第六十五話 彩芽くん、悶々とする
脱衣場で倒れたかえちゃんを介抱したあと、僕はかえちゃんから貰った、平刃の彫刻刀で試し彫りをしていた。元々使っていたものよりも使い勝手もよく、新しいからか楽に彫ることが出来ていた。これを使って、何か完成させようと考えた僕は、何を作るべきか検討し始めた。
(さてと、何を作ろうかな?)
リンに貰った水棲生物図鑑から探してもいいし、心節からの贈り物である写真立てに細工してもいい。だがその前にこの彫刻刀を使って最初に作ったものを、かえちゃんにプレゼントしたいと考えたので、それに相応しいものを考え一つ思いついた。
(あの時作ったうさぎのカエデ、あれをヒノキで作ろう。かえちゃんにあげたらアヤメの隣に置いてくれるはずだしちょうどいいね)
そう思ってヒノキの木片を取り出して、かえちゃんをイメージし細心の注意を払いながら、一彫りに想いを込めて彫り始めた。シャッ、シャッ、シャッ。刃を滑らせることで木片が少しずつ丸みを帯びていく。
(いつでも一所懸命で、すごく優しくて、しっかりしてるけど変に抜けてて、子供っぽくて甘えたがりで、触れると真っ赤になって可愛くて)
溢れる好きという気持ちのみで手を動かし、目線は刃先から離さない。もしも今考えていることがかえちゃんに知られたら、僕もかえちゃんも卒倒するのは間違いない。そんな初々しい反応も好みだからこそ、大切に扱いたい。
(本人は雑に扱えって言うけど、ままならないよね。キリがいいから休もうか)
顔の部分がある程度形になったので一旦休憩し、出来映えをじっくり見る。陰のあるアヤメと違い愛嬌に溢れた可愛らしい顔立ちのカエデ。かえちゃんをイメージしたとはいえうさぎなので、当然間近で見ても照れたりはしない。
(このくらいの距離で真っ直ぐ目を見ながら、かえちゃんと話せたらいいのにな)
カエデとの距離は僅か十センチ。今の僕とかえちゃんがこの距離で目を合わせたら、気恥ずかしくて一秒でお互いそっぽを向くだろう。恋人になったはずなのに情けない限りだ。
(こんなんで僕、かえちゃんとキス出来るのかな?)
やはり恋人同士になったのだから、キスくらいは済ませておきたい。さらにいずれ結婚するのだから、人前で照れたりせずに出来ないと格好がつかないし、もしも結婚式で気絶したら一生の笑いものになる。いくらなんでもそれは避けたい。
(じゃあどうするかって話だけど、結局顔を見て話すところから始めろ、なんだよね。はぁ、せめて昔の僕がかえちゃんにキスしてたらもう少し違ってたんだけど)
出会ってから今までの、かえちゃんとのキスの経験を思い浮かべてみる。最初はかえちゃんとの別れの時にしたおでこへのキス。次は今日の誕生日会でしたおでこへのキス。その二回のみだ。それ以外に覚えはなく、唇はおろか、頬へのキスすらしたこともされたこともない。
(キスしようとして顔を近付けたはいいけど、かえちゃんに振り向かれて目が合い、恥ずかしくなり断念したことはあるけど)
どうしようもないヘタレである。しかも思い返してみれば、かえちゃんも似たような行動を何度か取っていたのだ。似た者同士で、揃ってヘタレな幼馴染だったという事実に、僕は一人膝を抱えた。
(一歩踏み出せばキス出来てたじゃないか。僕のどヘタレ)
過去の僕に悪態をつくが、どう考えても誕生日会とかえちゃんへの告白という、最大のチャンスを逃した今の僕へのブーメランでしかなかった。だってそういう発想が頭になかったし。かえちゃんも所謂キス待ち顔をしていなかったので、思い付いてなかったのだろう。
(つまり僕もかえちゃんも、キスの経験はほとんど無いってことなんだよね)
だとしたら、キス初心者がいきなりゴールである唇へのを目指すことになるので、頬やおでこ、さらには手の甲や髪の毛へのキスで練習していくしかない。小学生か、と言いたくなるような歩みの遅さだと自覚はしている。
(まあ、僕達なりにやっていくしかないよね。恋人らしさも、人それぞれだろうから)
焦っても仕方ないので、じっくりと足場固めからやっていくしかない。それがかえちゃんとの将来を考える上での一番の近道だし最適解なのだから。
結論が出たところで木彫りを再開しようとしたが、どうやって彫るかを悩み手が止まる。何というか気持ちが入っていかないのだ。
(何だかこれ以上やっても進まなさそうだから、このまま切り上げよう)
自身の直感に従い、終わらせて彫刻刀とカエデを机の中にしまい込む。こりをほぐすように体を動かすと時計が目に入った。いつもならとっくに布団に入っている時間だ。
(続きは明日――ああ、しばらく無理か)
週明け、正確には明後日から中間テストがある。そのため、前日は多少でも勉強しないとかえちゃんの点数が心配になる。もちろん僕自身のことも割と心配ではあるけど、そこはなるようになれとしか思わない。
(こんな感覚でテストを迎えるのは、いつ以来だろう?)
思えば中学時代は、ずっとテストに対して気負いがあった。最初の失敗から巻き返しを図ろうと頑張って、いじめのことがあって、無視されるようになってからは勉強に必死だった。受験に関しては言わずもがな。
(自然体で頑張ろうか。無理が必要かどうかは、今回の結果を見てからでいいし)
こちらも焦る必要はなかった。結局僕は、前だけ見ていて足元が疎かなんだと悟り、このまま床についたのだけど、目を閉じまぶたの裏に浮かぶのはかえちゃんの顔。その可愛らしい顔が少しずつ近付き、やがてゼロに――。
(うひゃぁぁぁぁっ!!)
飛び起きて胸を押さえる。手のひらから伝わる鼓動は全力疾走したあとよりもなお早く、落ち着くまで僕は中々眠ることが出来ず、悶々としたまま夜を過ごすのだった。
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