第2話ー⑨ 湖畔の罠
民宿『ふじやま』前――。
「じゃあ、その子は私の部屋まで運んでくれる?」
優香はキリヤが背負う少女を見ながらそう告げた。
「わかった。でも、それだとずっと優香が見ていないといけなくなるよね。大丈夫なの? 僕の部屋で面倒をみてもいいんだよ?」
「それはいいから! キリヤ君は、何も気にしなくていいのっ!!」
必死にそう告げる優香。
「え、でも――」
「それとも何? この子と一緒に寝たいとか、そんなこと考えているわけ?」
優香はそう言って、鋭い視線をキリヤに向ける。
「そ、そんなじゃなくて! ただ優香の負担にならないかなって……」
「ま、まあそういう事なら、ありがとう。でも本当に私が見てるから大丈夫だよ。だって明日には研究所に戻るわけだし。今夜だけでしょ?」
確かに今夜だけとは言うけどさ。でも、優香だってさっきいろいろあって疲れているんじゃないのかな――
そんなことを思いながら、微笑む優香を見つめるキリヤ。
「優香がそう言うなら……まあでもそう簡単には目を覚まさないと思うから、優香も夜はちゃんと休んでね」
キリヤは心配そうな顔でそう言った。
「うん。ありがとう! でも、何をしたの? こんなにぐっすり眠っているけど……」
「ああ、うん。えっとね……前に話した『吸血草の種』を使ったんだ。思っていたよりずっと威力を発揮していたよ」
そう言っているうちに優香の部屋に着き、少女を布団に寝かせるキリヤ。
「ああ、あれね! できた時に嬉しすぎて、ずっと熱弁していたあの種、ね」
優香は楽しそうに笑ってそう言った。
そんな優香を見て、顔を真っ赤にしたキリヤは、
「も、もう! その時のことはやめてってば! でもだってさ、偶然すごい力を持った種ができてくると思わないでしょ?」
胸の前で両手の拳を小さく上下しながらそう言った。
「あはは。そうだね! ……でもそういう能力っていいね。間接的な力だと、可能性がどんどん広がっていく気がする」
そう言って悲し気な顔をする優香。
「でも優香の能力だってすごいじゃないか! 僕の能力よりもずっと強くて、多くの人たちを救えるんだから……僕もそういう能力だったらな――」
「良いわけないよっ!」
突然大きな声でそう言う優香。
「ゆ、優香?」
「こんな力……良いわけない。私だって本当はこんな力……」
優香はそう言って俯いた。
「あ、ごめん。優香は自分の力のこと、あまり好きじゃなかったよね。僕、無神経なことを……」
「ち、違うの……そうじゃないの」
これ以上、この話を続けるのは優香も嫌だよね。話題を変えよう――キリヤはそう思い、ふと先ほどの翔との会話を思い出した。
「……そういえば、さっき翔君が言っていたんだけど、『ゼンシンノウリョクシャ』って知ってる?」
その問いに優香ははっとしてキリヤの顔を見た。
その表情を見たキリヤは、優香が何かを知っていることを察する。
「話してくれないかな。僕、知りたいんだよ。その『ゼンシンノウリョクシャ』って言うのが何なのか」
「…………いつかは話さなくちゃって思っていたの。でも君からそう言ってくるとは思いもしなかった。わかった、話すよ。『ゼンシンノウリョクシャ』のことを――」
それから優香は暁とミケと会った時のことを話した。そして自分と暁が『ゼンシンノウリョクシャ』であること、そしていつか自分がヒトでいられなくなることを告げた。
「前にキリヤ君が気にしていた夢の話があったよね」
「深層心理の世界にいる、自分のこと……?」
「うん。私と暁先生がそのことを覚えていないのは、『ゼンシンノウリョクシャ』だからなんだって。だから特別だったのは、私達だった」
悲し気な顔でそう微笑む優香。
そしてキリヤはなぜさっきの会話の中で優香が声を荒げて怒ったのかをようやく理解した。
自分はいつかヒトではいられなくなる。それがきっと不安で優香は――
「…………施設に戻ろう」
キリヤはぽつんとそう呟いた。
「……戻らない。この話をすれば、君は絶対にそう言うと思っていたよ。私が能力を使わずに済むように、先生の能力下で少しでも蜘蛛化を遅らせるように施設へ戻ろうって」
「じゃあ――!」
「でも私は戻らない。ヒトである限り、キリヤ君と一緒にいたい。キリヤ君のやりたいことを支えたいから!!」
「でも! でもそれじゃ、優香が――僕、嫌だよ!! これからもずっと優香と一緒にいたい! 優香がいないのは嫌だ!! だったら、僕のやりたいことなんて――」
キリヤの頬を打つ優香。
そしてキリヤはそれが一瞬の出来事で何が起きたのかわからず、目を丸くした。
「君のやりたいことってそんな簡単に諦められるものだったの? 今でも困っている子供たちは大勢いて、私達の助けを待っているかもしれない。助けを呼びたいのに、怖くて手を伸ばせない子供がいるかもしれない。そんな子供たちを救いたくて、君は『グリム』に入ったんじゃないの?」
「そうだけど、でも――」
「だったら、君は君しかできないことをやるべきだよ! 君じゃなきゃ救えない子がいる。君の助けを今か今かと待っている子もいる……私なんかのために、君が救えるはずの子供たちの未来を奪わないでよ!!」
「……優香」
キリヤが優香の顔を見ると、その目には涙が溜まっていた。
僕以上に優香の方が不安なはずなんだ。きっと先のことを考えて、怖く思っているはずなんだ。それでも僕が進む路を共に歩きたいと言ってくれている――
「ごめん。僕、間違ってた。優香の気持ちをもっと尊重すべきだったね」
「……」
「でも優香のことが心配だって気持ちは変わらない。だから約束して? 無理はしないって。少しでも異変を感じたら、任務から外れるって」
僕はただ優香が心配なだけなんだ。だから、この条件だけは譲れない――
そう思いながら、キリヤは優香を見つめた。
「……わかった。約束する。嘘はつかない。これから何か違和感があれば、ちゃんとキリヤ君に相談する」
「ありがとう、優香」
「ううん。ごめん、私……わがまま言って」
そう言って俯く優香。
「そんなことないよ。優香の言う通りだと思った。僕、また間違った選択するところだったよ」
そしてふと慎太のことを思い出すキリヤ。
「慎太みたいな子を増やさないために、僕は――」
「1人じゃないからね。私がそばにいるから。最後の瞬間まで」
そう言って微笑む優香。
「ありがとう。でも……僕は優香がいなくなるのは、本当に嫌だって思ってる。誰でもいいんじゃなくて、僕は優香じゃなきゃダメなんだよ」
キリヤがそう言って優香の顔をまっすぐに見ると、
「ちょ、何恥ずかしいこと言ってるの!? そういうの勘違いしちゃうから、簡単に言わないでよ!!」
優香は赤面しながらそう答えた。
「へ!? か、勘違い? 僕は本心を言っているだけなんだけど――?」
「も、もういいから!! そういえば、そろそろ夕食の時間じゃない? お昼は食べそびれちゃったし、お腹空いたなあ」
優香はそう言って部屋を出て行った。
「あはは。元気そうでよかった」
それからキリヤは優香の出て行った扉をじっと見つめた。そして優香から聞いた『ゼンシンノウリョクシャ』のことを思い出す。
「優香がいつかいなくなる、か……」
キリヤはそう呟いた。
急にそんなことを言われても、実感がわかないよ――
それからキリヤは自分の身体の違和感に気が付く。
「こんなに胸がざわつくのはなんでだろう」
寂しさ、なのかな――そんなことを思いながら、キリヤは胸に拳を押し当てたのだった。




