第三十九話 彩芽くん、寝ぼける
彩芽、ついにやらかします。
夕食のあと、改めて入浴し体を洗い、自室で寝ようとしたのだけど落ち着かない。原因は部屋干しスタンドに並んでいる、かえちゃん愛用の靴下と、可愛らしい子供用の下着だった。別にただの布なのだから気にしなければいいのだが、視界に入るとどうしても気になってくる。
(そもそも、百歩譲ってかえちゃんの靴下はともかくとして、なんで下着を僕の部屋に干したんだろう?)
確か僕とかえちゃんの洗濯物は混ざらないように最初から分けて、それから分けたものをさらに小分けして各部屋に干したはず。そうなると、僕の洗濯物とかえちゃんのを取り違えたのだろう。
(ということは、かえちゃんの部屋に僕の下着とかが......大失態だ)
普通見ればわかるだろうに。水着で混浴したことで正常な判断力が失われて、気が動転していたのかもしれない。あるいは、雨に濡れたかえちゃんを見たときからそうなっていたのかも。
(仕方ない。リビングで寝ようか)
そして、その名残はまだ残っていたようで、洗濯物を移動させればいいという当たり前の発想すら浮かばず、布団を部屋から運びだそうとドアを開けた。その瞬間、隣の部屋のドアも開き、かえちゃんと目が合った。多分同じことを考えていたのだろう、かえちゃんの手元には枕が握られていた。
「えっと、あやくんもリビングで寝るおつもりですか?」
「うん。かえちゃんも?」
「はい......」
「じゃあ一緒に寝ようか」
「そう、ですね」
他の選択肢はないと言わんばかりに、二人でリビングに布団を敷いて、添い寝の準備をして、お互いに手を握るだけのささやかな触れ合いをして就寝した。
夢を見ていた。それはかえちゃんとの別れの日、目の前で泣いているかえちゃんを慰めるため、約束をしたときの光景だった。そして、僕はこの光景を夢だと認識している。いわゆる明晰夢というやつだ。
(このとき、おでこじゃなくて頬や唇にキスしてたらどうなっていたのかな?)
興味本位でそう考えたからなのか、子供の僕が幼いかえちゃんへと顔を近付け、それがやがてゼロになりキスをした。ふにゅんと、唇がとても柔らかいものに触れた気がした。キスされた目の前の幼いかえちゃんは驚いて泣き止んで、控えめな笑顔を見せて夢が終わった。
「んっ......」
「すぅ、すぅ......」
幸せな結末に満足して目を開くと、成長したかえちゃんの顔が超至近距離にあった。まあそれは想定内だ。昨日添い寝したのだから。問題は唇同士が密着していたことだ。先ほどの夢で味わった柔らかな感触と合わせ、僕は一つの答えに辿り着く。
(えっ、僕もしかして、寝てる間にキスしちゃった?)
それも唇にである。ひとまず僕はゆっくりと唇を離し、かえちゃんの頬に触れたり、髪を撫でたりして起きているかどうか確かめたが、その気配はなさそうだった。さらに五分ほど待っても起きないので、僕は布団から抜け出して、自室へと戻り扉を閉めさらに押し入れに入り込み、音が漏れないようにしてから、
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!!」
言葉にならない言葉を叫んだ。そうして混乱する頭が落ち着くまでに一時間以上を要し、その後は気まずすぎてかえちゃんとろくに目を合わせられなかった。もちろん僕の様子がおかしいことに友人全員がその日のうちに気付き、昼休みに心節に空き教室へと呼び出された。
「で、何があった?」
「実は寝ぼけた状態でかえちゃんとキスしちゃったんだ」
「待て、状況がわからんからちゃんと説明しろ」
どこから説明するか迷ったのだが、とりあえず添い寝していたことと昔の夢を見たこと、そして見ていた夢と連動して体が動いてかえちゃんとキスしたことを話し、それを一通り聞いた心節は呆れていた。
「一言で言うと、お前は楓の寝込みを襲ったと。まあ付き合ってるどころか婚約してるから別にいいんじゃねーの? つーかまだキスしてなかったのかよ。このヘタレ共が」
「うぅ、仕方ないじゃない。夕日の観覧車ってチャンスを逃したんだから」
「それがヘタレだっつーの。話が逸れたな。で、そんなことがあったにしては楓は平常運転じゃねーか」
「その、キスしたあとで頬や髪を触ったり、少し待って起きてるか確かめたんだけど、反応がなかったから熟睡してたっぽい」
「だろうな。事故であっても襲われても、アイツが彩芽とキスしたのに普段通りってのはありえねーよな」
うん。なんなら朝から気絶して、目が覚めてからもかえちゃんの顔が真っ赤で、むしろ僕の方が落ち着いてるまで考えられる。だからこそ困ってるわけで。
「そうなんだよ。謝ったり改めてキスして上書きしようにも、かえちゃんは知らないっぽいから、下手に伝えるとショックだろうし」
「だったらお前が知らんぷりして忘れるのが一番だろ。狡いとは思うが、そのくらい受け入れろ。せいぜい罪悪感に苛まれるがいい」
「それしかないよねやっぱり。ありがとう、助かったよ」
「お前らがおかしいと調子狂うからな。さっさといつも通りに戻りやがれ。さて、戻るぞ」
教室に戻ってから、避けていたことだけをかえちゃんに謝り、いつも通りの僕達に戻ったのだった。ただ一つ、僕のキスに関するハードルが下がったことで、添い寝の度に悶々とすることになったことを除いて。
お読みいただき、ありがとうございます。抱き合って寝てたら、そのうちこうなりますよね。