第二話 彩芽君、二人暮らしが決まる
桜井さんを椅子に座らせて介抱していると、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま。楓ちゃん」
「楓ちゃん、今帰りましたよ~」
桜井さんのご両親が帰宅したようだけど、桜井さんは絶賛気絶中なので僕が出迎えるしかない。
「お帰りなさいませ。本日よりお世話になる佐藤彩芽と申します。ご迷惑をおかけするとは思いますので、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願いいたします」
玄関で正座をして、三つ指ついて挨拶を行った。
顔を上げると二人とも苦笑していた。
あれっ、何か間違った?
「いや、別にそこまでかしこまらなくていいよ。話は彩芽君のご両親から聞いてるよ。大変だったね」
桜井さんの父親、桜井一咲が僕を労ってくる。
この人、父さんの一歳下らしいけど、すごく若々しいんだよね。
事情も伝わっているようなので、隠したり取り繕ったりせずに僕は本心を吐露した。
「いえ、あれは僕の弱さが招いたことなので。こちらに来たのも一度リセットしてゼロから始める、逃げですし」
「そんなことはありませんよ~?」
自嘲するように告げると、桜井さんの母親、桜井紅葉がのんびりした口調でそれを否定する。
桜井さんの母親なのが一目でわかる、美人な人だった。
「あまり否定的に言われると~、あなたが来るのを楽しみにしていた楓ちゃんが悲しみますよ~。それに~、帰ってくるまででも親睦を深めていたようですし~」
「確かにそうだね。楓ちゃんのあんな幸せそうな顔は久しぶりに見たよ。これだけでも君を受け入れたかいがあったよ」
二人の発言で僕の目が点になった。
そんなに歓迎してくれてたの?
おかしいな、別に桜井さんとは会った覚え無いんだけど。
嫌われるよりはずっといいので、素直に礼は述べておく。
「ありがとうございます。ところで桜井さんが気絶していることには言及しないんですね?」
「ああ、あれは昔からなんだ。今回は数年ぶりだったから余計にね」
数年ぶりと聞いて、発作みたいなものだろうかと考えた。
だがそれならもっと心配してもいいと思う。
「気絶したときに身体をぶつけないように気を付ければ問題ないよ。むしろもっとしてあげてよ」
「楓ちゃんって~、撫でられるの大好きなんですけど~、許した相手以外だと逃げますから~」
「あの、桜井さんってそんなに警戒心強くないですよ? 僕をすぐに家に入れたくらいですし」
あの、その何を言ってるんだお前みたいな目、やめて貰えますか?
別に僕、間違ってませんよね?
「無警戒なのは彩芽君だからだよ?」
「あの、僕と桜井さんって面識ありましたっけ?」
「うふふ~、秘密ですよ~。ここで私達が語ると~、楓ちゃんに悪いですからね~」
そう言って誤魔化した紅葉さん。
気になって追求しようとしたが、ご両親の爆弾発言によりすべて吹き飛ばされてしまう。
「それもそうだね。彩芽君、来て早々こんな頼みをするのもなんだけど、楓ちゃんをよろしく頼むよ」
「実は私達~、今から出ないといけないんですよ~」
えっ、なんの話ですか? というか今から!? よろしく頼むってどういうこと!?
混乱する僕に一咲さんと紅葉さんが事情を説明してくれた。
「僕の仕事の関係でね。前々から本社に異動を命じられていたんだけど、楓ちゃんを転校させて寂しい思いをまたさせるのも申し訳なくてね」
「本人は~、高校生になったら~、そのまま私達に着いてくるつもりだったんですけど~、住み慣れた場所を二度も離れるのは子供にとってよくないですからね~。葛藤してたんです~」
これまでは家族のことを理由に異動を固辞し続けていたけど、それももう限界が来た。
申し訳ないと思いながらも桜井さんを連れて行くしかないと決まりかける。
しかしそこで、父さんから僕を預かってくれないかと連絡があったそうだ。
ちょっとした事情で一人暮らしをさせられないという理由を告げられ、一咲さんは抱えている問題を一気に解決する妙案を思いついた。
それは僕と桜井さんを今の家で二人暮らしさせ、自分達は転勤するというものだ。
なるほど確かに解決はする。僕と桜井さんの気持ちは無視されるけれど。
「いやすごく助かったよ。これで安心して行けるからさ。もう時間が無いから行くよ」
「そういうわけですから~、楓ちゃんをよろしくお願いします~」
言うや否や、荷物を持って出発していく二人。
僕はただそれを呆然と見送るしかなかった。
これ、どうすればいいの!?
二人が出て行って、しばらく玄関を眺めていたが戻ってくる様子もない。
どうやら冗談とかネタの類では無さそうだった。
つまりこれから、僕と桜井さんの二人で協力して暮らしていかないとならないらしい。
一応、僕が出て行って一人暮らしするという手段もあるけど、どちらにせよ僕一人で決めることじゃない。
(まずは桜井さんを起こさないと......気絶してるから揺するのは良くないよね)
とりあえず頭を撫でてみよう。
文字通りの手当てというやつだけど、多少は効果あるはず。
桜井さんの小さな頭に手を乗せ、いたわるように撫でる。
「............っ!! ~~~///」
するとすぐにびくんっと桜井さんの身体が痙攣し、ぷるぷると震えながらゆっくりと後ろを振り向き、僕の姿を確認した。
よかった、目覚めたみたい。
「はぅぅ、わたし......あやくんになでなでされて......っ! わたし、今まで何をしてたんでしょうか?」
「おはよう、桜井さん」
「あっ、おはよう、ございます......佐藤さん。あの、どうしてわたし、撫でられてるのでしょうか?」
「気絶してたから、文字通りの手当てをしてみたんだ。嫌だった?」
僕の問いかけに大きく首を横に振る桜井さん。
気絶してすぐに頭動かすの危ないよ?
「いえ、その、嫌じゃないです......むしろ嬉しいです!」
「そう。よかった。あとその桜井さん。ご両親のことなんだけど、落ち着いて聞いて」
この切り出し方だと、不安をあおることになりそうだけど仕方ない。
「お父さんとお母さんが、どうしました?」
「そのね、さっき出て行って、下手すると僕達二人で暮らさないといけないみたい」
「えっ、えぇぇぇっ!?」
やっぱり驚くよね。
特に女の子である桜井さんにとっては、男女が一つ屋根の下という、一気に身の危険を感じる状況になるのだから。
それなら出て行くしかないか。
「桜井さん、もし嫌なら......嫌じゃなくても世間体が悪すぎるから早急に出て行くね」
「あの......」
「これから泊まれる場所探してくるから、荷物だけ置いておいて」
「あのっ! わたしはあや......佐藤さんと一緒がいいですから出て行かないでください! 一人は嫌です......」
桜井さんの懇願が、僕の心に残る古傷を呼び起こす――。
それは孤独な戦いを続け、心が限界を迎えたときの傷。
一人の辛さを知っている僕が、目の前で誰かを一人にしていいはずが無い。
だから、すがり付く桜井さんの手を優しく握って、一人じゃ無いと態度で示した。
「わかったよ。出て行かないから安心して。僕でよければここにいるよ」
「あの、ありがとうございます」
こうして、僕と桜井さんの二人暮らしが始まったのだった。
お読みいただきありがとうございました。
こぼれ話
楓の両親である一咲と紅葉は、拙作ある春の日及びある秋の日の生徒会に登場しています。