ちゃんあかが置かれてた。
それは俺が、玉座の間で煙草を吸っていた時だった。
「ふぅー……ふぁ……ぁっ……ふぅぅ……ねむぅ……」
本来なら城の、ましてや玉座で煙草を吸うなんて事駄目なんだろうってことは、常識って訳ではないが、なんか共通認識として理解している所はある。だが、ここは魔界だ。禍々しい紫色の空に稲光がどこかしでも光ってるどす黒い雲が流れ、草木は無く、枯れ果て、今までやって来ては殺害されたであろう侵略者の血を幾箇所も吸い込み黒ずんだ大地。そこへ殆どの材料を骨で形成されそびえ立つ魔王の城。そもそも、人間が住む所ではない。故に人間の常識なんてものもなんの意味も持ちはしない。
「ふんふんふ~ん」
それに、一応、俺の部下、家臣、いや、家来、右腕……?
まあ、なんかとりあえず俺を慕って言うことを聞く、オーガとヴァンパイアのハーフである3メートル超えの、名をグルド・ア・アランという大男も、先程から小汚ない鍋で激臭を放つ緑のドロドロした液体をご機嫌そうに鼻唄混じりで掻き回していたりするから、煙草がどうとかいうマナーは全く考えないでよさそうだ。
「つうか、グルド。くせぇって。4度目だぞ、言うの」
「我はぁ、今日ぉぉ、ん朝御飯をぉ、ん食べてぇいないのだぁ。わぁっはは」
こいつの、野太い声でいちいち言葉度に溜めが入るアクセントは未だに慣れず、ピクッと何かを刺激される。
あと、大概、語尾に入る『わぁっはは』って笑いも同様だ。
「いや、それも4回聞いたって。俺が言いたいのは、ソレを早くどうにかして欲しいんだよ」
「まだだぁ。少しだけでぃぃ、あともう少しぃぃ。一緒に居たいぃ」
「いや、一緒に居たいってなんだお前それ。飯だろ。つうか、映画観たことある?」
「映画ぁ? なぁんだそれぇぇ」
グルドがそう言ったとき、慌ただしい足音と共に、扉が、これまた人骨の腕の骨を隙間無く幾重にも並べて作った趣味の悪い扉が開かれる。
「魔王様、会議中申し訳ありません! ですが、是非お耳に入れたいことがーーーくっさぁぁぁぁっ! なにこの臭いっ!」
「おぉぉう? 臭いぃ?」
「あ、いえ、すいません。グルド様でしたかーーーっいや、やっぱくさぁっ! この部屋臭ってやがるよ!!」
急いでやってきたのは、俺がここに来る前から城の至る所に沢山居る骸骨兵士達を束ねる、骸骨兵長ボーンヌ・サエキさんだった。
見てわかる通り、素直で嘘は付けない信頼できる骸骨だ。
「そぉんなにぃ、臭いかぁぁ?」
「うん。サエキさんは全くもって正しい」
「そぉうかぁぁ。わぁっはは」
「いや、だから食うなり捨てるなり早くしろよお前。笑ってんじゃねえ。同じ魔界生まれで嗅覚あるか分からないサエキさんですら臭がるって相当だぞ」
ったく、マイペースバカ筋肉めが。
「それで、サエキさん。お耳に入れたいことってなに?」
「あ、そうでしたっ。実はーーー」
「お耳にぃぃ入れるぅぅぅ!? どうぉぅやぁってぇぇぇ!?」
「お前、ちょっと黙って死んで」
グルドを無視して語るようサエキさん言うと、事態を説明してくれたのだが……。
「んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!」
「えぇっと、これが? 門の所に……これが?」
「そうです。今しがた、城周辺の見張り番が見つけたようで、私も駆けつけた所、何やら箱に、人間界で使われてそうな、なんと言ったらいいんでしょうか……あの、段ボールに入れられて置かれてました」
「知ってるよねサエキさん。段ボールっておもいっきり言ってるんだけど」
「段ボール? 段ボールとはなんでございましょうか? あの、八百屋さんにあって、キャベツとかって書いてありそうな響きでございますが、わかりません」
「ねえ、サエキさん。なんでそうやって、おもいっきり知ってるのに知らないふりするの毎回」
「いえ、知りません。それよりも、いかがなさいますか?」
絶対、バッサリと知らないふりすんのなんなんだろうこの人。いや、元人か。
「ん~。どうするって言ってもな」
「んぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああはぁあああああああ!!」
「くっそ泣いてるしな……。あと、ここ魔界だし。単純に育てられんのじゃないか」
どうして赤子なんかが、こんな魔界とかいう禍々しい世界の、これまた禍々しい城の門なんかに置かれてたんだろうかな。
つうか、そもそもなんの繋がりもない人間がこんなところに来れたのも謎だし、こんな所に来る前に人間界で引き取ってくれる場所や、置き去りにできる場所いくらでもあっただろ。
「あぁ、なんか腹立つな……。ほんとある世代から親ってやつの精神年齢も下がってやがるんだよな。物みてえに捨てやがってさ。かといって、育ててるかと思えば、ガキがガキ育ててるみたいな感じで躾できてなくてさ、ぎゃーぎゃー騒いでるの止めもせず、なにか言えば子供のすることだからって、それ言えば許してもらえるとか思ってやがってよ、バカじゃねえのほんと」
「スーパーとかでもほんと迷惑な、殆ど猿化してるのよく走り回ってますよね」
「そうそう。っていうか、サエキさんスーパー行くんだ」
「知りません」
やっぱ知らないふりするんだな……。
いや、しかし、どうするか……。
育てる義理もねえし、そもそもこんな所じゃ育てるなんて事、不可能だ。
「う~ん……」
ぼんやりと段ボールの中、腕と脚をこれでもかとバタつかせて力一杯泣いている赤子へと目を向けていると、何故だか、急に赤子の身体が浮き上がる。
「おぉぉうおうおう。どぉして泣ぁいておるんだぁ」
「あ、ちょっ、グルドっ。お前は一番抱っこするなっ」
そういっても、バカなグルドは当然ながらやめはしない。
右手をクイクイと自分の方へ動かし、近くまで浮遊しながらやって来た赤子をとうとう抱っこしてしまう。
「おい、いいから今すぐ戻せ。泣くから、出すもん全部だして更に泣くからっ」
「我はぁ、ん泣ぁき止ましぃかたをぉ、知ぃってぇいるぅぅ」
「んぎゃぁはぁぁああああああああああああああああああああああああああ!!」
「いや、既にくっそ泣いてるだろっ。お前が知識あるなしは関係ないんだってっ。お前が号泣の象徴だから諦めろっ」
って、止めてるのに……。やっぱバカだから止まってはくれない。
グルドは再び、赤子を魔力で自分の顔の前まで浮かび上がらせると……。
「いなぁいいなぁぁぁぁい……」
「えぇ……お前、そんなベッタベタなやつ……」
一回隠したお前の凶悪な顔をもう一度見せるとかおまえ……。絶対泣くしかねえって。
「ぎゃぁぁっ……ぁぎゃ……ぁ……ぉ……ぉ?」
え……意外にも、赤子も食いついた……。
「いなぁぁぃぃい、いなぁぁぁぁいぃぃぃ……」
「ぉ……ほぉ…………?」
いや、駄目だ。どちらにしろやっぱ、あの凶悪な顔が無くなって泣き止んだとすれば、再び見せたら泣くに決まってる。
だが、止めるには時既に遅し。
「う゛ぅーーー」
グルドの両手は遂にグルドの顔から離れ、その凶悪さが露になろうという所だった。
「う゛るぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああすとぉおおおおおおおおおおおおおおうっ!!!!」
「うっ……ぎぃやぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
「死ねぇえええええええ! お前なにやってんだぁぁあああ!!」
「あ、あぁ……が……ガタタ……ガガ……タ……」
「ああ! お前、どうすんだよ! サエキさん、驚きすぎて、バラバラで悶絶してるじゃねえか!」
くっそ凶悪な奴がくそ驚かしてどうするつもりなんだこいつっ。赤子殺す気かっ。
というか、サエキさんのが驚きに弱いってどういう事だっ。
「はぁっはっはっはぁ。冗談だぁじょぉうだん。チビることはなぁぁい」
「ばか野郎っ。まだギャン泣きとしょんべん漏らしで済んでよかった方だろっ。本当ならショック死しとるわっ」
赤ん坊以前に、大人の人間でも死に至るレベルの見た目って事、自分でわかれってのっ。
「ぁあああああぎゃぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「はぁっはは。うるさぁぁい。なくなぁあ」
「いや、お前が泣かしたんだろうがっ。ほんと、なにがしたかったんだお前っ」
「んではぁ、お遊びはぁこれまでぇ。本当ぉに泣き止ましてやろぉぅ」
「いや、もうやめろっ! これ以上何かすると赤子もサエキさんみたいになるっ!」
サエキさんが立っていた場所に視線を向けると、さっきまで金色の兜と鎧を身に付けてた骸骨兵長はそこには居ない。
あるのはただ、地面に転がる兜と鎧と槍と屍だ。
「んではぁ、暫しぃそこに居れぇい」
「おーいおい! お前マジでもうやめろって! というか赤ちゃん床に置くな!」
もう見てられん、と、玉座から腰を浮かし、グルドの方へと歩み寄って行った時……。
「ほぉうれぇぇい」
グルドが右手の親指と人差し指で音を鳴らし、刹那、赤子の身体は光に包まれる。
「おいぃいいいい! だからいらんことすんなっていったろ! なにやったんだこのばかっ!!」
「なぁにぃ、泣かないようぉうにしたのだぁ」
グルドがそう言って振り返り、邪悪な笑顔を向けて来た瞬間に、気付く。
さっきまでのギャン鳴き声が綺麗さっぱり聞こえなくなってたことに……。
「は? お前……召したって……のか……?」
こいつはバカだが、結局は魔界生まれの悪だ。
武術の方が長けているとはいえ、魔術も使えるわけで、少なくとも赤子一人を消し去るなんて事は容易な程の魔力は持っている。
「召すとはぁ、これまたぁ、洒落た言葉でぇあるなぁぁ」
「ふざけんなよ、お前……。なにも殺すことはないだろっ……」
魔界のしかも王なんてやってるのにおかしな話だとは思うが、この時の俺はまだ人間としての気持ちもあったようで、本気でグルドへの怒りが湧いていた。
「殺すぅ? なぁんのことだぁ?」
グルドのこの返しと、グルドの前、赤子が置かれた床を見るまでは……。
「ん……ぁ……」
何故だろうか……。
赤子がいた場所に今、黒髪長髪の大人の女性があられもない姿で横たわっている……。
「いや、ごめん。殺したとかって言ったことと、お前に本気でムカついた事は謝る。……けど、これはなんだ……」
物凄い久々に見た女性の裸体に何かを刺激されそうになるが、そこは抑えて、付けている黒いマントを外す。
「なぁにって、さっきの赤ん坊ぉをぉ、成長させたのだぁ」
「はっ……!」
グルドの言葉に、マントを女性に掛けてやったままの姿勢で俺の動きは止まった。
「せい……ちょう……。え、なに、この子は……あの子……?」
「大人にぃなればぁ、泣きはせぇん」
「そう、か……確かに、まあ、そう……か……」
玉座から遠目だったし、わからんかったが……女の子だったんだ。あの赤子。
「ふむ……いや、しかし……結構、綺麗な女性に成長したもんだな」
もう一度言うが、女性の裸を見るのはかんなり久しぶりだ。だから、顔付近以外は正直見れん。
バカで魔物とはいえ、ある部分が元気になった姿をグルドに見られるのも恥ずかしいし。
「ほ……お……?」
「あ……」
赤子(だった人)の顔を眺めて見ると、丁度、目を覚ましたらしく目が合う。
「おはよう。なんか、ごめんね色々と、このバカが」
刺激しないよう、努めて、穏やかに微笑みながら赤子(だった人)にそう言葉を掛ける。
「ぅ……ぅぅ……」
「え、あれ……」
何故だろう。一応まだ人間だし、人間界で暮らしていたときは比較的無害なに奴で通ってた筈なんだが……。
赤子(だった人)は眉間にシワを寄せて目を細め、上唇を噛み……身体を小刻みに震わし始めた。
え、つうか、これって……。
「ぅぅっ……ぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
声質は先程より大人になっただけで、ギャン泣きは変わらず赤ちゃんだ。
「おい、グルド。どういうことだ、これ……」
「はぁっはは。成長ぉうしただけでぇ、中ぁ身はぁ、赤ん坊ぉみたいだぁなぁ」
「あぁ……お前ぇ……やっぱいらんことしたのかぁぁ……」
出会ってから今まで、グルドのせいで頭を抱えた経験は珍しいことじゃなく、なんならいつもだが、この日は特に記憶に残る出来事であり、グルドに失望したのもこの日が一番だったのは間違いない。
これが、俺と彼女が初めて出会った経緯だ。