第六話 彩芽君、お風呂に入る
夕ごはんに舌鼓を打ち、桜井さんと一つ約束をした僕は現在、シンクで洗い物を行っていた。
「桜井さんの身長じゃちょっと厳しいからね」
一方桜井さんはお風呂の準備をしていた。
正直浴槽に落ちそうで心配だけど、そこは桜井さんを信じよう。
何故僕が食器を洗い、桜井さんがお風呂の準備をしているか。
話は食事中に遡る。
「桜井さん、汗結構出てるけど大丈夫?」
甘口のカレーを食べ、汗が出ていた桜井さん。
きっと代謝がいいのだろう。
「はい! 大丈夫です!」
「そう。まだ寒いからそれだけ汗かくと風邪引くだろうから、早めにお風呂行ってね」
「あの、お気遣いありがとうございます」
汗で前髪が余計に重そうに見えるから、早めに行った方がいいよ。
「そうだ。お風呂のことだけど、桜井さんはシャワー浴びるだけの人かな?」
「いえ......しっかり入浴しないと落ち着かないタイプです。佐藤さんは違うんですか?」
「僕も同じだよ。いやもしシャワーだけなら僕も合わせようかなって」
さすがに居候の身でお風呂に浸かりたい、というのは気が引けたからよかった。
「その、女の子でシャワーだけの方が珍しいと思うんですけど……あのっ、お風呂はどのくらいの温度が好みですか?」
「熱いお風呂はちょっと苦手かな?」
「わたしもです」
どうやら味の好みだけでなく、お風呂の好みも似ているようだった。
「お風呂だけど僕が後でいいからね」
「いえ、わたしが後でいいです」
ここで意見が分かれた。
「桜井さんが風邪引いたら心配だから先に行ってね」
「佐藤さんの方こそ、お疲れでしょうから先に行ってください」
しかもこの意見の相違、どちらも自身を後回しにした結果のものである。
と言っても退くつもりはない。
なので、嫌われてもいいから無理矢理先に行かせる、非常手段をとった。
「桜井さん、先に行かないならその前髪、めくるからね」
「はぅぅ、わかりました......汗にまみれたお顔、あ......佐藤さんには見せられませんし」
渋々ながらも聞き入れてくれた。
やっぱり顔を見られたくないから、そんなに前髪伸ばしてるんだね。
それを利用した僕は最低だと思うけど、僕の好感度よりも桜井さんの体調管理の方が重要なので気にしない。
「じゃあお風呂準備して、そのまま入っちゃって。片づけは僕がしておくから」
「その、わかりました」
「ああ、覗いたりするつもりもないから、ゆっくりしていいよ。終わったら僕の部屋のドアをノックしてくれるだけでいいから」
「はぅぅ、わかりました」
以上、回想終了。
炊飯器の釜を洗い、一息つく。
「確かこれは、拭いてからジャーに戻すんだったね」
後でお米を炊くらしい。
こうしていると、数時間前の自分がいかに浅はかだったのかを思い知る。
「共同生活でもこれだけ大変なのに、一人暮らし出来るって思ってた僕って、本当に何というか」
自炊しなければ楽なのだろうけどそれだと一年、いや半年も経たずに体を壊していたかもしれない。
少なくとも、美味しい料理に飢えるのは確定だっただろう。
部屋に戻り、段ボール箱を端に寄せて布団を敷き、机の上にいるアヤメを手に取って寝転んだ。
「君に話しかけるの、そろそろ卒業しないとね。そうだろう、アヤメ?」
問いかけるも木彫りの兎は当然何も答えない。
(答えたらそれはそれで怖いけど)
一人で苦笑しつつ、心の中でアヤメにお疲れさまと、さようならを告げた直後、ドアがノックされる。
『佐藤さん、上がりましたよ』
「うん。じゃあ行くよ」
アヤメを机の上に再び置いて、風呂場に向かった。
脱衣所で服を脱ぎ、洗濯カゴに放り込こんでそのまま浴室へ。
(この広さなら、大体三人くらいは一緒に入れるかな?)
そんな感想を抱きつつ、座って身体に湯をかける。
温度は温めだけど、熱いよりはよほどいい。
石鹸を泡立て、ボディタオルで手足を擦る。
視界に映る自らの華奢さに嘆息し、さらに胸板やお腹周りに絶望する。
(男らしさの欠片もないよこれは。全然筋肉付かないんだよね)
一般的な女の子よりは多少太いし筋肉もあると思うけど、男子とは比べ物にならないほど貧相だ。
両親揃って細いので多分遺伝だろう。
(とはいえ、恨んでもどうしようもないし、努力するしかないよねやっぱり)
多分女性もののシャンプーで髪を洗っているうちに気付く。
この香り、部屋を出たときに微かではあるが香っていたことに。
(つまり僕、桜井さんというか女の子の使ったシャンプーで髪を!?)
今さらながらに気付いて顔が赤くなってきた。
一度気付くと、今座っている椅子も、これから入る浴槽も女の子が使ったあとなわけで、そう考えると心臓の鼓動が早まってしまう。
(ああもう、気にするなって! いちいち気にしてたら、お風呂に入れなくなるから!!)
そう、母親とか家族みたいなものなんだって。
そう思い、必死に自分自身を落ち着けて、湯船に浸かった。
(桜井さんは妹桜井さんは妹桜井さんは妹)
異性として意識すると生活が立ちゆかなくなりそうなので、念仏のように桜井さんは妹と心の中で唱え続ける。
鼓動と顔の火照りが収まったので、そろそろ出ようと考え風呂の栓を抜こうとして停止する。
(そういえば残り湯を洗濯に使うことってあるよね。桜井さんもそうかな?)
聞いてみてから抜いた方が確実なのでとりあえずこのまま置いておく。
脱衣所で体を拭いて、髪をドライヤーで乾かして寝間着のパジャマを着る。
うん、どこから見ても女の子......はぁ、着てるパジャマも、男物なんだけどな。
ヘコみながら二階へ上がり、桜井さんの部屋のドアをノックする。
『はい』
「桜井さん、ちょっといい?」
『大丈夫ですよ。今から出ますね』
「うん」
ドアが開き、昼間と同じうさ耳パーカーとミニスカート、だぼだぼ靴下姿の桜井さんが出迎える。
(さっき洗濯物の中に入ってたから、別のやつだよね)
短い付き合いだけど、桜井さんは多分何日も同じ服を着るタイプじゃないだろう。
そんなことを考えながら桜井さんを凝視していたけど、特に不審に思われなかった。
「はぅぅ、お風呂上がりのあ......佐藤さん、すごくせくしーです」
何故なら桜井さんはぼんやりしながら僕を見ていたから。
あっ、部屋で休んでたから前髪のガードが甘く......っ!
その前髪の隙間から見えた漆黒の瞳は大きくて、とても澄み切っていた。
未だ全貌は明らかになっていなくとも、可愛いという言葉以外の感想が浮かばないほどに、桜井さんは可愛かった。
(こんなに可愛いなら、目も隠して当然だよね。目立ちたく無さそうに見えるし)
自分から隠したのか、誰かから隠すように言われたのか、どちらにしてもグッジョブと言いたい。
そんな風に僕も桜井さんもお互いを見つめ、正気に戻ったのは三分後のことだった。
「あのっ、何かご用ですか!?」
「そのっ、お風呂の残り湯って洗濯に使うのか聞きたかったんだけどどうかな!?」
「そうですね! 出来たら残していただければ助かります!!」
胸の鼓動を誤魔化すように、慌てながら応答する僕と桜井さん。
よし、一旦落ち着いて深呼吸だ。
「......ふぅ、落ち着いた。だったらお湯運ぶから、洗濯する前に呼んで欲しい。桜井さんは落ち着いた?」
「その......何とか......わかりました」
「よかった。ああそうだ。昼間にしそびれてたんだけど、携帯の連絡先、交換しよう」
父さんや母さん達に連絡したとき、ついでにやっておけばよかったんだけど忘れていた。
普段はそこまで使わないかもしれないけど、しておけば役に立つこともあるだろう。
そんな考えでの提案だったけど、桜井さんは何故かまた顔を赤くしていた。
「はぅぅ、あやくんといつでも......あの、お願いします!」
「うん」
電話番号にメールアドレス、さらにアプリまで一通りの登録を済ませる。
念のため打ち間違いなどが無いかの確認もしたので一安心だ。
「じゃあ桜井さん、おやすみ。また明日」
「佐藤さん、おやすみなさい。また明日です」
おやすみの挨拶を交わし、僕は風呂場に戻り浴槽に蓋をする。
明日はきっと洗濯で何か騒動が起きるのだろうと、予感めいたものを感じながら、僕は部屋で眠りについたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
こぼれ話
実は楓は視力、聴力共にかなりいいです。集中してないと割と聞き逃しますが。