とサエキさんは城門へ向かった。
「おぉ、帰ってきたか。……って、おい」
「うわ、うわっ……! ちょっと、あれっ……」
珍しく感情露わにドン引きなサエキさんの指さす方。
グルドの背後に―――。
犬。
猫。
犬。
猫。
猫。
犬。
そして何故か羊。
大名行列のようにズラァァァッと並んでついてきていた。
「わぁぁぁっはは! 帰ったぁぞぉおお!」
グルドは満面の笑みで振り返り、犬の頭をワシャワシャ撫でる。 犬は尻尾をブンブン振って喜んでいる。
「……なに連れてきてんだよ」
「ついてきたぁぁのだぁぁ!」
「いや、勝手に付いてくるわけないだろ! 特にお前みたいな凶悪な見た目の奴に!」
サエキさんも困惑している。
「ああ、ああ……これは……様々な肉が……大量に……歩いて……」
「なんで、羊までいんだ……」
羊は「めぇぇ」と鳴きながらグルドの足にすり寄っている。
「腹ぁ空かせてそうだったから、食い物ぉ、少しやったらぁ、付いてきたぁぁ」
「付いてきたって、レベルじゃねえぞ。……お前、どんだけ配り歩いたんだ。……どんな、ドラ〇エだ。馬鹿野郎」
グルドは胸を張る。
「我はぁぁ、小さき者がぁぁぁ、大好きだぁぁぁあ!」
グルドがただ好きなだけじゃなく、動物たちもテンション高めで懐いてるし、同じ人型には恐れおののかれるってのに、不思議な光景過ぎる……。なんだこれ。ほんと。
「はぁ……」
動物の中心で高笑いするグルドの姿にため息が出た。
―――その時だった。
「うおぉお! おぶぅっ!!」
ツバキが全力で走ってきた。
犬を見る。
猫を見る。
羊を見る。
「うぉおぶぅぅぅぅぅぅぅ!!」
テンションが爆発した。
ツバキは猫に抱きつき、犬に抱きつき、羊に抱きつき、 全員に同時にスリスリしようとして転がる。
「うわぁあ! なんかツバキアクティブっ! ちょっ、おまえ、落ち着け!」
「おぶぅぅぅぅぅぅ!!」
駄目だ。完全に“初めて見るモフモフ”に脳が焼かれている。
しかも、グルド同様に、ツバキも犬、猫、羊に懐かれてるっ。
っつうか、ツバキが懐いていってる? え、どっち、わかんないわかんない。
「魔王様……これは……食糧庫の問題どころでは……」
「あぁ……やばいな。食糧買いにいって、逆に摂取量増えたって。……なんだこれ、ほんと……」
グルドは依然、誇らしげに胸を張る。
「わぁっはは! 良い買い物ぉぉだったぁぁ!」
「やっぱ……やめだ……」
この瞬間、俺は、グルドへ、少しでも感謝と詫びを述べようとした気持ちを、即、心のダストボックスへぶん投げ、圧縮するように上から更に押しつけた。
―――深夜。魔王城。
「……んぶ」
ツバキが、薄暗い廊下をそろりそろりと歩いていた。
いや、“歩いている”というより―――。
「んふんふ……」
大人の身体まま、赤ちゃんのハイハイを再現しているせいで、
妙に迫力のある四つん這い移動だ。
「んぶぅ……」
床に敷いた古いカーペットが、ツバキの膝と肘で
ズリズリと音を立てる。
静かな夜の魔王城に、その音だけが響いていた。
「むぅぅっ……」
―――目的地はただ一つ。
食糧庫。
ツバキの脳内は、“おいしいもの”と“それが、いっぱいあるところ”という赤ちゃん的イメージでいっぱいだ。
「ん……んぶっ」
角を曲がるたびに、ツバキは壁に肩をぶつける。
俊敏だが、大人の身体で赤ちゃんの動きをしている為、とにかく大きな音を立て、隠密行動にはなっていない。
「んっ……んぶぅ」
痛いのか痛くないのか分からない表情。だが、しかし目的は揺るがない。
「ふ、わぁあっ……」
―――食糧庫の前に到着。
ツバキはテンション高く立ち上がり、ドアノブに手を伸ばす。
「ひやぁぁぁ」
扉は何事もなく開き、ツバキの目はキラッと輝く。
「んぶぅぅぅぅ……!」
中は真っ暗だが、ツバキには関係ない。
赤ちゃん特有の“食べ物センサー”だけで動いている。
「ふぅうっ……!」
ツバキは両手を広げて―――。
「んぶぅぅぅぅぅ!!」
勢いよく食糧庫へ飛び込んだ。
「んむぅっ………!」
……が。次の瞬間、ツバキの動きが止まる。
「ふ……ぅ……?」
棚を見上げる。
そこに並んでいたのは―――
魚肉ソーセージ。
魚肉ソーセージ。
魚肉ソーセージ。
魚肉ソーセージ。
整然と、完璧に、魚肉ソーセージだけ。
ツバキの顔が、ゆっくりと歪む。
「……ん……んん……」
唇が震え始める。
「……ん゛……ん゛ん゛ん゛……」
そして―――
「いぎゃあああああああああああああああああああああ!!」
―――食糧庫前。
目の前の扉から城全体にツバキの鳴き声が響いている。
『ぎゃああああああああああああああああ!!』
簡素に見えるが骨で出来てる強固な鍵。
矛盾してるが、回した感じ結構丈夫そうなカギだ。
「ふっ……好き嫌いは良くないからな」
確認せずとも施錠はできたのは手の振動と微かな音で分かる。
『ぎゃああああああああああああああああああ!!』
中からは、さらに大きな泣き声が上がるが、ここは俺も少しは、鬼、いや、魔王となり歩を止めることはしない。
……ま、今日は魚肉ソーセージと寝ておくれ。ツバキ。
「しっかし……」
ポケットからオレンジの色の、個人的にテンション上がる細長い棒状のものを取り出し、包装を破る。
「むしゃ……美味しい……の、になぁ……なんで、ここの皆は嫌いなんだろ」
一口、もう一口とかじる。
「もぐもぐ……」
うん。うまい。
どこまでも、うまい。ヘルシーで最強。
『ぎゃああああああああああああああああああ!!』
ツバキの泣き声は依然、背中に感じるが、俺は魔王。戻りはしない。
「……ま、これも必要なことだ。許せ、ツバキ」
魔王城の明けない夜は長い。




