第3話ー⑬ 異変
「ここ、どこ……?」
目を覚ました優香はそう言って周りを見渡すが、あたりは真っ暗で何も見えなかった。
「もしかして私の心は、完全に崩壊したのかな」
この真っ黒な空間が優香にそう思わせる。
そして意識を失う前に、キリヤが言っていた言葉を思い出す優香。
『――大丈夫。僕は君を受け入れる。ちゃんと君のことを見ているし、これからも隣にいる。だから優香、戻ってきて』
「戻ってきて、か……」
意識を失う前、彼は私のことを受け入れてくれた。本当の能力を知っても、変わらずに優しい言葉をくれた。でもそんな彼にもう会えないかもしれない――
「ちゃんとお礼を言いたいのにな」
優香は膝を抱え、その場に座り込んだ。
「私はこのままどうなってしまうんだろう」
すると、そんな優香の前に誰かが立つ。
優香はその顔を見ようと頭を上げると、そこにいる人物に驚いた。
「え、私……?」
『そう。私はあなた。あなたは私』
どうして私がもう一人――?
「でも、なんで……」
『ここはあなたの心の核。私はあなたの心が作り出した存在』
「私が作り出した?」
『そう。本体であるあなたがここにいると、私はもう用済みになって消えてしまう。そしてそれが暴走後に心が崩壊する原因』
この世界の私が元の世界の心ってことだよね。だからこっちの世界の私が消えることで元の世界にいる私の心が壊れてしまうってことか――。
そう思いながら、頷く優香。
そして一つの世界に同じ存在を留めることはできないってことね。じゃあ、やっぱり私も火山君のように、もう――
「この世界に同じ存在はいられないってことよね。じゃあ私は……」
『あなたの言う通り。でもあなたがここに残るのは困る。だから早く元の世界に戻ってくれない?』
「私、戻ってもいいの?」
優香は目を丸くして、もう一人の自分にそう言った。
『……嫌ならいい。私が消えるだけ。そしてあなたはもうキリヤ君に二度と会うことはない。ただそれだけのこと』
「それは嫌だな」
『じゃあ早く帰って。まだ時間はあるから』
そしてもう一人の優香が指をさすと、その方にトンネルができた。
『そこを通ると、戻れるよ』
「ありがとう。じゃあ私はこれで……」
優香が帰ろうとトンネルの方を向くと、そこには一人の女性が立っていた。
「お母さん……なんで」
優香は突然現れた母を前に、恐怖で委縮してしまい動けなくなった。それから母は何も言わず、優香の方に向かって歩く。
(何を、するつもりなの……)
優香は息を飲み、その場で立ちすくむ。
そして母は優香の前で止まると、そっと優香の背中に手をまわした。
「え……」
突然のことで、優香は頭が追い付かなかった。
私、今お母さんにハグをされている――?
「お母さん、これは何……?」
「ごめんね、お母さんらしいことを何もして上げられなくて。本当は、ちゃんとしなくちゃって思っていたのに、いつも優香に苦労ばかり掛けてた」
優香の母は優香を抱きしめたまま、優しい声でそう告げた。
「許してほしいとは思ってないよ。でもこれから先、優香は好きなように生きなさい。私のことはもう気にしなくてもいいから。私のせいでこれ以上苦しむ優香を見たくないの」
優香は自分の耳を疑った。自分の知っている母がそんな言葉を言うはずがないと思っていたからだった。
「お母さんはそんなこと言わない。私に言うわけない……」
『これはお母さんの心の奥底にあった気持ちだよ。そうでしょ?』
もう一人の優香は、隣にいる誰かに問いかけていた。
優香がその方に目を向けると、そこには真っ黒な大蜘蛛の姿があった。
「蜘蛛……」
『この子が教えてくれたよ。母を殺めてしまったあの日、この子がお母さんの心理を読み取った。だからここにいるお母さんは、心の中でそう思っていた姿を具現化させたもの』
もう一人の優香は微笑みながらそう言った。
「じゃあ、あれはお母さんの本心ってこと……?」
『そう』
それを聞いた優香は目の前にいる母親を見つめた。
そして優香の顔を見て、微笑む母。
「お母さん……そうだったんだね。私もごめん。良い子でいられなくて。私がもっとちゃんと良い子にしていたら、お母さんのこと――」
「優香は悪くない。悪いのはお母さんだよ。辛いときに寄り添えなくてごめんね。優しく抱きしめることができなくてごめんね……。ずっと優香に謝りたかった。だからまたこうして会えて、本当に良かった……」
そう言って母は優香の頭を優しく撫でた。
「お母さん……お母さん!!」
「もう一人の優香もありがとう。また優香と話すきっかけをくれて」
優香の母はもう一人の優香にそう言って笑った。
『ううん。私もお母さんの笑顔が見られて嬉しかったよ。……じゃあそろそろ時間だから、早く戻って。大切な人が待っているんだから』
そして優香は頷き、再び母をぎゅっと抱きしめてからもう一人の優香が作ったトンネルの中へ入っていった。
私は元の世界で新しい私を始めるよ。ありがとう、お母さん。ずっとずっと大好きだから――。
そして再び意識が途切れる優香だった。
「ん……」
優香は目を覚ますと、自分がベッドで眠っていたことを知った。
「そっか、私……あれから眠って――」
身体の左側に少し重さを感じた優香はその方に目を向けると、キリヤが自分の手をしっかり握ったまま眠っている姿が目に映った。
「綺麗な顔だな……」
優香はそんなことを呟き、その頬をつつく。
するとくすぐったかったのか、キリヤはぴくっと動き、再び寝息を立てて眠った。
「こういうところが好きなんだよね。しっかりしているように見えて、意外と子供っぽいんだから」
――今はこのまま寝かしておいてあげよう。それに……このままキリヤ君の寝顔を見ていたいかな。
そして優香はキリヤが目を覚ますまで、その寝顔を楽しんだのだった――。
数分後、キリヤは目をこすりながら顔を上げる。
「おはよ、キリヤ君」
優香が身体を起こした状態で笑いながらそう言うと、それを見たキリヤは立ちあがり、優香の身体を抱きしめた。
「ちょっと!? キリヤ君!!!?」
急なことで驚き、赤面する優香。
「よかった……。もう目を覚まさないんじゃないかと思って、心配したんだよ」
「目を覚まさないわけないでしょ。だってキリヤ君の隣に立つのは私だけなんだから」
「うん、そうだね」
そして優香達は微笑みあったのだった。