第六十六話 彩芽くん、起こされる
かえちゃんと恋人同士になって初めての朝を迎えた。ただそれは、決してさわやかなものではなかった。寝不足が原因の頭痛に苛まれ、ろくに働いていない頭で時計を見るといつもよりも少し早い時間だった。計算すると三時間ほどしか寝ていないのがわかる。
(二度寝しよう。少しでも休まないと)
そう結論づけ、再び夢の世界へ向かおうとしたのだが、扉の向こうからかえちゃんの足音とかすかな声が聞こえてきたことで、僕の意識は急激に覚醒した。
(えっ、かえちゃん起こしに来たの? だったら起き......いやむしろ狸寝入りして、近付いて来たら抱きしめてもいいね)
朝だからなのか、それともかえちゃんのことを考えて寝不足になったからなのか、この時の僕は欲望のままにかえちゃんを愛でることしか考えていなかった。扉がノックされ、蚊の鳴くような声で起きているかを聞かれた。かえちゃん、そんなのじゃ本当に寝てる時は絶対気付かないよ?
「失礼します......」
「くぅ、くぅ」
部屋に入ってきたかえちゃんに、気付かれないように狸寝入りを続ける。かえちゃんはそのまま布団へ近付いて、横になっている僕のすぐ隣に座り、耳元で優しくささやいた。
「あやくん、朝ですよ? 起きてください」
「すぅ......っ!! すやすや」
耳にかかる吐息と、鈴を転がすような心地のよい声に鼓膜が刺激されるも、目を開かずどうにか耐え抜く。ここで起きても抱きしめてもよかったけど、そうするには位置と距離が悪い。それに恋人として初めての朝なので、これで終わらせるのはもったいなかったのもある。
「くぅ......すぅ」
「これでも起きないのでしたら、こうです!」
次にかえちゃんが仕掛けてきたのは、僕の肩を揺さぶって起こすという手段だ。生憎と非力なため、揺りかごに揺られているような気分になり、眠気を誘うという逆効果にしかなっていなかった。
(もっとも、これまでは困らせたくないから、大体この二つで起きてたんだけどね)
案の定、手段が無くなったかえちゃんから困惑の声が上がっていた。
「はぅぅ、これでも駄目なんですか? わたし、どうすれば......」
悩むかえちゃんを横目に、演技が自然になるよう寝返りを打つと、後ろから温かな体温を感じた。なんと添い寝してきたのだ。
(えっ、えぇぇぇぇっ!?)
「あやくん、あさです......おきて、ください」
意外な行動に動揺し反応した僕だけど、かえちゃんはどうもいっぱいいっぱいで気付いていない様子。後先を考えず勢いで行動した結果っぽい。
(これどう行動してもかえちゃんが自爆するよね!?)
仕方ないのでもう一度寝返りを打って、かえちゃんの方を向いて抱きしめながら挨拶した。努めて冷静に振る舞ったつもりだけど、きっと僕の顔は真っ赤だっただろう。
「おはようかえちゃん、最初から起きてたけど、朝から大胆なことするよね」
「は、はぅぅぅぅぅ!!」
朝からかえちゃんの羞恥の叫びが、我が家に響き渡った。ご近所さんに迷惑をかけていなかったことが、唯一の救いだった。それと、かえちゃんがこんなことをした原因は寝不足だそうだ。なんでこういうところも似てるかな?
狸寝入りがバレてしまい、食事の席ですねるかえちゃんをなだめ、いつも通りに支度して、家を出たところで、かえちゃんから一つ提案があった。
「あの、出来たらおんぶで連れて行っていただけますか?」
「いいけどどうしてかな? 怪我でもした?」
「いえその、お友達やクラスの皆さんに最初に素顔を見せたいと思いまして......それに、ずっと素顔を隠していたことも謝りたいので」
「後半は別に気にしなくていいと思うよ。でも、前半の理由が素敵だったからおんぶしてあげるよ」
「はぅぅ、失礼します」
いつぞやの雨の日と同じようにおんぶして通学する。前と違うのはかえちゃんが起きているので、重心がとりやすくかなり楽なことだ。しばらく進み、T字路で芹さんと合流した。
「おはよう。今日も楓は寝てるの?」
「違うよ。ほら、かえちゃん挨拶して」
「お、おはようございます、芹さん」
僕の背中からかえちゃんが挨拶すると、芹さんは驚きの表情を浮かべていた。
「約束のことは知ってたから昨日のうちに切るだろうと予想してたけど、前髪切った楓がまさかここまで可愛いとは思わなかったわ」
「ちゃんと驚いてくれてよかった。そうそう、ハサミだけどすごく役に立ったよ。最初にかえちゃんが切ったときざく切りだったから、整えるのに使ったんだ」
「えっ、これ彩芽君がカットしたの? というかざく切りって、楓それはちょっと」
「想像しただけで心配になるよね」
首肯する芹さん。別な意味のサプライズにならなくて、本当によかった。
「それで、なんで楓を負ぶっているのよ?」
「友達やクラスメートに早く見せたいから、おんぶして他の人に見せないようにしてるんだ」
「なら、アタシがクラスで最初に楓の素顔を見たのね」
「そうなるね」
芹さんは満足げに頷いた。実際クラスどころか、家の外の人でも初めてと言っていいのだ。ちなみになずなちゃんとリンには先程写真を送っている。多分登校中だろうから後で見るはず。このあとなずなちゃんからもっと送ってと催促されるのだけど、この時点の僕は知らない。
昇降口で、走ってきた心節と挨拶を交わすと、訝しげにかえちゃんを見ていた。
「おっす彩芽、楓、芹。なんか違わねーか?」
「心節も中々鋭いね。かえちゃんの前髪切ったんだ」
「マジか。改めて見ると、お前や芹が散々可愛い言ってたのが理解出来るな。でもまあ、手を出したお前はロリコンだよな」
「かえちゃんは同い年ですよ」
かえちゃんと同棲し付き合えるのならば悪名くらい安いものだと思ったが、とりあえず心節には膝かっくんで仕返しはしておいた。芹さんは男の子ってバカねと呆れていた。
教室に入りおんぶしたままでそのまま教壇へ行き、そこでようやくかえちゃんを下ろすと、どよめきが起こる。一旦静まるのを待って、僕は話し始める。
「皆さん、僕とかえちゃんは正式に付き合うことになりました」
「あの、改めまして、桜井楓です。これまでは前髪で顔を隠していましたが、これがわたしの素顔です。皆さんすみませんでした!」
僕達の交際の報告と、かえちゃんの謝罪が同時に行われたが、どうやら謝罪の方が気になったようでそちらに百合さんが食いついた。
「なんで謝るの、楓たん?」
「顔を隠して皆さんと過ごしていましたから」
「そんなの気にしなくていいのに。ね、牡丹?」
「そう。そんなこと、楓たんが可愛いことに比べたら些細なことだから、気にしなくていいわ」
「あの、なぜ皆さんわたしにじりじりと近寄ってきているんですか?」
牡丹さんが立ち上がったのをきっかけにして、芹さんを除くクラスの女子達が、かえちゃんへとにじり寄ってきている。目を見ると全員から同じ感情が読み取れた。要するに愛でたいと。僕としても理解できるので、釘を刺すだけに留めておいた。
「愛でるのはいいですけど、もしかえちゃんに手を出したり、いじめたりしたら後悔させてあげますので、そのつもりで」
「はぅぅぅぅぅ!!」
その後かえちゃんはみんなからぷにぷにされたり撫でられたり抱きしめられたりされた。涙目になっていたけどかえちゃんもどこか幸せそうだった。
ちなみに交際の件での反応は全会一致で「えっ、今さら?」だった。そして、僕にロリ姫なるあだ名が増えたことも付け加えておく。なんでもロリコンの彩姫を縮めたものらしい。せめて名前の原形は留めて欲しかったと、心の中で思ったのだった。
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