第3話ー⑧ 異変
キリヤはいつもと違う優香のことが心配で、様子を見に行くために優香の部屋に向かっていた。
その途中。キリヤはゆめかと廊下ですれ違った。
「やあ、君も優香君のところへ行くのかい?」
『君も』という事は、さっきまで白銀さんは優香のところへ行っていたのだろうと察するキリヤ。
あまり浮かない顔から察するに、カウンセラーである白銀さんでも優香に何もできなかったんだろうな――。
そんなことを思いながら、
「はい。僕に何ができるのかはわかりませんが、僕は今自分ができることをやりたいんです」
とキリヤはそう言った。
そしてゆめかはその言葉に少し驚いた表情をしてから、優しく微笑む。
「私の言葉よりも今の君の言葉の方が、きっと優香君は喜ぶんじゃないかな」
そう言いながら、ゆめかは去っていった。
それからキリヤは、去っていくゆめかの背中をしばらく見つめた。
(頑張れって言われているような気がする――)
キリヤはゆめかの背中を見ながら、そんなことを思ったのだった。
「うん。頑張ろう。僕にできることをするんだ」
それからキリヤは優香の部屋に向かったのだった。
キリヤは優香の部屋の前に着くと、その扉をノックした。しかし優香からの反応はなかった。
「まさかもう寝てるわけ、ないよね」
そしてキリヤはその場で腕を組み、前みたいに優香の部屋を覗き見ていいものか――と頭を悩ませた。
「今度やったら、首に『除き魔です』って札を下げるって言われちゃったしな……うーん」
でもここで何もせずに引き返すより、僕が恥をかく覚悟で部屋を覗き見る方が最悪の事態は防げるのではないかとキリヤはそう思った。
優香も『白雪姫症候群』の能力者。過度なストレスを貯めれば、暴走するリスクが高まることになる。
そして剛の時みたいに家族を失うのはもう嫌だと思っているキリヤは、苦しんでいる優香を救いたいと思ったのだった。
これはきっと僕のわがままだけど、きっと最善なんだ――!
それからキリヤは扉の前に膝をつき、その扉の隙間に手を当てる。そしてその場所から蔓が伸び始めて、その蔓の先から部屋の様子が見えるようになった。
「優香は、どこだ……」
キリヤは部屋の中をぐるりと見渡す。
「いた……」
優香は部屋の端にあるベッドの上で、膝を抱えて座っていた。
「優香……」
キリヤはそんな優香の姿を見て、居ても立っても居られず、あの時のように優香の部屋に入った。
「……誰」
優香は顔を上げずに静かにそう告げる。
「僕だよ」
「そう」
キリヤの言葉に、興味がないと言った感じで返す優香。
いつもの優香なら嬉しそうな顔をしてくれるんだけどな――。
そう思いながら、キリヤは少しさみしく感じた。
「ねえ、優香。本当に何があったの? 心配だよ……。僕でよければ、何でも話して?」
「…………わからない。なんで自分が今、こんな風になってしまっているのか。……怖いんだよ。みんなのことが」
(みんなが怖い……?)
「本当はこうなる前から、たまにみんなを怖く感じることはあったんだ」
(そう、だったんだ。全然気が付かなった。優香はいつも楽しそうに見えたから――)
そう思いながら、黙って優香を見つめるキリヤ。
「でも今は違う。それがずっと続いていて、変な幻聴が聞こえて……。キリヤ君の言葉でさえ、私は恐怖を感じているんだよ! せっかくここでキリヤ君とずっと一緒にいられるようになったのに、私はキリヤ君の足を引っ張ろうとしているんだよ……」
優香はそう言いながら、膝を抱える手に力が入っていた。
それは恐怖からかそれとも別の感情か……今の僕にはわからない――。
「優香、僕は――」
キリヤが優香の傍に寄ろうと足を踏み出すと、
「来ないで!」
優香は強い口調でそう言った。
「放っておいてよ……なんでいつまでもそうやって……」
「優香……?」
「うるさい、うるさい、うるさい!! もう私に付きまとわないでよ!!」
優香は声を荒げてそう言った。
様子がおかしい。その言葉は僕以外の別の誰かに向けられている――?
そう思ったキリヤは周りを見渡す。しかし今いる部屋には自分と優香しかいないことを確認すると、
「優香! ねえ、どうしたの!?」
キリヤは距離を取ったまま優香にそう尋ねた。
「私は……私はっ――」
しかしキリヤのその声は優香には届いていないようだった。
(そう言えば、さっき幻聴がどうとかって……)
「嫌だ、もう嫌なの……。こんな私、私だって嫌なのに。なんでそんなことを言うの――!」
それから優香は急に静かになった。
「優香?」
「……ご、ごめんね。私、今キリヤ君にひどいことを……」
「ううん。そんなことないよ。だから、優香が謝ることなんて何もない。ねえ、僕に話してよ。君がなぜそうなったのかをさ」
キリヤは優香に歩み寄り、優しい声でそう告げた。
「任務の時、あの少年の能力……スライムが手についてね。たぶんその影響なんだと思う」
「スライム……?」
「そう。あの子の能力はスライムを使って、人の心を操ることができるみたい。たぶん私の心も今はあの子の力の影響下にあって、それで心の不調を引き起こしているんだと思うの」
「それ、大丈夫なの!? 早く優香の中にあるスライムを取り除かないと……」
しかしそのスライムは体内のどこにいるのか見当がつかない。あたりをつけて探すにも、サイズを考えるとそれも難しい――。
「どうしたら、いいんだ……」
こんな時、先生ならどうする? 考えろ、考えろ――
「キリヤ君、もういいんだよ。私のことはもう……」
優香は悲しそうな声でそう告げた。
――なんで勝手に諦めようとしているんだよ。
そう思いながら、優香に怒りを覚えるキリヤ。
「そんなこと言わないでよ! 僕は諦めたくない!! 優香のことを助けたいんだ!!」
「なんで? なんで私にそこまでするの? ただ同情して一緒にいるって言っていただけなのに、なんでそんなこと言うの!!」
「それは僕がそうしたいって思っているからだよ! 同情とか憐みの気持ちで一緒にいるって言ったわけじゃない。僕は僕がそうしたいと望んだから、そうしているだけ。だから僕は自分の意思で、優香の隣に居続けるって決めたんだよ」
「…………ありがとう、キリヤ君」
優香は俯いたまま、さっきよりは明るい声でキリヤにそう返したのだった。
(これで少しは気持ちが落ち着いたのかな。そうだったら、いいけど)
落ち着いた優香にほっとしつつも、何一つ変わってはいない現状にキリヤは焦る。このまま放置しておけば、優香が危険だということは明白だったからだ。
(一つだけ、僕は今の優香を救う方法を知っている――)
そしてキリヤは優香を救うそのたった一つの方法を提案する。
「優香、僕たちがいたあの施設に行こう。先生の無効化の能力で、そのスライムの力を無効化するんだ。それしか方法はない」
そして優香はゆっくりと顔を上げて、
「……そうだね。わかった。そうする」
小さな声でそう言った。
「じゃあ明日、八雲さんに車を出してもらおう。なるべく早いほうがいい」
その言葉に優香はうなずいた。
これですべてが元通りになる――キリヤはそう確信していた。
しかし廊下でバタバタと急ぐ足音が聞こえたと思うと、
「優香君、キリヤ君いるかい? 悪いけど、ちょっとミーティングルームに来てくれ!」
そう言いながら、ゆめかが優香の部屋の前に戻って来た。
そしてキリヤと優香は顔を見合わせて頷き、部屋を出た。それからキリヤたちはゆめかと共にミーティングルームへ向かったのだった。




